電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

インターネットで「プロムス2006」を聞く

2006年07月18日 06時39分42秒 | -室内楽
プロムスというのは、プロムナード・コンサートに由来する、英国の楽しい音楽祭。インターネットで各種ラジオ放送を楽しんでいますが、その中の BBC-3(*) で「プロムス2006」が紹介されており、いつも聞く「3 for all」から「Proms 2006 - PCM 1」というのを選択してみたところ、ピンポーン!大当たり。
曲目は、エッシェンバッハのピアノを中心として、

Schumann - Three Romances for oboe and piano, Op.94,
Stravinsky - Three Pieces for solo clarinet,
Poulenc - Sonata for clarinet and bassoon,
Mozart - Quintet in E flat major for piano and wind, K452.

というものです。

キングズ・イングリッシュでの女性の紹介アナウンスの後、シューマンの「三つのロマンス」が始まります。ひなびたオーボエの音色が寂しそうに響き、ピアノがそっと支える、といった風情でしょうか。

パソコンに接続した小型スピーカですので、音響的な楽しみというのは無理ですが、ラジカセのFM放送で聞く程度には楽しめます。私の Mozilla Firefox 1.5 で、NHK-FM に頼らずに「プロムス 2006」が聞ける・・・いい時代になったというべきか、恐ろしい時代になったというべきか。これも「フラット化」現象の一つでしょう。

(*):インターネット・ラジオ BBC-3 classical
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キーワードは「ギター」ではなかったようだ

2006年07月17日 16時01分58秒 | コンピュータ
「ロマンティック・ギター名曲集」というクラシック音楽の記事に対し、エレクトリック・ギターの激安販売というトラックバックが来るシュールさ(?)を記事にするとともに一定の対策を講じたが、その後も歓迎せざるトラックバックが思い出したようにやってくる。「ギター」を「ギ*タ*ー」にマスクしただけではダメなようだ。しかも、「傷のある音楽CDの再生について」という記事にも「ギター音楽」という語があるのに、こちらにはトラックバックが来ない。すると、キーワードは単なる「ギター」ではない、ということだ。
そこで、ギターという楽器に特有の語で、他の記事には用いられていず、この記事にだけ登場するものとして、「ギタりスト」と「サうンドホール」という語に着目し、アスタリスク(*)でマスクしてみたが、やはり同様のトラックバックがやってくる。どうやらアスタリスクによるマスクも念頭に置き、正規表現に類した方法を用いて検索しているようだ。
それでは、というわけで、カタカナの一部だけをひらかなにしてみた。これならどうだろうか。

【追記】その後、歓迎せざるトラックバックが激増。
grep "href=" temp.html | sort +2 -3
でアクセス元を調べて見ると、やはり機械的な発信のようで、一度キーワードで収集された記事に向けて集中的にトラックバックを打たれるみたい。そんなわけで、元記事の語彙を少々手直ししてコピーを作成し別題名の別ファイルにするとともに、トラックバックを承認制に変更しました。これにより、1日50件以上の歓迎せざるトラックバックを遮断することができました。
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平岩弓技『魚の棲む城』を読む

2006年07月17日 11時48分40秒 | -平岩弓技
出張の空き時間に読んだ本。田沼意次は「いい人」だった、という想定の物語は少ないと思っていましたが、意外にあるのかもしれません。池波正太郎の『剣客商売』もそうでしたし、新潮文庫版の平岩弓技著『魚の棲む城』は、ずばりデキる男・田沼意次を描いています。

田沼龍助(意次)と札差・板倉屋龍介、廻船問屋・湊屋のお北は互いに本郷御弓町の幼なじみでした。龍助と龍介は身分をこえた親友どうし。田沼龍助は生来言語障碍のある第九代将軍家重の信頼厚い御側御用取次役ですが、家のため商家に売られたも同然のお北のことが忘れられず、幽閉された茶室に忍び入る綱渡り生活を続けています。
米将軍と呼ばれた吉宗が逝去し後見が解かれて実質的にも家重の代になると、田沼意次の存在はますます大きくなり、やがて大名に出世しますが、御三家・御三卿は嫉みと軽侮を隠しません。お北は上方で中風で倒れた夫の介護に明け暮れる生活を強いられますが、実は意次の子である新太郎の成長だけが楽しみです。
やがて病弱な家重が亡くなり第十代将軍・家治の代になると、田沼意次は老中となり幕府の経済政策を変えていきます。米中心の経済から貨幣政策を重視した経済への転換です。豪腕の廻船問屋・魚屋十兵衛の陰助によりお北を側女とすることができ、相良に城を築き街を作り、ひそかに外国貿易を夢見ますが、将軍家斉の代となり政敵松平定信に追われ、夢はついえます。

