[何時になっても変わらない不磨?の憲法]
また憲法記念日が来ました。
そしていつもの様に改憲派、護憲派の大会の模様が放送されました。
そして各党はまたいつもの様にそれぞれ声明を出しています。
・民主党:「現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めるべきと考えてきた」、今後の対応は、「まず各党の中で議論を行い、各党間で議論できる環境整備をめざす」とするにとどめた。
・自民党:衆参両院の憲法審査会が機能していない現状を「国会の不作為責任が問われるべき事態だ」と批判し、「品格ある国家を目指し、新憲法制定に取り組んでいく」と強調。
・公明党:現行憲法に新たな人権を加える「加憲」を「最も現実的で妥当だ」
・共産党:憲法改正の動きが低調になったとして「この状況に深い確信を持とう」
・社民党:「憲法9条改悪の地ならしをするための憲法審査会を動かさないよう注視していく」
・国民新党:「所要の見直しを自主的に行うべき」
・みんなの党:「改める、加えるべき所を真摯に議論する」
・新党改革:「憲法審査会を一日も早く機能させねばならない」
・たちあがれ日本:「憲法改正という根本課題から逃げ続けることは許されない」(以上読売新聞より)
これを見ると議員の数から言えば圧倒的になんらかの形で憲法改正を主張する党が多いようですし、この傾向は毎年続いています。
然し現実は戦後占領軍から与えられた現行の憲法は半世紀を立った今も、そして世界情勢も日本の立場も大きく変わった今でも、一言一句も変えられずに残っています。
僅かな進歩と言えば安倍さんのときの憲法改正に必要な国民投票法が成立しただけです。
[面倒なことは先送りにする政治の責任]
5月3日が来るたびにいつも思うのですが、政治の不作為、中途半端な対応や逆行です。
・先進国では唯一の膨大な赤字を抱えている国
・今後とも財政が厳しくなると判っているのに、他の先進国が採用している極端に低い所得税率
・少子高齢化が世界で一番進むことが判っているのに、やっと対症療法だけに取り組み始めただで、少子化に対しては殆ど手つかず。
・資源と言えば人材しかないのに他国に比して少ない教育予算や、ゆとり教育の名の元の教師の(形は自宅勤務や研修となってるが長い夏休み、年末年始の休み春休みに加えての)土曜日勤務の廃止
・海外からの人材導入のための魅力在る大学作りの遅れ
・そして国民の誰もが反対しない、そしてどの党も毎回の選挙の公約にしている国会議員の定数削減
これでは植民地支配時代の末期に日本が遅まきながら領土拡大を図って、世界大戦になる一因となり、結果的には植民地開放の引き金を引くと言う大きな世界的に貢献をしたのに、戦争犯罪の国として問われている、政治の責任に対する反省が全くないように思えてなりません。
そしてまた思い出したような憲法改正の議論です。
そして今までの経過から見れば、毎年同じ議論が交わされて一歩も進まない状況が続くのでしょう。
私は憲法改正で9条が問題になるのなら、それは一応そのまま置いて他の国民の納得の得られる項目の改正から手を着けるべきだと思うのですか。
それさえ反対するのは、憲法改正の流れがいずれ9条まで及んでくるからと言う理由だそうです。
私は共産党や社民党が、私が先に書いた大戦のことを理由に憲法改正反対を主張するのは(その賛否や当否は別にして)判りますが、それだけの理由で憲法改正を反対しそのまま半永久的に置き、時の政府が無理やりに憲法解釈を変えて、当面の事態の処理に当たらせようとするのは、政治家の責任を放棄するもので、彼らは革新政党ではなくて、超保守的な政党と思うのですが。
そしてそんな少数の政党の反対で何もできない民主、自民他の改憲賛成の政党。
面倒なこと票にならぬことは全て先送りと言う名で放置する?
それで政治家は責任を果たしている積りどしょうか?
そんな政治家を持つ日本の将来はどうなるのでしょうか?
心配性の私は憲法記念日が来るたびにいつもおんなじことを思っています。
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