私ごとですが、06年の5月17日にブログを開設してからもう4年になります。
その間多くの方に訪問して頂き、アドバイス、ご批判やご支持を頂きまして有り難うございました。
今までは開設の日にマイ・ブログの自己批判をしていましたが、今回はその発足の直接の動機であります教育問題について書いて見たいと思っております。
それまではボランティアのかたわら、兼ねてから疑問に思っていた、教育問題について書きためていたのを、少しづつ投稿していましたが、その中のハイライト?と思われるエントリーの概略を紹介します。 (なお括弧内の黒字は今日追記したものです)
[私が見てきた教育荒廃の歴史](6)
<戦後の教育に欠けていたもの>
敗戦後、アメリカは憲法から学校教育、社会教育に至るまで、全てのやり方と制度を変えてきました。
神道や武士道などは完全に否定され、民主主義や自由や権利が強調されました。
しかし戦後の教育の基本的について大きな見落としがありました。
それはアメリカの教育制度のベースにはイラク戦争の時に有名になった”ネオコン”でも判るように、社会生活から政治まで大きな力を持っているキリスト教があり、建国以来のフロンティア・スピリットやフェアプレイ、 (最近の健康保険制度改定の反対に見られる強い自己責任の考え方)などの社会を規制している考え方が(あったのに日本では次の実情を考えてなかったことです。)
<仏教の衰退>
日本では、それまで国民の生活のベースとなっていた仏教。神道を否定された中で、戦後の社会の教育環境の整備や、敗戦後の国民の精神の支えになるように一番頑張らなくてはいけなかった仏教も、時代の流れについて行けずに、すっかり衰え観光と葬式仏教となりました。
<自信を無くした家庭>
一方、国民全体も皆(敗戦で)自信をなくして、「忠義」の否定とともに、日本古来の(孝行、)親切、思いやり、和の精神、自然や他人に対する感謝の念といった美風さえ、権利、自由の考え方の前にすっかり影が薄くなり、親の説得力がなくなってしまいました。
<特定思想を持つ先生に純粋培養された生徒>
つまり戦後、日本では一部の家庭を除いては、学校以外に、社会での教育機能がすっかり無くなってしまったのです。
そして肝心の学校では熱心な先生方が中途半端な民主主義を教えており、 なお一層熱心な社会、 共産主義を信奉する日教組の幹部が先生方をリードしていたのです。
多様な価値観を持つ一般社会のブレーキもなく、 当時叫ばれていた教育の独立の名のもとで、 子供達は半ば隔離された状態で一部の人から見れば、 (権利重視、個性尊重、それに伴うべき義務や責任の無視または軽視という)バランスの取れない教育されてきたのです。
<教育改革の遅れ>
米国進駐軍が撤退した後の、日本自身が負うべき戦後教育にの責任は、理屈から言えば(当時の)文部省ですが、その他にも、良く引き合いに出される日教組だけではなく、マスコミ、宗教界、一般国民の全てにあると言うのが公平な見方でしょう。
与党にも大きな力を持つた中曽根さん始め、多くの人達テレビで教育の荒廃を嘆いているのに、 (安倍さんによる)教育基本法の改正がやっと出た、最近まで与党が教育問題に本格的に手を付けられなかったのは何故でしょう。
特に印象的だだったのは、元、日本社会党のベテラン議員で、女性の地位向上の運動で有名だった加藤シズエさんでさえ、テレビで教育改革の必要性を説いて居ました。
衰えたとはいえ、まだ学校教育に大きな影響力を持つ、日教組、それを支持する革新を名乗る超保守政党と、それを支持する全国紙を含む一部マスコミ、その報道をうまく利用している一部の国(中国、韓国)に遠慮していたのでしょうかね。
<教育の荒廃から社会劣化への道>
このように心ある人が嘆いている間、純粋培養された生徒が親になり、子供を産み、その子が成人して、その一部の人が、今、戦前では考えもつかなかった事件を起こしたり、また親になって、子供を産み、そしてその一部の子供たちが、今、学校で問題を起こしているのです。
[私の小さな経験]
私のブログには、悪化して行く学校環境の中で翻弄されて行く教師になったばかりの私の娘も出るのですが、彼女も何とか成長し教頭になりそして夭折してしまいました。
それまで毎年の転勤の話がでるたびに荒れてない学校に行かないように祈っていましたが、幸い最後の小学校は校長以下の先生も皆良く、地域の協力もあり市内でも珍しい落ち着いた学校だそうで娘も自慢していました。
そのためか私に似たお人好しの娘でも100%以上の仕事が出来たようで、思いもかけぬ人達の娘の思いがけない業績を讃える弔辞、(教頭では考えられないと先生方が言う)2クラスの生徒全員が参列するなど盛大な葬式でした。
その後、何故か娘を尊敬する若い教師と話しをする機会がありました。
私は偉そうに、上記のような私の持論を展開し、戦後殆ど改善されない教育方針、日教組などの強い影響の中で、家庭では昔の日本の美風を忘れない親が多い中で、戦後教育を心酔した少数の親などのばらつきがあり、それが親になり、子を産みで全国に拡散したために、地域により荒れた学校やそうでもない学校、同じ学校でも荒れたクラスとそうでも無いクラスなどばらつきがあるのだろうと話したことがありました。
私の素人考えにその女性教師はほぼ賛成して呉れましたが、それに付け加えて発言は意外なものでした。
「 (娘が最後に奉職した)その小学校の卒業生は、他校の卒業生に比べて進学先の中学校で就学問題でトラブルを起こす率が高いそうです。」
つまり平穏な理想的な学校で育った小学生は、荒れた中学校での対応能力が低いというか、免疫性がないと言うのです。
そんな馬鹿な!!!
理想的な学校を出たばっかりにトラブルに逢うなんて!!!
私の素人の持論は現実の前にギャフン!!!
然し、それでも私の持論は正しいと思っています。
それと似たことがあります。
横並びに教育を受けた生徒が、競争社会に出て耐えられないこと、将来のことを訊かれて「別に」と応える生徒。外国への留学生の減少に見られる覇気をなくして学生。
対策もはっきりしています。
私の娘がいた小学校の問題も荒れた中学校を作らないこと
後の全ての問題も教育のやり方わ変えること
そしてその責任は文科省から教職員組合、教師全てが負うべきことです。
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