電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤沢周平『雪明かり』を読む

2020年03月29日 06時01分15秒 | -藤沢周平
講談社文庫で藤沢周平著『雪明かり』を読みました。2004年の秋に一度読んでいますから、16年ぶりの再読になります。文字のポイントが小さい昔の講談社文庫ですので、敬遠していた面がありますが、ふと表題作が読みたくなり、探し出してきました。

第1話:「恐喝」。竹二郎は、怪我をして痛みに耐えかねているところを助けてくれた娘を恐喝の魔手から逃がすために、本物の悪党と対決するはめになります。発表は昭和48年。
第2話:「入墨」。入墨者の卯助が、娘を痛めつけた悪党を瀬戸物の破片一つで倒したのは、おそらく親子の情からではないでしょう。風邪で伏しているときに世話をしてもらった娘に対する義理を返すもので、これまでの世渡りの闇の深さを思わせます。昭和49年。
第3話:「潮田伝五郎置文」。最後の視点の変化で、男女の関係はがらりと様相を変えます。潮田伝五郎の心情は相対化され、顧みられることはありません。小説として実にうまい。昭和49年。
第4話:「穴熊」。いかさま賭博ですってしまった浅次郎は、女郎屋で昔の恋人と面影の似た武士の妻女を買いますが、その理由が子供の喘息治療の薬代と知り、夫の塚本伊織と組み、一計を案じます。いかさま賭博を暴き、口止め料をせしめて大半を塚本に渡すのですが、伊織の妻は再び身体を売っていました。むしろ自ら積極的に。おそらく背景は儒教的禁欲主義に縛られた武士の夫婦関係にあったのでしょうが、どうも妻がのめりこむ性分だったようで、悲劇のもととなりました。昭和50年。
第5話:「冤罪」。勘定方で不正があり、組頭の非を咎めた相良彦兵衛が死にます。源次郎は真相を突き止め、娘の父親の冤罪は明らかになりますが、実直な兄夫婦の生活を破壊することにつながりかねません。源次郎は農家の養女になる明乃の婿に入り、武士を捨てることにします。昭和50年。
第6話:「暁のひかり」。長く寝込んで歩くのが不自由になり、早朝に歩く練習をしている娘と言葉をかわすようになり、腕のいい賽子賭博の壺振りの市蔵はまっすぐな娘の健気さが気に入っていました。娘があっけなく死んだ時、世間や運命というものにやり場のない怒りや憤りを覚え、絶望し、自暴自棄になったのでしょう。昭和50年。
第7話:「遠方より来る」。「友遠方より来る、また愉しからずや」が前提になっているのですが、曽我平九郎は多少の義理はあるけれど迷惑な客でした。小市民的現実を思わせる微苦笑。昭和51年。
第8話:表題となった「雪明かり」。兄妹とはいえ、菊四郎と由乃に血のつながりはありません。破格の養子縁組で芳賀家に入った菊四郎は、間もなく許嫁と縁組をすることになっています。しかし、義妹が嫁ぎ先で流産し養生もできずに虐待されているところを背負って助け出しますが、養家では以後会わないようにと冷たく言います。江戸に出た由乃は、義兄に行き先を書き残していました。闇の中で雪明かりがうっすらと見えるような佳品です。昭和51年。



作家が『暗殺の年輪』で直木賞を受賞する前後の作品です。ほの暗く、鬱屈や運命に対する憤怒が背景にあると感じるものが多いです。その点では、後年の明るさやユーモアには乏しく、好みは分かれるかもしれません。でも、切なさやリアリティの点では破格の作品ではあります。また、2004年の初読時には気づきませんでしたが、ここまで津波が来たということを示す「波除碑」を「入墨」の作中に取り入れていたことに驚きました。東日本大震災を経験したがゆえの、読者の視点の変化ということでしょうか。

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