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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

星新一『明治・父・アメリカ』を読む

2012年03月16日 06時03分12秒 | -ノンフィクション

新潮文庫で、星新一著『明治・父・アメリカ』を読みました。
ショートショートの名手であった星新一氏が、製薬会社の御曹司であったことは承知しておりましたが、創業者である父親、星一氏については、全く予備知識なし。以前から本書に興味を持ち、システム手帳のチェックリストにも書き入れ、探しておりました。たまたま、山形駅の某書店の棚中に発見し、過日、購入していたものです。

星新一氏の祖父・小野佐吉が星家に婿養子に入りトメと結婚、喜三太を襲名します。福沢諭吉の『学問のすすめ』を読み、変化の激しい明治の社会で頭角を現していきます。生まれた子供には、自分の幼名である佐吉という名を付けますが、佐吉は戦ごっこで片方の目を失明してしまいます。片目では遠近感が取れず、何かと不自由なために、佐吉は学問を目指します。はじめは小学校の教師から。そしてお金を貯めて東京に出て、夜間の商業学校へ。そこで恩師に出会い、中村正直の『西国立志篇』を読み、渡米して事業家になる夢をあたためるようになります。星佐吉は、星一と改名、古本を売りながら行商で関西まで行きます。このバイタリティは、なかなか真似できるものではありません。

星一は、ついに渡米し、サンフランシスコに到着します。ところが、同じ日本人にだまされて百ドルを失い、福音会に泊まりながら働き始めますが、一ヶ月の間に25回もクビになるという始末。片目のハンディキャップもあったでしょうし、英会話も不自由で、仕事の要領もわからないのですから、まあ当然といえば当然です。

しかし、その後がすごい。最も条件の悪い働き口で、やかまし屋の奥さんの小言の連続が、かえってていねいな仕事ぶりを身につける結果になります。そして小学校に通いはじめ、同級生の子供の家で働くことになります。働きぶりは熱心で、会話はたどたどしいのに、マーシャルの『経済論』などの高級な本を読んでいる星は、家族の信頼を得るようになります。奥さんが、星の働きぶりから、お母さんはきっと立派な人なのだろうと褒めると、星は涙を流し、

「わたしは子ですから、もちろん母を尊敬しております。しかし、ここの奥様にそうおほめいただくとは、思ってもみませんでした。そのお言葉を母が聞いたら、どんなに喜ぶことでしょう」

と言います。このあたりは、多くの人が、きっと胸をうたれるところかも。 

サンフランシスコを後に、こんどはニューヨークに出ます。ホー家で働いて学資をため、コロンビア大学に入学します。経済学と統計学を専攻し、夏休みにはまた別の家で働く、という生活でした。ステキニー家で働いているときに、日本の新聞や雑誌の記事でアメリカ人にとっても興味のありそうなものを英訳し、新聞社や通信社に売る、ということを始めます。ステキニー夫人は英語を直してくれましたので、文章力もしだいに上達していきました。

とまあ、こんな風な苦労談が続く、米国における父親のサクセス・ストーリーです。明治の気骨ある日本人の典型といって良いでしょう。12年間のアメリカ生活の後に、帰国した星一は、製薬会社を始めます。なるほど、これが星製薬というわけなのですね。そこで初めて私が知る現代と結びつきました。いや~、面白かった。

 

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モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」を聴く

2012年03月15日 06時08分10秒 | -オーケストラ
モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」は、映画「アマデウス」でも効果的に使われておりました。格別な理由はありませんが、春を迎える季節に、なんとはなしに通勤の音楽に選定した次第。演奏は、ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団です。

この曲は、第2ハフナー・セレナードを改作して、ウィーン進出と予約演奏会に間に合わせるべく、1782年に作曲されたものだそうです。初演は、1783年3月、指揮はモーツァルト自身だったとか。
楽器編成は、Fl(2), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(2), Tp(2), Timp., 弦5部。モーツァルトが、第31番以来しばらくぶりに書いた、オーソドックスな二管編成の交響曲だといいます。

第1楽章:アレグロ・コン・スピリート。
第2楽章:アンダンテ。
第3楽章:メヌエット。
第4楽章:フィナーレ、プレスト。

クーベリックが指揮するバイエルン放送交響楽団の演奏は、第1楽章の繰り返しを省略しているようで、古い時代のモーツァルト演奏の伝統を、20世紀後半におけるモダン・オーケストラで表現した最良の成果の一つであろうと思います。アンダンテはあくまでも優しく柔らかく高雅に、メヌエットも優美なものです。長距離通勤のお供には、眠気を誘う場合があるという点で、あまり良い選択ではないかもしれません。鋭いリズムで活気あるピリオド奏法による演奏の方が、むしろ通勤の音楽には適しているのかも。でも、自宅でゆっくりとくつろぎながら、つい30年ほど(^o^;)前のことを思い出すには、格好の音楽であり、演奏であるように思います。

