今から約半世紀前の小学生のころのこと。
今のように厳格な通学路などなく、下校時には道草は食い放題。
雑木林の中もしっかりと下草が刈り払われ落ち葉掃きがされていた。
大体の見当をつけて獣道のような山道を通っても迷うほどの山林でもなくw
小学校の近くに瓦や土器が拾える場所があり、蛇の出る心配のない時期に何回か寄り道したことがある。
後年知ったことだが、小学校へ入学したころに某大学が国分寺瓦の窯跡を発掘調査した場所だった。
先日も新聞各紙の県内版で紹介されたのだが、町教育委員会主体で窯跡の第二次・第三次発掘調査が昨年から行われ、その調査結果を受けての見学会が本日行われるというので行ってきた。
雨が降るという予報だったが、さしたることもなく傘を差さずにすんだ。
最寄りの駐車場には寒さ対策バッチリで誰だかわからない知り合いがスタッフとして交通整理をしていた。
町道から見た発掘現場(杉木立の奥にある土が露出した部分)
昔は開墾されたような土がむき出しの斜面(畑?)だったが、孟宗竹の林と植林されたスギ林に変わっていた。
発掘現場の見取り図(現場で配布された資料から盗用)
出土品の一部が入り口で展示されていた。
国分寺瓦
出土品の大半は瓦だが、須恵器も多数あり、単に国分寺瓦だけのための窯ではなかったと考えられているようだ。
近くには須江という字名もあり、須恵器の須惠が語源だといわれている。
卵が先か鶏が先か判じえないのだが…
どれほどの人が見学に来るものかと思っていたら意外と盛況。
しかし、この白線が事件現場のそれに見えてw
壁につけられた筋掘りは用済みの窯が土に埋もれた(埋められた?)状況を表したものらしい。
地図の左下側A1区~A5区方向
窯の底に敷かれた瓦。
焼きそこないを再利用したものらしい。
現場で配布された資料によれば大きなくくりとして南比企窯跡群に属する奈良・平安時代の須恵器や瓦を生産した遺跡だということだ。
三十年近く前に同じ町内の某ゴルフ場造成地で行われた調査では考古学会の注目を集めるほどの成果があったのだとか。
ところがこの件にはX翼団体が役場庁舎に街宣車を繰り出して町は大騒ぎ。
今は昔の語り草だ。
今回の発掘では一か所から26基の窯跡が発掘され、香川県にある国指定史跡の「宗吉瓦窯」を上回る国内最大規模の窯跡群らしい。
当然のことながら町・教育委員会は国指定史跡というお墨付きを頂くべく動いてるんだろうな。