普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

徳育の教科化に反対する中教審

2007-12-28 09:21:29 | 教育

 教育再生会議では道徳の教科化を提案したが、中央教育審議会ではそれを見送る決定をしたそうだ。
 それについて読売新聞は「道徳」の教科化再提言 再生会議3次報告 
で次のように報道している。
 政府の教育再生会議は25日、首相官邸で総会を開き、理科教育強化のために理科専科教員の設置を進めることや小中学校で「道徳」の教科化などを柱とした第3次報告を決定し、福田首相に提出した。同会議は来年1月、これまで3回の報告を踏まえ、最終報告を取りまとめる予定だ。
 第3次報告は、「公教育の再生」を掲げ、〈1〉学力の向上〈2〉徳育と体育の重視〈3〉大学・大学院の抜本改革〈4〉学校の責任体制の確立――などを重点課題とした。
 具体的には、理数系の学力水準が低下していることを踏まえ、小学校高学年に理科専科教員の設置を進めるなど、理科教育の強化を打ち出した。
 2次報告に続き、「道徳」を教科化し、偉人伝や古典などを活用して感動を与える教科書を作成することを打ち出した。だが、点数での評価はせず、学級担任が担当するとした。一方、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」は25日、次期学習指導要領の答申案で、事実上、道徳の教科化を見送った。

中教審の「道徳」教科化見送りの理由は
・「道徳は子供の心にかかわるもので、教科書を使って教え込むものではない」と判断した。
つまり、教科化の条件は、
(1)児童・生徒を数値で評価する
(2)検定教科書を使用する
(3)中学校以上は各教科専門の教員免許を設ける
だが、
・数値評価や「道徳」専門の教員免許については、「道徳教育になじまない」などの異論が根強かった、
・教科書については、「心の中の問題を扱う教科書を検定することには無理がある」などの慎重な意見があった、
ため、中教審では、改定する指導要領では「道徳教育の充実」を掲げながらも、「道徳」を教科に格上げしない方針を固めた。
ことらしい。

 この方針に対して、12月26日付 よみうり寸評は次のように中央教育審議会の態度を批判している。
・「心の内面を数値で評価するのは無理」だから「教科にはしない」――〈道徳〉についていつも聞かされてきた話だ。
・「点数をつけにくいから、教えない」では本末転倒ではないかと思う。
・教科にはせずに教えているとはいうが、教育現場では他の教科より軽んじられているのが現実だ
・教科にすれば、数値評価しなければならない。検定教科書も必要だ。中学以上なら道徳専門の教員免許も設けなければならない。
・然し点数をつけない教科があってもよくはないか。
・政府の教育再生会議は今や失速気味とも聞くが、再度の(道徳の教科化)の提言は忘れてはなるまい。
・〈学力低下〉には敏感に反応する教育界だが、しつけの乱れ、規範意識の低下、道徳教育の不振などには対応が鈍い。
・戦後〈修身〉を廃止し、戦前のそれを否定する余り、道徳には「あつものに懲りてなますを吹く」傾向が強い。
・そのうちに自己中心の勝手気まま(な生徒)が手に負えなくなった。

[私の意見]
(1)日教組の存在
  中央教育審議会の考え方の基本には表には出ないが日教組の存在と、それと長い間対立してきた文科省の日教組との融和政策がある。
 その現れが、「ゆとり教育」だ。

 日教組から言わせれば、当時の文部省の闘争の果て(長い夏休みなどの長期の休みの他に)に勝ち取った、土曜日休日だ。
 だから、ごく一部の小中学校の教師や高校でも進学校の教師の一部の他には、土曜日の課外授業には殆ど参加しないのが現状だ。

 一方文部省は、教育能力が低下している家庭や地域の状態を完全に無視して、課外授業への地域の協力と言う聞こえのよい「ゆとり授業」を掲げたた。
 授業時間の削減については、時の文部大臣の説明のように、それまで平均70点しかとれないのなら、教科削減により全員が70点取れるようにする。
 それ以上の能力のある生徒は自主的に勉強させると苦しい説明をしなければならなかった。
 今まで100点満点の時、70点で満足していた生徒が、70点満点にすれば70×0.7で49点で満足する現実を無視していた。
 それ程当時の文部省に取っては日教組は目の上のたんこぶ以上の存在だったのだ。
 そしてその結果が今の学力の低下だ

2.検定教科書化に反対の理由
  
検定教科書化に反対するのも良く判る。
 民主主義、個人の権利重視、義務や責任の軽視などの新しい価値観を重視し、昔の価値観の良い点まで悪と片づける、日教組や一部マスコミが道徳の教科書問題でどんないちゃもんをつけてくるか判らないからだ。
 それがどのような物か、今回の沖縄自決問題をみれば直ぐ判ることだ。

3.点数と教科化
  
点数を付けられなければ、教科に出来ぬと言う考えも、一部教師の存在を考えれば判ることだ。
 つまり日教組の考え方を指示する教師達は自分の道徳観に反することを教えようとしないからだ。
 それとも昔やったように皆一律に100点を付けることなどやりかねないからだ。
 つまり教師の管理は学級の平均点数で行う→道徳の教育に点数は付けられない→これでは教師の管理は出来ない→だから道徳の教科化はできないという考え方のトラウマに囚われ過ぎているのだ。

4.中教審の問題
    中央教育審議会が抱える一番の問題はその文科省の諮問に応えるというあり方だ。
 その性格から致し方ないのかも知れないが諮問に応えるのは技術的な問題だけに終わり、会自体に自主性がない、長期的なビジョンがないことだ
 ゆとり教育→学力低下→授業時間数の増加→小学校への英語教育の導入などがそれだ。
 明らかに場当たりで首尾一貫していない。

 中教審が道徳の教科化反対の理由の一つとして「道徳は心の問題」を挙げているが、各界の識者の集まりである同審議会が今の生徒の心が病んでいる状況、社会環境の劣化にどのように具体的に対処するのか前向きの提案をして貰いたいものだ。

5.マスコミの問題
  
もう一つこれは私がいつも言うことだが、先に書いた「よみうり寸評」でもそうだがマスコミが教育問題の根底にある日教組に代表される一部教師の問題について全く触れないことだ
 これが朝日新聞ならともかく、読売新聞のように明らかに日教組と反対の考えを持っているマスコミさえ余程のことが無い限り彼らの影響を報道しないのか不思議でならない。

参照:
   学力低下と日教組 
  ゆとり教育より詰め込み教育へ  
   所謂知識人の不思議な発言   
   教育再生会議の1次案答申   
   これでいいのか中央教育審議会

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