手元にはもうひとつ、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団のCD(EMI TOCE-4082)もあります。1981年の6月にロンドンのアビーロード・スタジオでデジタル録音されたもので、第1楽章の繰り返しを行っているようで、クーベリックよりも倍近い演奏時間となっています。演奏スタイルは、現代のピリオド・アプローチとは異なりますが、映画「アマデウス」を彷彿とさせる、明暗の対比をつけた演奏となっています。

■クーベリック指揮バイエルン放送響
I=5:45 II=9:04 III=3:13 IV=4:03 total=22'05"
■マリナー指揮アカデミー室内管
I=10'42" II=8'14" III=4'01" IV=5'14" total=28'11"
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30年以上も愛用したコーヒーメーカーが故障した

2012年03月14日 06時04分08秒 | Weblog
毎朝、コーヒーを飲むのが習慣になっています。使っているのは、30年以上も前に、結婚の祝いにといただいた、メリタ製のコーヒーメーカー。長年愛用していても、プラスチックの劣化も少なく、良質な製品であったと喜んでいました。



ところが、今朝は全くお湯が出てきません。スイッチの不良でもなさそうで、おそらくはヒーターの断線と思われます。いずれにせよ、製品の寿命と諦めるしかなさそうです。できれば定年退職するまで待ってほしかったという気はしますが、残念無念というよりも、よく今日まで長持ちしたものだと感謝すべきでしょう。



さて、明日からどうしましょうか。この際、単身赴任時のように、笛吹きケトルでお湯を沸かすのも一つの方法ですし、ずっとしまいっぱなしになっているサイフォンを取り出すというのもあるかもしれません。朝の習慣が、少々変化しそうです。

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一年間、震災報道を見聞きして

2012年03月13日 06時02分35秒 | Weblog
東日本大震災の後、様々な報道が行われました。ふだんはあまりテレビを見ない私の場合、最も印象に残るものは、NHK総合テレビでお昼のニュースの際に放送される、被災地関連ニュースでした。とくに、盛岡からの「あの日、あの時」は、津波の被災者の証言を丹念に集めたもので、番組企画の立ち上がりの早さと粘り強い報道姿勢に、強い感銘を受けました。

巨大地震と大津波が沿岸を襲った3月11日、あの日、人々はどう行動し、そしてあの時を境に何を思うようになったのか、被災者の証言、「あの日、あの時」です。

主として村上由利子アナウンサーが担当することが多いこの短い番組枠の中で、生々しい証言が積み重ねられてきました。一言で言えば、「津波、てんでんこ」に集約されてしまうのかもしれませんが、それぞれに様々な事情がある中で、巨大な地震と大津波に襲われてしまったことがよくわかりました。

この被災地関連ニュースは、東北地方だけの枠なのか、それとも全国放送されているのか、そのあたりは不明ですが、その後、宮城県でも多くの証言が集められるようになりました。ところで、なぜか福島県では、津波や原発事故避難者の生の証言を丹念に集めて報道するという形にはなり得ていず、盛岡や仙台局の報道とはやや趣きを異にしているようです。それだけまだ混乱の渦中にあるのか、それとも様々な配慮・遠慮がはたらいているのか、よくわかりません。一視聴者としては、様々な思惑や遠慮、あるいは単純な賛否を超えて、被災あるいは避難した人々の生の声を、もっと丹念に集めていくことが大切なのではなかろうかと感じます。もしかすると、福島の問題の深さと広がりに対して、地方局の力では、取材報道や制作の人手が絶対的に足りていないということなのかもしれませんが。

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フォーレの「レクイエム」を聴く

2012年03月12日 06時03分39秒 | -オペラ・声楽
久しぶりの休日となった3月11日、テレビの震災報道特集を、じっと見入ってしまいました。地震発生時刻である14時46分には、妻と一緒に、黙祷を捧げました。

思い立って、フォーレの「レクイエム」を聴きました。エマヌエル・クリヴィヌ指揮国立リヨン管弦楽団及び同合唱団による演奏で、1988年10月~11月、ベルージュ・サントマリーのマドレーヌ教会でのPCM/デジタル録音です。CDは DENON のクレスト1000シリーズ中の一枚で、COCO-70426 という型番のもの。

