普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

子供の日によせて・荒れる学校

2010-05-06 14:40:43 | 教育

 私の「石原都知事が嘆く若者気質」のブログにオハイオさんと言う米国在住の方から貴重なコメントを頂きました。
 確かに日本の現在の若者のひ弱さと危険さには目を覆いたくなるものがあります
 しかしいつの世もそういう子供たちを作ったのは大人だということです。私はアメリカ居住で、豊かな国ですが、若者の自立心は今なお旺盛です。18歳になれば、ほぼ全員家から出て行きます。たとえ大学が家から近くても、寮に入る子供がほとんどです。就職して、家から弁当を親に作ってもらって、会社に行くなどということはまずありません。それは自立が大事だということを豊かな時代になっても、忘れずに社会、親が実行しているということです。また、日本も各親、祖父母がその気になれば出来るはずです。
 この文章を読んで私の追及しているテーマの一つの日本の教育の問題の一つをオハイオさんが指摘されいるのに気付きました。

[戦後教育の問題]
 戦後占領軍は日本に民主主義を中心とする新しい考え方を導入し、それに基づく憲法を日本に持たせました。
 個人の権利・自由・個性の尊重、プライバシーなどなど。
 そしてその一方神道や武士道など戦争に繋がるものとして否定しました。 (後に許されましたが。)
 勿論、被占領国の日本はそれを受け入れざるを得ませんでした。
 然し占領軍の本意は判りませんが、仮に善意であったとしても彼らは大切なこと忘れていました。
  米国の環境と日本の環境が全く違うことを無視したように見えることです。
  米国では今でもキリスト教が生活にしみこんでいます。
 日本では神道はいたしかたないとしても、当時まで国民生活に大きく関わってきた仏教までが戦後何故か判りませんが衰退してしまいました。
  そして日本が持っていた農村文化、神道や仏教に基づく美風は殆ど無視されていました。
  米国ではフロンティア精神があるのに武士道は否定されました。
  それとオハイオさんの指摘されたように米国の社会環境としては個人に自立心が強く自己責任の考えが浸透しています。
  つまり行き過ぎた権利や個性尊重の主張にブレーキを掛けるものとして、自己責任の考えがあり、それが他の個人と衝突したときには、訴訟社会と言う環境があります。 
  そして学校教育で教え切れない所は米国ではキリスト教による教えがありますが、戦後日本では事実上無宗教の世界になってしまいました。
  占領軍の施策で勢いづいたのが、今まで押さえ付けられた共産、社会主義思想を持っていた大学教授などの知識人や、共産党や社会党の影響を強く受けた日教組、全教などの教職員組合です。
  当時の私の象徴的な思い出は、教職員用の指導要領書を本屋で立ち読みしたときです。
  今の憲法には権利の規定があるが、(それに伴うべき)義務も責任も記述されていないのだと言う記述に本当に驚きました。
  その指導書にはこの記述以外に義務や責任の文字がないのに改めて驚きました。 
(生徒用の参考書には義務、責任の言葉を何度も見ましたが、上記の指導書を見た教師は権利ばかり教えていたのでしょう。)
 
最後のページに当時教科書裁判で名を馳せていた家永さんの推薦文を見てやっと納得が行きました。
  当時は教育の独立の名の元で半ば密閉社会同様の学校では日教組などが頑張っている一方、私を含む一般の国民は敗戦の虚脱状態から抜けきれませんでした。
 つまり戦後しばらくの間は教職員組合が自分達の考えのように児童・生徒を洗脳するには絶好の環境だったのです。
  詰まり米国から貰った先の考え方に伴う義務や責任と言うブレーキがないまま、日教組の人達は権利や自由や個性尊重などを教えていたのです
  私も子供達が学校で教えられたことに対する個人の権利などの素朴な疑問に、学校ではそう教えられているかも知れないが、家では権利などより家族の思いやりが大切だからと教えていましたが、その言い方にも力が無かったのを覚えています。
  勿論、占領軍撤退以後は日本は完全に独立国になったのですから、占領軍の教育政策の不具点など修正すれば良かったのですが、何故か殆ど修正はされませんでした。
  日教組などの権利重視、義務・責任の無視、お手手つないで一緒にゴールなどの横並び教育などの弊害や、(夏休みなど長い実質的な休日があるのに)ゆとり教育という名の土曜日休日獲得などの彼らのやり方は誰でも知っていることです。
  そして本格的な教育の見直しが始まったのは戦後から半世紀もたった、安倍さんの時代です。
  今モンスターペアレンツなどの言葉が流行り、学校でのいじめや荒れる学校などはもう当然のことのように語られています。
  その一因は日本の国情を無視した学校教育にあると思います。
  そして私のような多くの親達は学校で教えられたことの拙い点を子供に教え、それより日本の美風を守るべきだと子供達を教えたと思います
  然し一部の親達の中には大戦への強い反省から戦後の学校の教育をそのまま受け入れた人達もいるようです。
  そしてその親に育てられた子が、個人の権利や個性ばかりを主張する親になり、またその親が子供を育てるなど、戦後から2~3世代を経て荒れる子供やモンスター~が生れたのかもしれません。
 唯、幸いなことには「モンスター~」の数が少ないのはまだ日本には健全な家庭が多いことを示していることです。
 それを学校で言えば地域により、同じ地域でも学校により、同じ学校でも学級により荒れた状態が違う現象となっています。
  私ごとですが、年度が変わる度に教師をしていた私の娘にどこの学校に転勤になったか、その学校は荒れているか尋ねるのが習慣になっていました。
 私の友達に元・日教組の闘士(念のために書き添えますが彼は個人的にはとても人柄の良い尊敬すべき人です)がいますが、彼も良く荒れた生徒の対応に悩んで話しをして居ました。
 私は荒れた学校や生徒を産んだのも、教師がモンスターペアレンツに困らされているのも、権利重視、義務・責任の無視または軽視の教育をしてきた日教組にもその責任の一部を負うべきと思うのですが。

[鳩山政権と日教組]
 民主党が衆院選で大勝してその支持母体の日教組の勢いがまた増しそうな形勢です。
 彼らの全国一律の学力テストの範囲縮小は彼らの持論ですし、教育の責任を国から地方、地方から地域から学校に移す公約も日教組の主張に沿ったものです。
 彼らの本心はマスコミの眼が届かないに範囲を教育の責任と実施を分散させて、自民党の義家弘介さんが国会で明らかにした北教祖のように、後は民主主義の名の元で「吊るし上げ」とうによる校長などを圧迫して、自分達の主張を通そうとする戦略が見え見えです。
 私たちは鳩山政権の教育政策に対して何時も気をつけておく必要があるような気がします。
 一方、日教組は所属の教師が困らされている学力の低下、荒れた生徒、困った父兄を産んだ責任の一部は少なくとも自分達にもあることを直視すべきだと思います。
 学校の荒れた責任を今までの自民党政府や社会の所為などと、モンスターペアレンツのように自分のことを棚にあげて、他に責任を被せていては何時までも荒れた学校の問題は解決しないと思います。

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