電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

明治維新と近代化を担う人材の養成

2014年09月07日 06時02分02秒 | 歴史技術科学
英語では、明治維新を何というのか調べてみると、"the Meiji Restoration" というのだそうです。revolution ではなく restoration ということは、権力の所在がどこに移ったかに注目した、返還・修復・復元といったイメージなのでしょう。たしかに、1867年の大政奉還や1869年の版籍奉還などはその語のイメージに合致します。

でも、王政復古の大号令は建前として掲げたものの、1871(明治4)年の廃藩置県や翌1872(明治5)年の地租改正などの明治初年の中央集権化と、それをベースに行われた数々の近代化政策は、レストアとは違うでしょう。たとえば明治4年の郵便制度や円を導入した通貨制度の発足、明治5年の学制改革と徴兵令あるいは鉄道の開通、井上馨が携わった翌年の耶蘇教禁制の撤廃など、近代国家の形を作ろうとした一連の動きは、復古ではありえません。

中学や高校で習った日本史における政治的な動きは、実は元テロリスト(^o^;)みたいな明治の元老たちの権力争いのように思えてしまいますし、表面的な枠組みは作ったものの、実質的な中身を作り、運営するには、薩長の元志士たちだけではできなかったのだろうと思われます。では、近代的な制度を運営する人々を養成するには、どうすればよいのか?

その答えは、おそらく
(1) 旧幕時代の実務家の登用
(2) 外国人教師の招聘
(3) 留学生の派遣
(4) 学校の教育内容の整備
などであったろうと思われます。

このうち、(1)の旧幕時代の実務家の登用は、蘭学・洋学の蓄積が背景にありました。
(2)の外国人教師の招聘や(3)の留学生の派遣には、薩長の密航留学生や、彼らをあっせんしたジャーディン・マセソン商会、グラバー商会の縁がありました。
(4)の学校の教育内容の整備は、教科書の作成や教材教具・施設設備などはすぐ思いつきますが、実は明治初年の日本の現実の中で、何をどのような順序で教育していくべきかという教育的識見が最も重要であったろうと思われます。外国人教師や留学生たちが、自分の趣味嗜好や思い付きで構想したのではない、というところが重要でしょう。

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