昭和40(1965)年に中学生となった筆者は、科学部に入部しました。大学に進み自然科学の研究者になるのが夢であったために、小学校にはなかった二つの理科実験室と準備室にはワクワクするような宝の山と感じました。交流100V を直流にする電源装置があり、電流計や電圧計が何台も並び(*1)、ビュレットやピペットなど小学校では使わなかったガラス器具が整備されている第1理科室は、物理・化学の第1分野を対象とするもので、コンクリートの床に各生徒用実験卓には流し台とガスバーナーが設備されていました。一方、生物・地学領域を扱う第2分野を対象とする第2理科室は板張りの床で、生徒用の実験卓と器具棚のほかに等身大の人体模型が立っていて、入ったばかりの中学生の度肝を抜きました。
この科学部には何人かの三年生が先輩として活動しており、中庭に岩石園を造るなど熱心に活動していたM先生を顧問に、「トゲウオの研究」をテーマとして飼育観察を試みていましたが、残念ながら夏場の水温のコントロールがうまくできず、死滅してしまったようでした。それでも、この先輩たちと一緒に顧問の先生が引率してくれて夏休みに白髪山登山を敢行し、シャクナゲと草原の山頂に並んで記念写真を撮ったのが良い思い出です。
この先輩たちが卒業した後は、顧問のM先生の転勤もありましたが、2年生部員がいないため1年生の私が部長となり、運動部をやめて増加していた部員たちがそれぞれ個人であるいは数人のグループで研究テーマを決めて研究をすすめることとしました。後任の顧問は放任主義で、準備室をかなり自由に生徒に使わせてくれましたし、先生用の実験書なども読ませてくれました。しかし、研究テーマの設定というのは意外に難しいものです。そこで、学校の近くを流れる河川をフィールドに設定し、これに関わるものならば何でも良いことにして、「◯◯川の総合調査」と銘打って研究を進めることにしました。アイデアを出し合って工夫した当時の仲間の研究テーマとして今でも記憶に残るのは、例えば
などです。大部分はこの河川とは直接の関わりはなく、それぞれの興味関心に基づくものなのですが、材料をこの川から入手したり、調査対象のフィールドであったりして、なんとか格好をつけることができました。
これらの共同研究テーマと並行して、私自身の個人研究も進めておりました。化学反応式の係数は何の比を表しているのかというもので、当時の表記で表せば第二鉄イオンFe3+とフェロシアン化物イオン[Fe(CN)6]4-の沈殿反応を題材に、モル比を表すらしいということを結論付けるものでした。同時にごく薄い濃度では沈殿ではなくコロイドになることを発見し、中学2年生の夏?に借りた高校化学の教科書が愛読書で、化学量論を独力で理解できたのも、ひとつひとつ実験を積み重ねていくやり方が効果があったと実感として感じました。
今思えば、実に熱心に活動していたものと思いますが、中学生の熱意を支えるような社会的な背景もありました。例えば
おそらく、NHKの「みんなの科学 たのしい実験室」の人気も、山形県の「小さな芽キャンペーン」の実施も、科学技術立国を掲げた当時の社会風潮を反映したもので、全国的に同様な催しが行われていたのでしょう。
(*1): 後日談:娘が中学生になった時、授業参観で母校の中学校の理科室を訪れる機会がありました。その時に驚いたのは、電流計や電圧計、解剖皿など昭和30年代の理振法のシールが貼られたあの頃のものをまだ使っていることでした。驚き呆れて、当時の科学部員で市役所のけっこうな役職にあった友人に「こんな状況だったよ」と話をしたところ、翌年に理振法の補助の予算がついたとのことでした。モノを大事にするのはいいけれど度が過ぎている状況の背景には、備品だからと実験器具一つ一つにシールを貼って台帳で細かく管理する方式があると思われ、戦後の物不足の時代ではあるまいしあまりにも時代錯誤なやり方ではないかと感じたものです。
(*2): 理科大好きっ子のお気に入り〜「みんなの科学 たのしい実験室」〜NHKアーカイブス
この科学部には何人かの三年生が先輩として活動しており、中庭に岩石園を造るなど熱心に活動していたM先生を顧問に、「トゲウオの研究」をテーマとして飼育観察を試みていましたが、残念ながら夏場の水温のコントロールがうまくできず、死滅してしまったようでした。それでも、この先輩たちと一緒に顧問の先生が引率してくれて夏休みに白髪山登山を敢行し、シャクナゲと草原の山頂に並んで記念写真を撮ったのが良い思い出です。
この先輩たちが卒業した後は、顧問のM先生の転勤もありましたが、2年生部員がいないため1年生の私が部長となり、運動部をやめて増加していた部員たちがそれぞれ個人であるいは数人のグループで研究テーマを決めて研究をすすめることとしました。後任の顧問は放任主義で、準備室をかなり自由に生徒に使わせてくれましたし、先生用の実験書なども読ませてくれました。しかし、研究テーマの設定というのは意外に難しいものです。そこで、学校の近くを流れる河川をフィールドに設定し、これに関わるものならば何でも良いことにして、「◯◯川の総合調査」と銘打って研究を進めることにしました。アイデアを出し合って工夫した当時の仲間の研究テーマとして今でも記憶に残るのは、例えば
- 河原の中で腐肉に集まる昆虫を調べる コーヒーの空き瓶を河原に埋め、中に入れたチーズやハム等に集まる肉食性昆虫の種類と数を調べる。
- 空中花粉をつかまえる グリセリンを塗ったスライドガラスを一定時間放置し、顕微鏡で観察して風媒花の花粉を見つける。高校進学後にメチルグリーンで染色すると見つけやすいことを知り、悔しがった。
