「いや!蛙の子はオタマジャクシだ!!」
と言われてしまえばそれはそうだと・・・
そもそも、江戸期以前はオタマジャクシという言葉がなく「蛙子(カエルコ)」と呼んでいたとか。
母には姉が一人と弟が二人いた。
伯母は近くの町に嫁いだのだが兄弟が多く実家以外の姉弟の家とは行き来をしなかった。
小さな頃に母の実家に遊びに行った時に顔を合わせたことはあったのだろうが全く記憶が無い。
そのぐらいだから母方の従兄弟達の顔すらほとんど覚えていない。
十年近く前に母の実家が立替をした時に母によく似たお婆さんがいた。
この人が伯母さんだと一目で判るほどよく似ていた。
そんな伯母がこの春に八十六歳で急逝し葬儀と納骨に立ち会ってきた。
実家であった時より若干やせたように見えた伯母の死に顔は母のそれと瓜二つだった。
涙ぐみつつも懐かしいような可笑しいような不思議な感覚で不謹慎ながら口元がほころんだ。
葬儀の当日は慌しいこともあり従兄弟たちとも通り一遍の挨拶以外にさして会話もなかったのだが、納骨の際にはあれこれ話がはずんだ。
葬儀の日に撮った叔父二人と私の写真を見て
「ソックリだねぇ~!!まるで親子みたい」
「実家のYちゃんよりむじなさんの方が叔父さんの息子みたい」
そう言う伯母の娘二人は私の姉と妹に顔つきがよく似ているのである。
「この写真を見て判るでしょ?」と私が言うと
「えっ!?」と従兄弟達が。
「あと数年で私もこの髪型になるんですよ・・・」
大爆笑だった。
叔父二人は額から後頭部まで髪がほとんど無くなっている。
並んで写っている私はといえばまだまだ黒髪があるとはいえ後頭部と額はかなりヤバイ状態に近付きつつあることが誰の目にも明らかだったからである。
実家の叔父は齢八十を超えてもカクシャクとしたもので親戚代表での挨拶もよどみなく立派なものだった。
顔や髪の毛だけでなく弁舌も似てくれるとありがたかったのだが。
と言われてしまえばそれはそうだと・・・
そもそも、江戸期以前はオタマジャクシという言葉がなく「蛙子(カエルコ)」と呼んでいたとか。
母には姉が一人と弟が二人いた。
伯母は近くの町に嫁いだのだが兄弟が多く実家以外の姉弟の家とは行き来をしなかった。
小さな頃に母の実家に遊びに行った時に顔を合わせたことはあったのだろうが全く記憶が無い。
そのぐらいだから母方の従兄弟達の顔すらほとんど覚えていない。
十年近く前に母の実家が立替をした時に母によく似たお婆さんがいた。
この人が伯母さんだと一目で判るほどよく似ていた。
そんな伯母がこの春に八十六歳で急逝し葬儀と納骨に立ち会ってきた。
実家であった時より若干やせたように見えた伯母の死に顔は母のそれと瓜二つだった。
涙ぐみつつも懐かしいような可笑しいような不思議な感覚で不謹慎ながら口元がほころんだ。
葬儀の当日は慌しいこともあり従兄弟たちとも通り一遍の挨拶以外にさして会話もなかったのだが、納骨の際にはあれこれ話がはずんだ。
葬儀の日に撮った叔父二人と私の写真を見て
「ソックリだねぇ~!!まるで親子みたい」
「実家のYちゃんよりむじなさんの方が叔父さんの息子みたい」
そう言う伯母の娘二人は私の姉と妹に顔つきがよく似ているのである。
「この写真を見て判るでしょ?」と私が言うと
「えっ!?」と従兄弟達が。
「あと数年で私もこの髪型になるんですよ・・・」
大爆笑だった。
叔父二人は額から後頭部まで髪がほとんど無くなっている。
並んで写っている私はといえばまだまだ黒髪があるとはいえ後頭部と額はかなりヤバイ状態に近付きつつあることが誰の目にも明らかだったからである。
実家の叔父は齢八十を超えてもカクシャクとしたもので親戚代表での挨拶もよどみなく立派なものだった。
顔や髪の毛だけでなく弁舌も似てくれるとありがたかったのだが。