電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

空想をあきらめるのは希望がないから、もしくは絶望しているから

2020年01月08日 06時04分46秒 | Weblog
空想は、「ありうるかもしれない」未来を描きだすことができます。希望がない、あるいは絶望している人は、空想はできないのかもしれません。「ありえない」と空想を否定する心性は、その根底に希望がない、もしくは絶望があるのかも。

「もし、実際に起こったらどうなるのだろう?」

それを空想するのは楽しいものです。多くのファンタジーやライトノベルは、そこに立脚しているものが多いように思います。もちろん、上品か下品か、表現の上手下手などに、かなりの多様性はあるでしょうけれど。

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