電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

音楽CD購入記録データベースより

2006年07月05日 19時56分59秒 | クラシック音楽
先日、4年分の音楽CD購入記録を整理してみました。単身赴任をしていた頃に、思い立って始めた記録、MS-WORKSのデータベースで管理しています。レポート作成ツールで月別の記録やレーベル別の一覧を作成し、最後に枚数と金額の合計を算出してみました。これによれば、合計でおよそ250枚の購入、約20万円です。輸入盤もブックオフ特売品も含まれますが、単純計算すると平均単価は@800円。食指が動くのは1000円盤が多いので、おそらくそんなものでしょう。年額にすると約5万円、月平均4000円といったところでしょうか。月4~5枚のペース。このくらいなら、繰り返し聞かないと満足しない私でも、新しいCDを充分に聞くことができます。

今は自宅で、モーツァルトのディヴェルティメント第17番ニ長調が流れております。演奏はウィーン八重奏団員、実に流麗な演奏です。1961年に録音されたロンドン盤で、こちらはK30Y-1535という番号からわかるように、CD普及期の1枚3000円の正規盤です。

今日のニュースで、テポドンがまた発射されたと報道していました。やれやれです。九州・四国地方は、梅雨前線の活発化か台風の影響か、激しい雨が降っているようです。各地の被害の少ないことを祈ります。
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何があなたを勇気づけたの?

2006年07月04日 23時01分54秒 | Weblog
今日は職場の関係の酒席に同席。しばらくお世話になったお嬢さんが日本を離れるということで、送別会をかねて Japanese Ceremony "Enkai" をやったという次第。彼女、今の仕事を離れ、今度はスウェーデンの大学院で、社会調査などを学ぶ予定だとか。この勇気とバイタリティはどこから来るのだろう。肉を食っているから?いいえ、彼女は日本の梅干しが大好きな、ほとんどベジタリアンなのです。

太平洋を越えて来日し、異文化の中で一定の経験を積み、今度はシベリアを越えてヨーロッパに向かうという若いお嬢さんの勇気と前途に乾杯!
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プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第1番」を聞く

2006年07月03日 21時46分56秒 | -協奏曲
先日入手したアシュケナージ(Pf)とプレヴィン指揮ロンドン響によるプロコフィエフのピアノ協奏曲全集、まずは管弦楽の響きがたいそう充実した第1番を聞きました。今まで聞きなれているゲーリー・グラフマン(Pf)とセル指揮クリーヴランド管弦楽団による演奏とあわせて、どんな特徴があるのか、興味深いものがあります。

この曲は、プロコフィエフが20歳の時の作品ですから、まだペテルブルグ音楽院に在学中の頃、1911年から12年にかけて作曲されたもののようです。音楽院を卒業するときには、バッハの「平均率クラヴィーア曲集」と古典協奏曲を1曲ピアノで演奏するという試験があったそうですが、プロコフィエフは「フーガの技法」と自作のこの第1番の協奏曲を演奏し第1位を得たのだそうな。なんて生意気な、でもなんて立派な音楽学生なのでしょう。

全曲は通して演奏されますが、急-緩-急の三つの部分に分けられ、それぞれ次のように指定されています。
第1部 アレグロ・ブリオーソ、どこかエキゾティックな序奏主題に続き、ピアノの名技が展開されます。
第2部 アンダンテ・アッサイ、プロコフィエフの緩徐楽章に特有の、陰影豊かな幻想に満ちた叙情的な音楽です。
第3部 アレグロ・スケルツァンド、第1部の第1主題と第2主題が再現され、技巧的な独奏ピアノが華麗に展開されます。

アシュケナージ盤は、1974年1月~1975年4月にかけて、ロンドンでデッカにより録音されたものです。録音もアナログ録音全盛時代のもので、アシュケナージのピアノの音の美しさと、あまり乱暴にリズムを強調しないプレヴィンの品のよさがあり、20世紀初頭の生意気な若きプロコフィエフというよりも、ずっと成熟した音楽に聞こえます。

これに対し1966年にクリーヴランドのセヴェランス・ホールにて録音されたグラフマン盤は、セルの作り出す音楽がいかにも剛毅で、プロコフィエフのもつ叙情的な側面よりも、はじけるようなリズムとシャープな現代性を特徴とするもの。感傷性を突き抜けた一種の爽快感があります。夢見るようなロマンティックな音楽からはだいぶ離れた価値観に基づく音楽のように感じます。

■アシュケナージ(Pf)プレヴィン/ロンドン響 (ユニバーサル、UUCD-3234/5)
I=6'50" II=4'34" III=4'08" total=15'32"
■ゲーリー・グラフマン(Pf) セル/クリーヴランド管 (CBS MYK-37806)
I=6'44" II=3'45" III=4'41" total=15'10"
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梅田望夫『ウェブ進化論』を読む

2006年07月02日 13時29分32秒 | -ノンフィクション
ちくま新書で梅田望夫著『ウェブ進化論』を読みました。「本当の大進化はこれから始まる」という副題を持ち、コンパクトな体裁ですが、内容はたいへん興味深い本です。久方ぶりに、ラインマーカーを駆使し、付箋をぺたぺた貼り付けながら、じっくりと読みました。構成は次のようになっています。

序章 ウェブ社会-本当の大変化はこれから始まる
第1章 「革命」であることの真の意味
第2章 グーグル~知の世界を再編成する
第3章 ロングテールとWeb2.0
第4章 ブログと総表現社会
第5章 オープンソース現象とマス・コラボレーション
第6章 ウェブ進化は世代交代によって
終章 脱エスタブリッシュメントへの旅立ち

