読んでから、聞いてから、時間経ったが余韻がまだ残っている2人の言葉。
まず、故なかにし礼氏の最新刊『愛は魂の奇跡的行為である』(毎日新聞出版)、キャッチコピー「反戦とエロスの孤高の巨星」を実感。テレビでしか知らないが、歌謡曲の作詞家というより得体知れない危険人物だと思っていたが、予想を遥かに超えていた。若い頃、7人の女性とかわるがわる遊んでいたが面倒になり一軒家に住まわせて暮らしていた話に笑ったが、人間的な妖しい魅力と構えが昔から尋常で無かったのだろう。
特に唸ったのは、小林秀雄が戦争協力者であり狡猾な人物と見抜けなかった自己の愚かさへの言及、加藤周一の天皇制批判と『九条の会』への賛同、そして平成天皇の政権に対する抵抗を評価しつつ平和憲法の尊重と遵守の表明。芸能の中心人物が音楽はもちろん文学、絵画、映画演劇を縦横に論じ、その根底で正しい政治ときっちり通じている嬉しさは格別。そして、選び抜いた言葉がとてもわかりやすい。素直で親切な人だ。前にも書いたが、愛という感情を魂の行為と言い切る、わかったようでわからない標題(笑)が読後もさまよい続けている。
もう1人は、『ラストアルバム』を出した小椋佳。その中の『もういいかい』にある「平等理念に背く憲法」「信頼する政治家には会わずじまい」の言葉。インタビューで「若い頃は疑問形の歌詞で良かったけど、年を重ねてくるとピリオドを打てる文章にしないといけない・・・護憲か改憲かではなく、憲法に書かれた言葉の矛盾が納得できない」に感心する。『もういいかい』と『まあだだよ』の呼応する言葉には、二重三重の意味が込められている。ようだ。自分の人生とこの国のこと、安心してていいことと気がつかなければならないこと、思うことと行動すること・・・・。
2人の凄さは、与えられた仕事をきちんとやり遂げながら、自分のやりたいことをやり遂げていること。だから、「この人の言うことなら」と大勢の人に愛され受け入れられている。晩年になっても枯れないもの言いが好きだ。才能があったと言えばそれまでだが、極めて希な才能と庶民の人間性を求める文化本能が呼応したとき、芸能という商業主義の戦争状態みたいな分野でも、こういう人間的な奇跡が生まれることを反芻。
前からこの2人を並べて書いておきたいと思っていた。やっと書けた 今月の『ほんのおつきあい』は引き続き休会します。他地域往復したりワクチン接種2回目(副反応恐い)あったりで。メールによる読書感想募集は行います。詳しくは明日のブログで。