「田沼の賄賂政治(*1)」と「松平定信の寛政の改革(*2)」とを対比する形で、中学の日本史では習いました。社会の自然な流れを改革という名で棹さそうとするのは、どだい無理があるということでしょうが、実情はどうだったのでしょう。小説は歴史学とは異なり、作家がどんなドラマを仕組むかがポイントでしょうが、興味のあるところではあります。

(*1):Wikipedia - 田沼意次
(*2):Wikipedia - 松平定信
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フリードマン『フラット化する世界』(上巻)を読む

2006年07月16日 09時19分05秒 | -ノンフィクション
出張の空き時間を利用して、トーマス・フリードマン著『フラット化する世界』の上巻を読みました。経済の大転換と人間の未来、という副題が付されています。新聞の書評等でも取り上げられているようで、ベストセラーの一角に食い込むかもしれません。たしかに興味深い内容です。

情報通信技術が進歩して、単に便利になっただけではない経済や社会のしくみの変化が起こっているらしい、とは多くの人が感じていることでしょう。本書の上巻では、世界中のあちこちで起こっている実際の変化を、「フラット化」という視点で跡づけています。

「フラット化」というのは、たとえばピラミッド型の組織構造を取っていた企業が、トップと一般社員の間の階層を減らして、学校のようななべぶた構造に近付けるようなことを意味しています。これに類した現象が、世界規模で起こっている、というわけです。たとえば、多くの企業で実施している電話による相談が、インドのコールセンターにアウトソーシングされている実態~インドで高い教育を受けた人々と米国の労働者の間に、経済的な差以上の知的能力の違いはない。そうであれば、光ファイバーによる電話通信網は、電話相談という業務に関して、高い教育を受け仕事を希望するインドの人々と米国の労働者とを、同じ条件に置いてしまう~まさにフラット化する、というのです。

第1部「世界はいかにフラット化したか」
-第1章「われわれが眠っているあいだに」
-第2章「世界をフラット化した10の力」
--(1)ベルリンの壁の崩壊と創造性の新時代
--(2)インターネットの普及と、接続の新時代
--(3)共同作業を可能にした新しいソフトウェア
--(4)アップローディング:コミュニティの力を利用する
--(5)アウトソーシング:Y2Kとインドの目覚め
--(6)オフショアリング:中国のWTO加盟
--(7)サプライチェーン:ウォルマートはなぜ強いのか
--(8)インソーシング:UPSの新しいビジネス
--(9)インフォーミング:知りたいことはグーグルに聞け
--(10)ステロイド:新テクノロジーがさらに加速する
-第3章「三重の収束」
-第4章「大規模な整理」
第2部「アメリカとフラット化する世界」
-第5章「アメリカと自由貿易~リカードはいまも正しいか?」

世界中で進行する現象を、それが良いことか悪いことか従来の視点で判断する前に、まず「フラット化」という視点でニュートラルにとらえてみよう、ということかと思います。その意味では、たいへん成功していると思います。ただし、もちろんのことながら、主張に賛同するかどうかはまた別の問題ですが。

『銃・病原菌・鉄』以来の、ひさびさに骨のある本。下巻が楽しみです。
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ラヴェル「ヴァイオリン・ソナタ」を聞く

2006年07月15日 09時55分08秒 | -室内楽
長い出張も終わり、ようやくくつろいでいます。コーヒーを飲みつつ雨音を聞きながら、心からほっとします。この期間、一番よく聞いたのがこの曲。なにせ持参した携帯型CDプレイヤーに入れっぱなし。移動時はイヤホンで、朝晩はPC用小型スピーカで同じ曲をずっと聞いていました。演奏は、ジャン=ジャック・カントロフのヴァイオリン、ジャック・ルヴィエのピアノ。1982年8月、オランダのハーレム、コンセルトヘボウでのデジタル録音。フランクのヴァイオリン・ソナタとカップリングされた、お気に入りのCD(デンオン盤)です。

