映画「容疑者Xの献身」を見に行ってきた。
主演である「福山雅治」の曲は割と好きでいながらCDは一枚も買っていない。
「探偵ガリレオ」オープニングテーマ曲の「知覚と快楽の螺旋」は最近のインストルメンタル曲のなかではお気に入りである。
「ならば買えよ!!」という突っ込みはなしで(笑)
彼が演じる「湯川 学」の理屈っぽい変人ぶりが面白い。
が、そんな人が身の回りにいてもお付き合いしたいとは思わないのだが。
コミック漫画の「天才柳沢教授の生活」に出てくる「柳澤教授」の変人ぶりもそうとうなものだが、「柳沢教授」の方は家庭を持っている分だけまともな社会人なのかもしれない。
各種の予告CMなどで大まかなストーリーは予想のできるものだろう。
TVドラマの映画化ということもありTVの特別編(エピソード・ゼロ)での振りからスタートする。
「あぁ あの場面からか・・・」
と思わせるのだが、本編のストーリーとはまったく関係のない大爆発シーンは派手好きなファンのためのサービスだったのだろうか(笑)
冒頭から殺人犯と証拠隠滅の共犯が分かる展開ながらアリバイのトリックが最後まで分からない。
と同時に、「堤 真一」演じる共犯者(石神)がなぜ其処まで犯人をかばうのかも理解しがたいものがある。
結局、主役の湯川準教授がアリバイ・トリックを解き明かし、「石神」がなぜ其処まで殺人犯をかばったのかも明らかになるのだが「誰も幸せにはならない結末」であることは間違いない。
どんな現象にも真理はひとつである。
物理学者は仮説を立てて実験で検証して理論として実証する。
数学者は計算で導いた答えがすべてで、正解かどうかは計算によって証明される。
確かそんなことを物語の中で言っていたように覚えているのだが・・・
愛とか恋に仮説や実験、ましてや計算など。
人の心の中は心理学の範疇で理数系の考え方では無理があるかもしれない。
きっかけは些細でも思いが強いほど其処から得られる結果は増幅される。
ただ、手段や方向を間違えた愛は思いも寄らぬ悲劇としかならないのは確かだと思う。
もしかしたら冒頭のガウス加速器の実験はこのことを暗示していたのかもしれない。
「福山雅治」の演技はTVのそれと同様に楽しませてもらった。
「堤 真一」演じる「数学の天才にしてさえない高校教師」が秀逸だったと思う。
彼のあの演技なしにこの映画は成り立たなかったのではないだろうか。
「ダンカン」が画面に写った瞬間にニヤリとした。
じつはこの時、映画館の隣の席にダンカンの高校時代に隣のクラスにいた女性が座っていたからだ。
何かやらかすかと期待したのだが意外とマジな役を演じていた。
はぐらかされたような感じもしたのだがちゃんと役者をやっていることに感心した。
画像は10/12に撮った17:00頃の月
例え雲が隠しても月は空にあり、昼間は見えなくとも星は空にある。
主演である「福山雅治」の曲は割と好きでいながらCDは一枚も買っていない。
「探偵ガリレオ」オープニングテーマ曲の「知覚と快楽の螺旋」は最近のインストルメンタル曲のなかではお気に入りである。
「ならば買えよ!!」という突っ込みはなしで(笑)
彼が演じる「湯川 学」の理屈っぽい変人ぶりが面白い。
が、そんな人が身の回りにいてもお付き合いしたいとは思わないのだが。
コミック漫画の「天才柳沢教授の生活」に出てくる「柳澤教授」の変人ぶりもそうとうなものだが、「柳沢教授」の方は家庭を持っている分だけまともな社会人なのかもしれない。
各種の予告CMなどで大まかなストーリーは予想のできるものだろう。
TVドラマの映画化ということもありTVの特別編(エピソード・ゼロ)での振りからスタートする。
「あぁ あの場面からか・・・」
と思わせるのだが、本編のストーリーとはまったく関係のない大爆発シーンは派手好きなファンのためのサービスだったのだろうか(笑)
冒頭から殺人犯と証拠隠滅の共犯が分かる展開ながらアリバイのトリックが最後まで分からない。
と同時に、「堤 真一」演じる共犯者(石神)がなぜ其処まで犯人をかばうのかも理解しがたいものがある。
結局、主役の湯川準教授がアリバイ・トリックを解き明かし、「石神」がなぜ其処まで殺人犯をかばったのかも明らかになるのだが「誰も幸せにはならない結末」であることは間違いない。
どんな現象にも真理はひとつである。
物理学者は仮説を立てて実験で検証して理論として実証する。
数学者は計算で導いた答えがすべてで、正解かどうかは計算によって証明される。
確かそんなことを物語の中で言っていたように覚えているのだが・・・
愛とか恋に仮説や実験、ましてや計算など。
人の心の中は心理学の範疇で理数系の考え方では無理があるかもしれない。
きっかけは些細でも思いが強いほど其処から得られる結果は増幅される。
ただ、手段や方向を間違えた愛は思いも寄らぬ悲劇としかならないのは確かだと思う。
もしかしたら冒頭のガウス加速器の実験はこのことを暗示していたのかもしれない。
「福山雅治」の演技はTVのそれと同様に楽しませてもらった。
「堤 真一」演じる「数学の天才にしてさえない高校教師」が秀逸だったと思う。
彼のあの演技なしにこの映画は成り立たなかったのではないだろうか。
「ダンカン」が画面に写った瞬間にニヤリとした。
じつはこの時、映画館の隣の席にダンカンの高校時代に隣のクラスにいた女性が座っていたからだ。
何かやらかすかと期待したのだが意外とマジな役を演じていた。
はぐらかされたような感じもしたのだがちゃんと役者をやっていることに感心した。
画像は10/12に撮った17:00頃の月
例え雲が隠しても月は空にあり、昼間は見えなくとも星は空にある。