添付の解説によれば、この曲は1887年の後半に作曲され、翌年の1月9日に、マドレーヌ寺院の「教区のある信者の葬儀」で初演されたものだそうです。この時は、小編成の弦楽とハープ、ティンパニ、オルガンで、第1・3・4・5曲が演奏されたそうですが、その後に曲が加えられたほか、デュカスによるオーケストレーションが施されて現在の姿になったとのことです。

1. 入祭唱とキリエ
2. 奉献唱
3. サンクトゥス
4. ピエ・イェズ
5. アニュス・デイ
6. リベラ・メ
7. 天国にて

もともとの曲自体が、威圧的でない、清澄なものですが、演奏も同様に、心のざわめきを鎮めるような性格のもののように感じます。東日本大震災の被害を前にして、死者の魂の安息を願う宗教的な感情は理解でき、共感します。一方で、地震や津波という自然災害と、原発事故とを混同することはできないと思ってしまうのも確かです。

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3月11日

2012年03月11日 06時01分56秒 | Weblog
昨日も仕事で、ようやく休みになりました。昨夜の山響定期は、残念ながら行けませんでしたので、チケットは知人にプレゼント。そうしたら、なんと偶然にも下野竜也さんの大ファンだそうで、たいへん喜んでもらいました。きっと、素晴らしい演奏会になったのではないかと思います。

さて、本日は3月11日。この1年間のことを振り返りながら、一日ゆっくりと休みたいと思います。14時46分には黙祷を捧げ、亡くなられた方々を悼むとともに、普通の暮らしをおくることができる幸せをかみしめたいと思います。

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セルとクリーヴランド管によるシューマンの交響曲全集が公共の財産に

2012年03月10日 06時04分39秒 | -オーケストラ

R.シューマンの交響曲全集の中で、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による1960年頃のステレオ録音が高い価値を有するものであることは、多くの人が認めるところと思います。ところが実際には、CDで求めようとすれば品切れと回答されることが多く、実際に音として聴くことが難しい状況が続いていました。ところが、このほど著作隣接権の保護期間が満了することとなったようで、公共の財産の仲間入りをした、いや、もっと端的に言うと、四曲全部が、ついにパブリック・ドメインになったようです。

「クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label」にて公開された4曲の交響曲のMP3録音は、セルのシューマンについて興味を持ちながら、実際に耳にする機会のなかった人にとって、大きな福音となりました。くりかえし聴くほどに、魅力を増す表現に脱帽します。

また、R.シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」も、ピエール・フルニエの独奏チェロの魅力もあり、たいへん素晴らしいものです。こちらもパブリック・ドメインになっているようですので、あわせてお薦めいたします。

以下、当「電網郊外散歩道」の関連記事です。

(*1):ジョージ・セルとシューマンの交響曲~「電網郊外散歩道」2007年2月
(*2):ジョージ・セルの正規録音が続々と公共の財産に~「電網郊外散歩道」2011年2月
(*3):シューマンの交響曲第1番「春」を聴く~「電網郊外散歩道」2012年2月
(*4):シューマンの交響曲第2番を聴く~「電網郊外散歩道」2007年2月
(*5):セルとクリーヴランド管でシューマンの交響曲第3番「ライン」を聴く~「電網郊外散歩道」2007年11月
(*6):シューマン「交響曲第4番」を聴く~「電網郊外散歩道」2007年3月
(*7):セル指揮フルニエ(Vc)のR.シュトラウス「ドン・キホーテ」~「電網郊外散歩道」2005年8月

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読書の醍醐味

2012年03月09日 06時02分09秒 | 読書

読書の醍醐味は、再読にあるように思います。あの本を、もう一度読んでみたいと思い、実際に手にするとき、読書の醍醐味を味わうことができます。そんなふうにして何度も読み返したものが、お気に入りの本となります。いくら流行したと言っても、再読したいと思わないものは、結局はそれだけの話。年代をこえて、ずっと読み継いできた本を再び手にするとき、読書の醍醐味を感じます。

写真は、過日、福島から見た安達太良山?方面の風景です。
 

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春の女神は

2012年03月08日 06時03分19秒 | アホ猫やんちゃ猫
ほんとに毎日寒いわね~。こう寒いと、外でハンティングという元気も出ないわ。関西では、もう梅がちらほら咲いているようなのに、こちらはまだまだ雪の山でしょ。春の女神は、いったいどこで足踏みしてるのかしらね~。もしかすると、大阪で食い倒れているのかも。まさか、神戸あたりで酔っ払ってるんじゃないでしょうね!しょうがないわ。寒いから、丸くなって寝てましょ、寝てましょ………Zzzzzz
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藤沢周平『夜の橋』を読む