第1楽章、アレグレット。ヴァイオリンの旋律はいかにも感覚的な印象派ふう。かと思うとピアノのパートはまだ親しげな要素があり、対比的に描かれているみたい。
第2楽章、ブルース~モデラート。都会の場末のブルース。田舎のファンキーなディキシーランドジャズではない。
第3楽章、初めから終わりまで同じ速度で~アレグロ。16分音符が爆発する、細かい音が高密度にぎっしりつまった華麗な音楽。

1927年に完成されたこの曲には、ジャズ風に感じられるところもあり、ロマン的心情とは異なる感覚的な新鮮さがあります。これはたぶん、世紀末の雰囲気をひきずった20世紀初頭の空気なのでしょう。この時代に育った若者達に、基本的には即物的なスタイルを示しながら、音色やリズムやフレージングに限りないニュアンスをこめるようにさせた、そんな時代の空気。

ちなみに、ヴァイオリニストの五嶋みどりさんがこんな解説(*)をしています。

(*):モーリス・ラヴェル、ヴァイオリンとピアノの為のソナタ ト長調 (1923-27年作曲)
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『フラット化する世界』(上巻)を読んでいます

2006年07月13日 23時11分33秒 | -ノンフィクション
先日購入し持参した、トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』の上巻を読んでいます。たいへんに興味深い内容です。読了してからコメントするのが本当でしょうが、面白い!ということだけを、まずお伝えしておきます。

今日はちょいと酒席があり、いささか酩酊気味。楽しい会でした。そろそろ音楽が恋しくなってきて、持参CDもネタが尽きてきました。ラヴェルのヴァイオリンソナタ、バッハのヴァイオリン協奏曲、シューマンの幻想小曲集、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」組曲の四枚。イヤホンとPC用小型スピーカで聞いていますが、やっぱり自宅のステレオスピーカである程度大きな音量で聞きたいものです。
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藤本篤志『御社の営業がダメな理由』を読む

2006年07月12日 20時19分59秒 | -ノンフィクション
新潮新書で、藤本篤志著『御社の営業がダメな理由』を読みました。話題になったので、ご存知の方も多かろうと思います。営業日報による管理は、働いたつもりになるだけ罪が深い、という考え方、以前新聞の書評にも取り上げられておりました。新書サイズで190ページ程度のコンパクトな本ですが、内容はたいへん興味を持って読みました。
巨視的に見れば、営業は確率である、という見方からスタートします。単純化して言えば、営業量を増やせば確率的に成果は上がること、障壁になっている営業マネージャーのノルマと営業日報を廃止し、一日30分ずつのヒアリングの徹底と同行営業を行うことで、チームとしての営業結果は飛躍的に増大する、とするものです。

以前、なぜだれも読まない営業日報を書くのか、というソフトブレーン会長の宋文洲氏の言葉を紹介(*)したことがありましたが、またまた同じことを言う人が出てきました。営業日報による管理に疑問を持つ人は多いのですね。

(*):備忘録を「組織」で検索すると
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WEB版gooブログのRSSリーダーに入った広告の位置は

2006年07月12日 05時43分01秒 | コンピュータ
出張が続く日々です。ネット環境が確保できているので、なんとかやっています。
ところで、表題の件、最近入った広告の位置が、不便なこと。
WEB版gooブログのRSSリーダー、一番上に登録してあるブログの最新記事をクリックすると、下の窓に記事のはじめの部分が表示されるのですが、このとき一番上の2行が広告に変わってしまうのですね。で、目当ての記事をマウスでクリックすると表示されると思いきや、広告記事が表示されてしまうのです。当然のことながら、激怒!です。
マウスカーソルは移動していないのに、お目当ての記事が2行下にずれてしまっているために起こる現象なのですから、そもそもデザイン的におかしい。

推測するに、
(1)広告を入れなければならない
(2)クリックして表示されると、広告がカウントされるしくみ
(3)間違ってクリックしても、カウントされる
(4)最初から表示するのではなく、記事をクリックしたら表示されるように、一番上に入れよう
(5)実際に間違ってクリックされて、広告料入る
という構図なのでしょう。

でもねぇ、こういう小手先の対応は長続きしませんよ。
広告が最初から表示されるとか、ダミーの2行を入れておくとかするのならともかく、少なくともユーザーの意図をかく乱するようなタイミング・位置で配置するのはおかしい。腹が立って、そんな広告は絶対見ない。ユーザーインターフェースに対するブログ担当者の無理解を露呈していると思います。
今朝は珍しく苦言でした。
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安けりゃいいってもんじゃない

2006年07月11日 20時35分14秒 | Weblog
これまでは、安いことがいいことでした。百円均一にしろユニクロにしろ、価格破壊で安価に品物を提供することが評価されました。ところが、一通り普及すると、モノ余り感があって、新たな需要には結びつかない。
また、コスト追求が行過ぎた結果、マンションやエレベータなど、安全という根本的な価値に疑問が出てきたことから、無条件に安けりゃいいのか、という反省も生まれてきました。バカ高いよりは安いほうがいい、だけど安けりゃいいってもんじゃない、という意識でしょうか。どうも、私たちが信頼できる価格というのがありそうです。
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コモディティ化の意味

2006年07月11日 07時21分54秒 | Weblog
様々な技術や製品が普及し、一定の比率に達すると、コモディティ化(日用品化)が起こるとはよく言われることです。かつては高級品だったものが、コモディティ化して価格も下がりますが、なぜ日用品化すると価格が下がるのでしょうか。
それはたぶん、大切に思わないから、でしょう。大切でないものにはお金をかけたくない、という考えが強いからなのでは。安いものが大量に供給されれば、高いものは売れない、したがって価格も低下する、という循環がおこります。

ただし、病気をすると考え方が変わるようですね。日常の価値に気づくようです。今まで大事にしまっていた陶器や道具を、日常的に使うようになります。すると、今まで使っていた安物がみすぼらしく感じられて、「捨てましょう」となる。スペースも空いてきます。日常的に使うものだからこそ、別に高級品でなくてもいいから、安心できるいいものを使いたい、と思います。

旅先では、ふだん感じないことを感じます。面白いですね。
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秋葉原の変貌

2006年07月10日 19時05分10秒 | Weblog
かつては電気部品の街だった秋葉原、やがてオーディオブームとともに音響と映像の街となり、パソコンの普及とともに情報通信の街となりました。今は携帯電話とメイド喫茶と萌え~の街なのだそうで、通り過ぎる群集の想念はどんな色に染められているのでしょうか。
SPがLPに交替し、やがてCDになり、コンパクトカセットはMDに、LDはDVDになった50年。今や音楽や映像コンテンツはネットワークとHDやシリコンディスクの中に棲息しはじめたのでしょうか。

時間の合間に、この春から大学生となった子供のところに顔を出し、食事をしてきました。つり銭を小遣いに渡したら、喜んでおりました。なんとか元気にやっているようです。母親が余計な心配をすると悪いので、武士の情けで部屋の様子の写真は取らずにきました。たぶん、帰ってから相当にブーイングでしょう(^_^;)>poripori
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平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳』(第5巻)「御守殿おたき」を読む

2006年07月09日 20時15分23秒 | -平岩弓技
出張先で読み終えました、第5巻。今度の宿泊先は、ネットワーク環境が一応整っており、家族へのメールさえも可能です。昔はノートパソコンとポケットモデムを持参し、ISDN電話機に挿入したテレホンカードの度数を気にしながら、パソコン通信でメールしたものでした。それを考えると、実にありがたいことです。

第1話「赤い廻り燈籠」、鬼勘の娘・小かんが第1発見者となった殺しの被害者は、旗本進藤織部正の御愛妾。芝居の小道具の赤い廻り燈籠が届いているはずなのに見当たらない。小かんのお手柄に、秋茄子のぬか漬で女どうしの競争意識。まぁ、そのあたりが平和でよろしいのでは。
第2話「御守殿おたき」、京菓子屋の永田屋が拾って育てた娘が大名の松平上総介様のご落胤だという。数百両を騙り取られた永田屋の主人よりも、奥女中滝の井と名乗る女の方が役者が上だった。だが、小かんは永田屋光兵衛は裏表のある人間だという。親は子に、子は孫に愛情を注ぐ。飢饉の年にも同じことだ。その愛の形が違うだけなのだろう。ところで、御守殿者って、何ですか?
第3話「雪日和」、松平周防守の若君が、生みの母不在の不満を粗暴の振る舞いに表し、事件を重ねているという。側室の藤世の方に育てられた若君は、石洲浜田五万四千石の世継ぎを狙う者に扇動されての乱暴らしい。お鯉の洞察力は驚くばかりで、根岸肥前守のもとでいっそう磨きがかかったようだ。最後のシーンは一幅の絵のようといえばよいのか、あるいは東映ちゃんばら映画の最後のシーンみたい。
第4話「多度津から来た娘」、女天一坊とは言いますが、他人になりすますなぞ、大それたことではあります。普通、しませんね、そんなこと。相当の度胸です。
第5話「男と女の雪違い」、行き違いを雪違いにかけたのでしょう。伝統的駄洒落保存会ですな。しかし新八郎が八面六臂の大活躍で右肩を負傷しながらの人助け。小かんとの仲を嫉妬するおっとり妻の郁江さん、お鯉さんは陰から見守る構図。社交と芸事と家事という三者三様の女性を描く、典型的な平岩弓枝の世界です。
第6話「三下り半の謎」、離縁状を三通も。普通、おかしいと考えますよね。犯人たちはおかしいと思わなかったのでしょうか。それと、子供の墓はそっと静かにしておいてやりたいと思うだろうに。
第7話「女密偵・お鯉」、お鯉さんは密偵役に縁があります。御三家の一つ、紀州家の奥で起こった金無垢の薬師如来の小像の紛失事件、探索は無事成功しますが、少々腑に落ちないところもあります。1寸5分といえばほぼ4.5cmです。頭部からの投影面積が1cm^2とすれば体積は4.5cm^3、金の密度は19.3g/cm^3ですから、金無垢の薬師如来小像は4.5×19.3=86.85(g)もあるのです。そんなものが蒲鉾の中に入っていたら、ずしりとした重さに、誰かが気づくと思うのですよ。
第8話「女嫌いの医者」、こちらも岡崎の本多家の内紛がらみです。お庭番は長崎帰りの名医の役もこなしてしまうのですね。それにしては、評判を取るほどの診断や治療の腕前はどこで身につけたのでしょうか。医学に関する知識や技術は、そうたやすく習得できるものではないはず。偽医者はやがて正体がばれますので、お加津の深情けに懲りたこともあるでしょうが、早々に立ち去って賢明でした。
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ブルックナーの交響曲第3番を聞く

2006年07月08日 20時15分44秒 | -オーケストラ
ここ一週間ほど、通勤の音楽に聞いていたのが、ブルックナーの交響曲第3番です。ヘンな言い方ですが、エンドレスに再生していると、第4楽章の終わりから第1楽章の頭に戻るのがなんだか自然に(?)聞こえます。その意味では、ロングドライブでも大丈夫かもしれません。

第1楽章、Mehr langsam, Misterioso (20'05")。適度にゆるやかに、神秘的に、と訳せばよいのでしょうか、解説では「適当に運動的に」とされていますが、これはなんだかヘンな訳です。弦のリズミカルだが不安気な動きの中で金管が加わって行き、力強い主題が奏されます。弦が優美な旋律を歌う中に断定的に主張する金管の響き。大きな楽章です。
第2楽章、Adagio-bewegt, quasi Andante (15'31")。アダージョ--不安気に、ほとんど歩くように。冒頭の優しい主題が印象的な緩徐楽章。
第3楽章、Ziemlich Schnell (7'28")。かなり急速に、と訳すのでしょうか。ブルックナーにしては短い、スケルツォ楽章です。セルの演奏は推進力に富むもので、リズムの正確さと精緻さは特筆に値します。
第4楽章、Allegro (12'21")。全曲の大きなクライマックス。クリーヴランド管の金管セクションが全開で活躍します。第1楽章の主題が再び姿を見せるため、エンドレス演奏では違和感がないのかもしれません。

私がふだん聞いているのは、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏した、1966年1月にクリーヴランドのセヴェランス・ホールでCBSにより録音されたCD(32DC-487)です。ノヴァーク版(第3稿)によるものだそうで、ポール・マイヤースのプロデュースによるこの録音は、セルがくつろいで自らの音楽観などを語った、ポール・マイヤースとの対話との縁が深いもののようです。TONさんのサイトでは次のように紹介(*)(*2)されています。

