山形新聞に連載されている佐伯一麦「Nさんの机で~ものをめぐる文学的自叙伝」は、これまでも何度か(*1)取り上げており、興味深く読んでおりますが、今月13日付の「孤独な執筆中、寛げる友」という回は、机上の小物についての話から、いつのまにか音楽の話題に転じるもので、当方の関心の方向と重なる部分がありました。
要するに、執筆に倦んだときには、机の上の銀の小鳥を眺めるのだとか。鳥の鳴き声に「法、法華経」とか「テッペンカケタカ」などの意味を持つ言葉をあてはめて「聞きなし」するのは、鳥の鳴き声を言語能力を司る左脳で聴く日本人の特徴であり、西洋音楽は鳥の声を音楽で表している、ということでした。そこで例としてあげられているのが、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第2楽章であり、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第1楽章であり、メシアンの「鳥の目ざめ」や「異国の鳥たち」などがある、という具合です。
○
随筆などの文章に、音楽について、とくに西洋クラシック音楽について言及されていたりすると、思わず親近感を感じてしまいます。ヘンな習性だとは思いますが、鉄道マニアが鉄道に関する随筆に親近感を覚えるのと同じようなものなのかもしれません。
(*1):左の検索ボックスに「佐伯一麦」と入れてこのブログ内検索をすると、けっこうこの連載記事の話題が出てきます。
要するに、執筆に倦んだときには、机の上の銀の小鳥を眺めるのだとか。鳥の鳴き声に「法、法華経」とか「テッペンカケタカ」などの意味を持つ言葉をあてはめて「聞きなし」するのは、鳥の鳴き声を言語能力を司る左脳で聴く日本人の特徴であり、西洋音楽は鳥の声を音楽で表している、ということでした。そこで例としてあげられているのが、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第2楽章であり、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第1楽章であり、メシアンの「鳥の目ざめ」や「異国の鳥たち」などがある、という具合です。
○
随筆などの文章に、音楽について、とくに西洋クラシック音楽について言及されていたりすると、思わず親近感を感じてしまいます。ヘンな習性だとは思いますが、鉄道マニアが鉄道に関する随筆に親近感を覚えるのと同じようなものなのかもしれません。
(*1):左の検索ボックスに「佐伯一麦」と入れてこのブログ内検索をすると、けっこうこの連載記事の話題が出てきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます