ステレオ初期の音源が次々にパブリック・ドメインになり、若い頃には手が出なかった録音も、かなり自由に選んで聴くことができるようになりました。たとえば、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルが演奏するモーツァルト「交響曲第29番イ長調」K.201、1959年のステレオ録音です。
この曲は、後の三大交響曲とは違い、一般的な知名度はそれほど高くはないと思いますが、でもたいへん魅力的な音楽です。そして、1959年といえばカラヤンがまだ若く元気だった頃、トスカニーニ流でフルトヴェングラーに対抗し、1955年のフルトヴェングラーの急逝により、ついにベルリンフィルを手中にして4年が過ぎた時期の録音です。
Wikipediaによれば、モーツァルトが18歳にあたる1774年の4月6日に、ザルツブルグで完成されたとあります。イタリア風の様式から脱却しつつあった頃のもので、10代の作品の中では第25番とともに人気のある作品なのだとか。楽器編成は、オーボエ(2)、ホルン(2)、弦5部。
第1楽章:アレグロ・モデラート、イ長調、2分の2拍子、ソナタ形式。ふんわりとやわらかな、優しい表現です。
第2楽章:アンダンテ、ニ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。誰だろう。オーボエの音色が素晴らしい。
第3楽章:メヌエット~イ長調、トリオ部~ホ長調、複合三部形式。ここはほんとにベルリン・フィルの威力を感じます。
第4楽章:アレグロ・コン・スピーリト、イ長調、8分の6拍子、ソナタ形式。堂々とした響きのフィナーレです。
ふーむ。レガートに傾斜した後年のカラヤンの様々な演奏・録音と比べると、実にふわっと軽やかで、オーケストラの大きさをあまり感じさせません。もちろん、低弦を響かせるところなどは、しっかりとベルリン・フィルの威力を発揮していますが、全体に夢見るようなやわらかな気分に満ちています。
○
廉価盤が主体だった若い頃は、グラモフォン中心のカラヤンのレコードなんぞはそれこそ「高値」の華で、貧乏学生の手に入りやすいものではありませんでした。したがって、カラヤンのレコードなどは接する機会が少なく、比較的お小遣いに余裕ができた中年期以降に聴き馴染むようになりました。そんな程度の経験ではありますが、カラヤン氏、どちらかといえばオペラ的な劇的な音楽を得意としていたように思います。何かで「モーツァルトはあまり得意ではない」と言っていたという文章を読んだ記憶がありますが、後にザルツブルグ音楽祭を主宰するようになるくらいですから、あながちビジネス的視点からばかりではなく、モーツァルトの音楽自体は好きだったのでしょう。この録音などは、カラヤンのモーツァルト像をよく表しているように感じます。
この曲は、後の三大交響曲とは違い、一般的な知名度はそれほど高くはないと思いますが、でもたいへん魅力的な音楽です。そして、1959年といえばカラヤンがまだ若く元気だった頃、トスカニーニ流でフルトヴェングラーに対抗し、1955年のフルトヴェングラーの急逝により、ついにベルリンフィルを手中にして4年が過ぎた時期の録音です。
Wikipediaによれば、モーツァルトが18歳にあたる1774年の4月6日に、ザルツブルグで完成されたとあります。イタリア風の様式から脱却しつつあった頃のもので、10代の作品の中では第25番とともに人気のある作品なのだとか。楽器編成は、オーボエ(2)、ホルン(2)、弦5部。
第1楽章:アレグロ・モデラート、イ長調、2分の2拍子、ソナタ形式。ふんわりとやわらかな、優しい表現です。
第2楽章:アンダンテ、ニ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。誰だろう。オーボエの音色が素晴らしい。
第3楽章:メヌエット~イ長調、トリオ部~ホ長調、複合三部形式。ここはほんとにベルリン・フィルの威力を感じます。
第4楽章:アレグロ・コン・スピーリト、イ長調、8分の6拍子、ソナタ形式。堂々とした響きのフィナーレです。
ふーむ。レガートに傾斜した後年のカラヤンの様々な演奏・録音と比べると、実にふわっと軽やかで、オーケストラの大きさをあまり感じさせません。もちろん、低弦を響かせるところなどは、しっかりとベルリン・フィルの威力を発揮していますが、全体に夢見るようなやわらかな気分に満ちています。
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廉価盤が主体だった若い頃は、グラモフォン中心のカラヤンのレコードなんぞはそれこそ「高値」の華で、貧乏学生の手に入りやすいものではありませんでした。したがって、カラヤンのレコードなどは接する機会が少なく、比較的お小遣いに余裕ができた中年期以降に聴き馴染むようになりました。そんな程度の経験ではありますが、カラヤン氏、どちらかといえばオペラ的な劇的な音楽を得意としていたように思います。何かで「モーツァルトはあまり得意ではない」と言っていたという文章を読んだ記憶がありますが、後にザルツブルグ音楽祭を主宰するようになるくらいですから、あながちビジネス的視点からばかりではなく、モーツァルトの音楽自体は好きだったのでしょう。この録音などは、カラヤンのモーツァルト像をよく表しているように感じます。