(*): George Szell Chronology -- Szell のブルックナー(1)
(*2):George Szell Chronology -- Szell のブルックナー(2)

私には楽譜の版の専門的な違いなどはわかりませんが、セルがプロコフィエフは積極的に演奏するのに、ショスタコーヴィチは取り上げようとしなかったように思えることも含めて、音楽的な理由だけでなく、ナチやスターリンなどをひどく嫌うという理由もはたらいていた、とする説は理解できるように思います。

いやはや、30数年ぶりに木村・相良の独和辞典を取りだして引きました(^_^;)
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平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第4巻「鬼勘の娘」を読む

2006年07月07日 20時44分47秒 | -平岩弓技
講談社文庫で、平岩弓技著『はやぶさ新八御用帳』第4巻、「鬼勘の娘」を読みました。
第1話「箱根七湯」、根岸肥前守に奉公するようになって、お鯉さんはずいぶん落ち着いたようです。行方知れずの武士を探して箱根まで来た新八郎、あやうく遭難しかけます。女難です。
第2話「白い殺人鬼」、お高祖頭巾の女にからむ殺人事件が続き、探索の過程で佐渡金山の役人の不正に絡む因縁が明らかになります。親の仇討ちを果たした二人の行く先には病気と死とが待っているのです。
第3話「御老女様の恋文」、かどわかしにあった町女を、偶然に助けた新八郎のもとに、かつて腕利きの岡っ引だった老人、鬼勘こと鬼の勘兵衛が訪ねて来ます。御老女様の出したファンレターがゆすりの種に使われ、起こった事件でした。御老女様ねぇ。うふふ(^o^)/
第4話が表題作「鬼勘の娘」。いやはや、たいへんなキャラクターの登場です。鬼の勘兵衛の娘で、踊りの師匠の坂東小かんことお初のこと。「どうぞ、お上がり下さいって申し上げても、上がって下さらなかったんですよ。あたしにくどかれると思ったんじゃありませんか。」と言い放つくらいですから、もう相当の勝気さです。そうであれば、麻田藩のトラブルを見過ごせなかったのでしょう。
第5話「お化け女郎」、鬼勘と藤助とが初めて名乗りあい、新八郎の左右の利き腕として活躍することに。ところが、小かんことお初が行方不明になり、盗賊団の根城を急襲して救いだしますが、当人はまったく懲りた様子が見られません。
第6話「金唐革の財布」、金唐革とはこういうものらしいのですが、さしずめお宝鑑定団に出してみてからの方がよかったのかも。私には残念ながら骨董愛好の心理は理解できませんです。
第7話「新堀川慕情」、ようやく郁江さんの登場です。あいかわらずおおらかで、家紋が似ていたために兄貴が襲撃されても全然気がつかない様子。お初の活躍もあり、無事一件落着します。
第8話「さいかち坂上の恋人」、元気過ぎる隠居も老害をまきちらすことがありますが、老女の害もあるもよう。姑にいびり出された嫁は、夫である息子が迎えにいかなければはじまりませんね。ひどすぎる姑には、若夫婦うち揃って家を出るのが一番効き目があるようで。
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出張時に読む予定の書籍を購入

2006年07月06日 21時13分42秒 | 読書
来週は出張が続くので、読む予定の書籍を購入して来ました。

トーマス・フリードマン『フラット化する世界(上・下)』(日本経済新聞社)
藤本篤志『御社の営業がダメな理由』(新潮新書)
藤沢周平『半生の記』(文春文庫)
平岩弓技『魚の棲む城』(新潮文庫)
平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第7巻・寒椿の寺

こうして読みたい本がたくさん積み上げられた状態が、私にはたいへんに幸せな時です。一度でいいから、デパートのような書店で、カートにこぼれるほどの本を買ってきて、いやというほど読みふけってみたい、というのが夢であります。

それはさておき、ここしばらく通勤の自動車で聞いているセル/クリーヴランド管によるブルックナーの交響曲第3番、たいへんいいですねぇ。いわゆる原始霧から立ちのぼる芒洋とした音楽ではないのですが、くっきり明瞭なブルックナーも、聴き込むほどに味があります。

写真は、裏の畑のいずれがアヤメかカキツバタか。
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