ああ今日は大詔奉戴日かと考えて居たら、我が地方紙上毛新聞の囲みの三山春秋も取り上げていた、特にハワイ真珠湾攻撃の特殊潜水艇攻撃の指揮官で軍神となった岩佐中佐を上げていたが、郷土の先輩として大いに感銘を受け鼓舞されたことだった。
昭和十六年(千九百四十一年)十二月八日、今でいう第二次世界大戦(わが国では大東亜戦争)の始まりの詔勅が出て、我々青少年学徒はこの日から二十年(千九百四十五年)八月十五日まで、大詔奉戴日と云って学校で或いは動員された軍需工場で大東亜戦争勝利の為、学びはそっちのけで兵器生産に励んでいた。
当時小学校五年生だったが勤労奉仕や軍事訓練が始まり中等学校や高等科に成ると青少年学徒に賜りたる勅語により成人扱いとなって居たのだった。
しかし敗戦と同時にあの軍神への尊崇も英霊への感謝も薄れてしまう、と同時にあの無謀の大戦に引き込んでいった当時の指導者、いわゆるA級戦犯に対する考えも薄れてしまって居る様だ。
一口に三百万人の死亡者と云うが僅か七四年前いや日中戦争を含めれば七八年前に成るのだが、合わせて何万人に成るのか多くの人命の上に成り立ったこの平和と、この国の民主主義社会は粗末には出来ない問題だ。
守ろう平和と子供を戦争にやらない社会を造る事を