- 植物体中の鉄分を調べる アカザ等の植物の葉を乾燥し、るつぼで焼いて灰を硝酸に溶かし、フェロシアン化カリウム水溶液で青色を検出、比色法で標準溶液と比べる。
- サクラのてんぐ巣病について てんぐ巣病の枝と正常枝に付いた葉の縦横の寸法を実測し、幹側から枝先までの縦横比の分布を調べることで、今風に言えば植物ホルモンの分布異常を推測したもの。
- 太陽黒点の移動と変化 学校の天体望遠鏡で白紙に投影して太陽黒点の大きさと移動を記録する。
- トノサマガエルの孵化と成長 水槽に卵塊を入れ、孵化してからオタマジャクシが陸に上がるまでを飼育観察する。
などです。大部分はこの河川とは直接の関わりはなく、それぞれの興味関心に基づくものなのですが、材料をこの川から入手したり、調査対象のフィールドであったりして、なんとか格好をつけることができました。
これらの共同研究テーマと並行して、私自身の個人研究も進めておりました。化学反応式の係数は何の比を表しているのかというもので、当時の表記で表せば第二鉄イオンFe3+とフェロシアン化物イオン[Fe(CN)6]4-の沈殿反応を題材に、モル比を表すらしいということを結論付けるものでした。同時にごく薄い濃度では沈殿ではなくコロイドになることを発見し、中学2年生の夏?に借りた高校化学の教科書が愛読書で、化学量論を独力で理解できたのも、ひとつひとつ実験を積み重ねていくやり方が効果があったと実感として感じました。
今思えば、実に熱心に活動していたものと思いますが、中学生の熱意を支えるような社会的な背景もありました。例えば
- 小学校時代に、学研の「学習」「科学」などの雑誌を購読していた生徒が少なからずいて、多くの生徒が理科実験観察に漠然とした憧れを持っていました。
- 夕方のNHK教育テレビには「楽しい実験室」というテレビ番組があり(*2)、毎週さまざまなテーマで研究のヒントやトランジスタ工作などを紹介するだけでなく、返信用切手を同封して申し込めば番組内容を完結に記載した資料が郵送されてくるのでした。当時の番組制作には、SONYの技術者も協力していたそうです。
- 読売新聞社の学生科学賞というレベルの高いコンクールもあり、村山農業高の生徒が「トゲウオの研究」で文部大臣賞を受賞、米国で発表してきたと話題になりました。これも農業高校という設備とノウハウがあっての飼育観察かと想像して、同じ研究テーマでも環境というのは大事だと感じていました。
- 寄せ集めの性格の強かった自分たちの共同研究は、学生科学賞のシャープな審査にたえるものではないと考え、三年生の時に当時行われていた山形新聞・山形放送主催の「小さな芽キャンペーン」という科学研究募集に応募したところ、私の研究が個人研究の部で入賞し、部としての共同研究は学校特別賞を受賞することができました。
- このときの副賞がカラーテレビとOlympusの顕微鏡、それに協賛各社の製品で、大量のお菓子が学校に届き、遠足以外に学校にお菓子を持ってきてはいけない中学生の世界で、生徒全員が一人一人チョコレートやビスケット等の菓子をもらって、「科学部ってスゴイことをやったんだ!」と驚かれました。スポーツ以外でもヒーローになれたことに部員たち皆が鼻高々だったと記憶しています。
- 地区の中学校の科学研究発表会が毎年開かれており、各校が競い合って発表していました。発表されるテーマ数もかなり多く、複数の分科会場に分かれて発表されるような盛況でした。
おそらく、NHKの「みんなの科学 たのしい実験室」の人気も、山形県の「小さな芽キャンペーン」の実施も、科学技術立国を掲げた当時の社会風潮を反映したもので、全国的に同様な催しが行われていたのでしょう。
(*1): 後日談:娘が中学生になった時、授業参観で母校の中学校の理科室を訪れる機会がありました。その時に驚いたのは、電流計や電圧計、解剖皿など昭和30年代の理振法のシールが貼られたあの頃のものをまだ使っていることでした。驚き呆れて、当時の科学部員で市役所のけっこうな役職にあった友人に「こんな状況だったよ」と話をしたところ、翌年に理振法の補助の予算がついたとのことでした。モノを大事にするのはいいけれど度が過ぎている状況の背景には、備品だからと実験器具一つ一つにシールを貼って台帳で細かく管理する方式があると思われ、戦後の物不足の時代ではあるまいしあまりにも時代錯誤なやり方ではないかと感じたものです。
(*2): 理科大好きっ子のお気に入り〜「みんなの科学 たのしい実験室」〜NHKアーカイブス
テーマが随分とレベルが高いです。自分の教えた子たちはなかなかここまでいきません。
電圧計、電流計のお話がありました。身につまされる話題です。私の今の仕事が関係しているので、ご指摘ごもっともなのです。理科教育振興法(理振)で予算をもっと使うといいのですが、、、、
■1). 新制中学(現在の制度)下の昭和40年代初頭の時点で、電解式・アボガドロ数単位・化学量論を研究テーマにする中学生の存在!
■2). 現在の中学生は、2年で「グリセリン」「カエルの孵化」「オームの法則」、3年の最後に「太陽黒点の移動=”太陽は球体”」「天体望遠鏡と太陽投影板の扱い」を、人生初めて目にします。これらを手玉に取る「科学部」の研究テーマの何という広汎さ!
■3. 現在の理科室備品が昭和30年代のものだった!(笑)
■narkejpさんは、やはり、手塚治虫も顔色を失うような自然科学を愛する少年だったのですね!う~ん、すごいです!(呆然)