電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山形交響楽団第283回定期演奏会をライブ配信で聴く〜シューマンとチャイコフスキー

2020年03月15日 06時10分58秒 | -オーケストラ
新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐために、様々な催し物が中止あるいは延期になる中、山形交響楽団は定期演奏会の無聴衆ライブ配信という選択をしました。さて、どんなふうに実施されるのか興味深い第283回定期演奏会は、次のようなプログラムです。

  1. シューマン 序曲とスケルツォ、フィナーレ 作品52
  2. チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 神尾真由子(Vn)
  3. シューマン 交響曲第2番
     指揮:阪哲朗、山形交響楽団

おそらく初めて聴いたという方も少なくないことでしょうから、当方の演奏会レポートもちょっと趣向を変えて、あまりクラシックの演奏会などに馴染みのない方を想定して、少し説明的にやってみたいと思います。

まず、演奏前に西濱事務局長と今回の指揮者の阪哲朗さんが登場して話をしましたが、これは山響の恒例のプレコンサートトークというもので、プログラムの曲目について、作曲家や作品の聴きどころなどが話題になることが多いのですが、今回はライブ配信となったことやサーバー事情が中心となっていました。

続いて演奏家が登場して配置につきますが、今回の楽器編成と配置は、ステージ左から第1ヴァイオリン(1st-Vn:8)、チェロ(Vc:5? 6?)、ヴィオラ(Vla:5? 6?)、第2ヴァイオリン(2nd-Vn:7)、そして左奥にコントラバス(Cb:3)という弦楽5部で、こういう形を第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に分かれて位置するため、両翼配置と言われたりします。古典派やロマン派の時代は、こういう配置を取ることが多かったそうです。なお、数字はその楽器の人数です。
正面奥には、木管楽器として前列にフルート(Fl:2)とオーボエ(Ob:2)、その奥にクラリネット(Cl:2)とファゴット(Fg:2)が、さらにその奥には金管楽器のホルン(Hrn:2)、トランペット(Tp:2)、トロンボーン(Tb:3、うち1はバストロンボーン)、右奥には音の抜けが良いバロック・ティンパニという配置です。
また、ホルンやトランペットも、大きな音量は出ないけれども自然な響きの、バルブのないナチュラル・タイプの楽器が使われています。このあたりは、作曲された時代に使われていたものとできるだけ同じタイプの楽器を用いることで、よりよく作曲家の意図を表現しようという演奏家の意欲の現れかと思います。



1曲め:シューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ」Op.52 です。Op. というのは Opus の略で、作品番号を意味します。山響ホームページからダウンロードしたプログラム冊子の解説によれば、本作品は1840年にクララと結婚できて大喜びのシューマンが、「交響曲の年」と呼ばれる翌1841年に作曲したもので、緩徐楽章を欠いているけれども「立派な交響曲」とのことです。
実際の演奏のほうは、聴衆が入らない環境での演奏家のとまどいや、聴衆が入らないことから通常とは異なるホールの響きにマイクロフォンやミキサーがどう対応するかなど、随時調整しながらの出だしでしたが、次第に調子が上がってきたようでした。

演奏が終わった後で、ステージ左側の第1ヴァイオリンやチェロ奏者が席を立つのは、椅子と譜面台を少し後方に下げることで協奏曲のソリストが立つスペースを確保するためです。この時間に、女性が指揮台に譜面を運んでいますが、これは楽譜の調達や管理を専門に行うライブラリアンという役割だそうです。また、ティンパニがバロック・ティンパニからモダン・ティンパニに変更されていますが、これは次の曲目、チャイコフスキーの時代には、モダン楽器に変化していたことに合わせるためでしょう。同様に、金管楽器奏者も右袖に引っ込みましたから、たぶんホルンやトランペットなどがバルブのついたモダン・タイプの楽器に持ち替えるためではないかと思われます。このように、作曲された時代の様式に合わせて楽器が選ばれ、響きが変わるのを楽しめることも、山響の特色となっています。