なるほど、という新鮮な提起も多く、たいへん示唆に富む内容でした。紹介されている『Wisdom of Crouds(群集の叡智)』という本も、ぜひ読んでみたいものの一つです。

ところで、本書で書かれた内容からはやや逸脱するかもしれませんが、自分で考えた点は次のとおりです。
(1)ブログは、ページ単位にコメントでき、CPUを越えて参照できる外部ブックマークとして役立つのではないか。
(2)ネットワークは人と人とを結びつける働きを持つが、そのコストがゼロに近いため、特に少数者どうしを結びつける働きに優れている。
(3)手作業による生産者の立場ではペイしない。他人の活動を自動的に収集し集積し、それを利用する流通の立場の人がペイする。そして効果的な場を提供できる人に投資した人が儲けることができる。
(4)アマゾンのアフィリエイトは実際に購入に結びついた分が還元されるが、Googleのアドセンスはクリックが購入や経済活動に結びつくとは限らず、広告価値の評価が変わると存立基盤が揺らぐ可能性がある。
(5)Dr.の集団であるGoogleの組織マネジメントは、内部での徹底したオープン性と情報共有、外部への徹底した閉鎖性に特徴があり、競争相手がいてこそネットワーク社会の健全性が保たれるのではないか。

写真は右側が本書で、左側のブックカバーをかけてある方はたまに参照するコンピュータ関係の本。
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平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第3巻「又右衛門の女房」を読む

2006年07月01日 20時13分10秒 | -平岩弓技
『はやぶさ新八』シリーズ、この巻から短編集になるようです。作者が多忙で、構想が追い付かないのでしょうか。

「江戸の竜巻」、勘定吟味役の岡松家跡継ぎ息子が病死し、かつて女中に産ませた双子のうち出来の良い方を養子にと望むが、なんとも想像力のない当主ですね。鬼勘こと勘兵衛が初登場すると共に、お鯉が根岸肥前守の奥女中として奉公することになります。
「幽霊の仇討」、新妻の郁江さん、どうもお鯉さんのこととなると気になるらしい。羽州村山郡山形六万石の秋元藩から、仇討ちのためにやってきた二人だけれど、要するに江戸の奥方と国元の若殿の喧嘩です。幽霊の仇討ちなんて、粋な解決法ですねぇ。「なしてこんなことになった・・・なして」と嘆く山形弁は、正しくは「なしてこだなごどになった・・・なして」(なぜこんなことになった、なぜ)とすべきでしょう。
「狐斬り」、能楽師・森藤十郎の妻織江と、旗本・篠崎庄之助との間に不倫の噂が立ちます。だが、森藤十郎は年若い妻を病気療養を名目に実家に帰します。夜明けに狐の斬殺体が見付かり、さては妻の元に忍んで来たのは狐だったか、と無事解決したかに見えましたが・・・。
「河童と夕顔」、孫を持つ身になってみると、いくらなんでも赤子を足蹴にした殿様は自業自得という感じです。同情の余地はほとんどありません。
「狸の心中」、狐の次は狸です。藤井文五郎の妹・お栄の哀しさに思いをいたしたのは、新八郎の善良な妻・郁江さんだけでした。その一言で、事態は別の意味を持ったのです。
そして表題作「又右衛門の女房」、地震の対応で対照的なしっかり者のお鯉と気が利かなくて頼りない郁江さん。よその夫婦の誤解を解いたのはいいけれど、自分の女房を迎えに行くとは思いませんでした。ちょっとすねて見せたのでしょうか。いえ、本当はこれから先が女性はこわくなるのですよ。まだまだです、新八郎氏(^_^;)/
「江戸の水仙」、島帰りの男には二人の子供がおり、子供も父の帰りを待っていたのですが、母親は子供を手ばなしません。良い母親ではないのです。どうも、冤罪の匂いがします。そして「松平家の若殿」、探索にあたった大久保源太と松之助、松平家からのお礼で食べた鰻はさぞやうまかったでしょう。

御用帳というのですから、断片的な事件の覚え書きでもよいのでしょうが、第1~2巻としっかりした構成で読ませただけに、短編集仕立てはちょっと残念。それでも、平岩弓技さんの語り口は安定しており、充分に楽しめました。
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ひとりの自由時間

2006年07月01日 12時12分43秒 | Weblog
昨日は花の金曜日で、酒席に加わり遅い帰宅となりました。会場の近くにあるレコード店で、アシュケナージ(Pf)とプレヴィン指揮ロンドン響による、プロコフィエフのピアノ協奏曲全集のCDを見付けて、ルンルンです。

さて、土曜の朝の楽しみの一つが、朝日新聞土曜版"be"です。本日は、「ひとりの自由時間には何をしていますか」というアンケートが興味深い結果(*)でした。
第1位は圧倒的に「パソコン」だそうで、時代の流れを感じます。第2位は「読書」、これは伝統的な強さです。だいぶ離れて第3位には「テレビ」が来ますが、以下は少々区分の仕方に異論のあるところでしょう。試しに、自己流で区分を変えてグラフ化してみました。
これを見ると、「パソコン」「読書」「テレビ・ビデオ・音楽など」「おでかけ」が上位の主な区分であることがわかります。テレビの位置が相対的に低下し、パソコンの地位が顕著に上昇しているようです。なるほど、インターネットの広告費がラジオや雑誌の広告費を抜いた、というのが理解できます。光ファイバー網が拡大し、コンテンツの配信が普及すると、テレビの地位も危ういですね。大丈夫か?デジタルテレビ?

(*): テーマ:おひとりさま~市民権得つつある少数派
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