沈黙の代償
中学生の時のことである。その日は英語のテストの返却日だった。当時私は英語を得意としており、勉強も頑張っていた。英語担当のK先生はユニークな人で好きだった。そんなK先生に良いところを見せたいという気持ちもあったのだった。返却の時、K先生がニヤリと笑った。テスト用紙の右肩には100とあった。
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テストの解説が始まる。自分の解答を確かめながら、K先生の解説を聞いていた。”get”の使い方だったと思う。採点ミスがあり、不正解のはずがマルになっていた。100点は逃したが高得点には変わりない。解説が終わったら申し出ようと思っていたが、解説の最後にK先生は「今回は1人だけ100点がいました」と言い、私をチラリと見て、またニヤリとした。幾人かの同級生にはそれで伝わったらしくヒソヒソと声が聞こえる。私は採点ミスを言い出せなかった。
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このことを思い出したのは、「もしかしたらそれがきっかけかもしれない」と思ったからだ。褒められると居心地の悪いような、ズルをしているような、ある種の罪悪感を感じることの。今の自分だったら、あの日の自分にどんな言葉をかけるだろうかと考えるのだが、納得できる言葉が全く思いつかないのだ。
【波風立男氏談】連続の学習帳が嬉しい。その喜びを記念して、あの腹ペコさん、豆太郎君との家族写真を表紙に。人生最後の回想は、青信号を待つ時間より少し長いぐらいの記憶と読んだ小説にあったが、こういうものかもしれない。波風氏は中学校の時に、体育の筆記テスト(100問記号選択)で、1問目の答えに苦労して2問目の回答欄にそれを書き本当は99点だったのを0点にしたことがあった。