2曲めは、ホルンが4本に増強され、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、独奏者(ソリスト)は神尾真由子さんです。2007年のチャイコフスキー国際コンクール優勝者で、文字通り世界的な名演奏家ですが、大勢の聴衆を迎えて演奏会を開くことができない中で初の無聴衆ライブ配信という今回。演奏の始まりで、もう「いっぱい思いの詰まっているチャイコフスキー」だなあと感じました。チャイコフスキーという作曲家自体、他人には言えない思いをしていた人なのだろうと思いますが、曲の持つ複雑な性格と、今回の演奏会事情と、演奏家の気迫とがあいまって、素晴らしい演奏となりました。第1楽章:アレグロ・モデラートの中で、オーケストラが休み、独奏者が自由に即興的に技巧を披露して見せる「カデンツァ」というところがありますが、ここも素晴らしい集中で、思わず惚れ惚れする見事なものでした。第2楽章の途中、独奏ヴァイオリンとオーボエやクラリネットとが交わす緊張感のある、しかし親密なやりとりは、なんとも言えず素晴らしい。第3楽章の盛り上がりは、ソリストとオーケストラの、プロの音楽家同士が互いに触発され力を発揮した真剣さが生み出したものでしょう。指揮棒が降ろされた後、ソリストをたたえる拍手がオーケストラの中から自然に出てきました。



そして独奏者アンコールは、J.S.バッハの「無伴奏パルティータ第1番」の第1楽章。これも素晴らしかった。オーケストラの団員が楽器を置いて手で拍手をするのは、最高の賞賛を表すものだと聞いたことがありますが、さもありなんと思えた状況でした。

ここで、演奏会の前半が終了し、団員、ソリスト、指揮者が一礼し、ステージからいったん下がります。届かないもどかしさを覚えながら、こちらも大きな拍手をおくりましたですよ!

休憩の間、同じCMが繰り返し流れます。ですが、休憩が何分間なのか、何時ころに再開されるのか、まったくわかりません。定期演奏会では「15分間の休憩です」というアナウンスが流れ、5分前のチャイムもなりますので、慌てて席に戻ることになりますが、今回はじめてクラシックの演奏会を聴く人にとっては、CMの間に「◯◯分の休憩、再開予定は◯◯分頃です」くらいは表示する必要があるのではないかと感じました。実際、第1曲めのシューマンでは「1.7千人」と表示されていたのが第2曲めのチャイコフスキーでは「2.3千人」となり、CMの間には「1.9千人」→「1.6千人」→「1.4千人」と減っていきました。私はトイレ休憩の後、サクランボ酒のお湯割りを手に、休憩中の西濱事務局長と指揮者の阪哲朗さんのトークを聞いていましたが、シューマンの病気の症状が小康状態にあった1845年に作曲されたこと、山形の、またオーケストラの印象などが話題になりました。なお、このときは「1.3千人」と表示されていました。

後半の部は、シューマンの交響曲第2番ですが、まずは音合わせ、チューニングから。オーボエが出す音を標準に、コンサートマスターの髙橋和貴さんが音を合わせ、これに続いて各パートの楽器が音を合わせて、あのサウンドが出来上がっていきます。このときのアクセス数は少し戻って「1.6千人」。シューマンの交響曲第2番が作曲された頃はまだナチュラルタイプの金管楽器が使われていたことから、ホルンはチャイコフスキーの4本から2本に減り、しかもバルブなしのナチュラル・ホルンになります。当然、トランペットやティンパニ等も当時のタイプのものに交替しています。指揮者は指揮棒無しで登場。ヨーロッパの歌劇場等で実績を積んできた常任指揮者は、やわらかい指揮ぶりの中で、シューマンの憧れに満ちた音楽を紡ぎ出します。第1・第2楽章は、アタッカといって楽章間の休み無しに続けて演奏されましたが、例えばスケルツォの軽やかな曲想のところは見事なアンサンブルを聴くことができましたし、第3楽章:アダージョ・エスプレッシーヴォはしっとりとした実に美しい音楽です。第4楽章:アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェは、堂々とした見事な音楽になっていました。このとき、アクセス数は「1.7千人」。

やったね! 無事に終演まで来れたね! いい演奏になったね! いろんな意味をこめて、指揮者は首席奏者たちと握手……じゃなくて肘をぶつけ合って、団員から笑い声も出る和やかな雰囲気の中で、終演。最後、みんなで聴衆のいない客席に向かって一礼したのは、おそらくネットの向こうにいる多くの山響ファン、音楽ファンへの挨拶であり、応援を願う気持ちの現れだったのではなかろうか。



ナマの演奏会でなく、インターネットを通じたライブ配信ということもあり、何枚かスクリーンショットを撮りました。ただし、演奏家には肖像権があり、それぞれの事務所が管理していると思われますので、当日の雰囲気を示すステージ全体の風景を何枚か、しかもごく小さくして挿入したいと思います。もし、支障があれば、コメントしていただければ削除いたします m(_'_)m

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