2012年03月07日 06時04分25秒 | -藤沢周平

文春文庫で、藤沢周平著『夜の橋』を読みました。全部で九つの短篇からなり、昭和50年から53年までの間に発表された作品を集めたものらしいです。内容的には、武家ものと市井ものと両方が含まれ、以前は中公文庫にも入っていたとのこと。

武家ものとしては、「鬼気」「一夢の敗北」「梅薫る」の三編が典型的なものとして挙げられます。「鬼気」は、老武士の評判を疑った若者たちが、老人の鬼気迫る表情におびえて逃げる話。「一夢の敗北」は、細井平州を斬ろうと部屋まで行ったものの、全く平常心で動揺のない様子を見て、引き下がってしまう話です。「梅薫る」は、武家ものの中でいちばん印象的な佳編です。興津兵左衛門の娘・志津が、なぜ江口欽之助との婚約が破談になり、今の夫である保科に嫁ぐことになったのか、その真相が、父親によって語られます。

市井ものは、博奕で女房と別れるはめになった男が、女房の再婚相手が実はやくざな悪党であることを知り、対決するという「夜の橋」、女房の裏切りにあった男が、女房殺しの犯人を探す「裏切り」、親方の娘が元職人の男をあきらめきれずに訪ねていく「冬の足音」、転落していった姪の歩いた道をたどる「暗い鏡」というように、暗いトーンが多くなっています。

ただし、中には異色の作品もあります。その一つが、「孫十の逆襲」です。これは、山村の百姓たちを主人公にしながら、野武士の一団から村を守る戦の話です。女房に先立たれ、孫たちと共に山村の百姓暮らしを楽しむ孫十は、隣村に侵入した「野伏せり」たちに対抗して、村を守る指揮を執ることになります。村で戦に出たことがある唯一の男だったからでした。実際には、朝倉方に加わり、織田信長の猛攻から逃げ回っただけだったのですが、隣村から逃げてきた人たちの惨状を見て、孫たちを犠牲にすることはできないと知恵をしぼります。出てきた結論は、先手必勝のゲリラ的夜襲でした。まるで黒沢映画を見るようなユーモアと迫力です。

もう一つは、武家ものなのに、奉公人のけいという娘が中心となる、「泣くな、けい」という作品です。家付き娘の権高な女房に頭が上がらない相良波十郎は、妻の不在時に、酔った勢いでけいの寝部屋を襲ってしまいます。ところが、妻女が胆石で急死し、さらに御物蔵にあった貞宗の短刀を研ぎに出した後に戻っていないことが判明します。どうも、亡くなった妻が、夫の不在時に男に貢いだようなのです。今は、隣国赤羽藩の神保七兵衛に売られたまでは判明しますが、相良波十郎は蟄居謹慎の身となってしまい、百両を持たせて取り戻しに行かせたけいの帰りを待つしかないという、藤沢版「走れメロス」の世界です。ただし、太宰とは違い、あまりに深く人間を猜疑するような深刻さはなく、結末はおおむねハッピーエンドで、後味も良いものでした。

 

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吉村昭『光る壁画』を読む

2012年03月06日 06時01分38秒 | -吉村昭
この物語は、オリンパス光学による世界初の胃カメラ開発の過程をかなり忠実に追いながら、主人公とその妻の生活や感情については創作によって小説に仕立て上げたものだそうです。技術的な開発史をたどれば「プロジェクトX」になってしまいますが、女将の死去で旅館経営をまかされた若女将と、世界で初めての胃カメラの開発に熱中する技術者の夫との、別居生活によるすれ違いや葛藤などを織り込むことで、人間味ドラマとしての起承転結を構成しています。

主人公・曽根菊男は、戦時中はプロペラの回転に同期して射ち出せる機関銃の同調装置を開発していましたが、オリオン・カメラの技術者として働いています。そこへ、東大医学部附属病院分院の副手で外科医の宇治達郎医師から、胃の内部を撮影するカメラの開発協力を依頼されます。オリオンカメラの研究所の主任研究員であり、位相差顕微鏡の開発に当たっていた杉浦睦夫とともに、世界に例のない、胃袋の内部を撮影する光源つき小型カメラと、食道内に挿入できるフレキシブルな管と、空気を送り込んだりフィルムを巻き上げたり撮影角度を変更したりできる制御装置の開発に成功しますが、かんじんの胃の内部のどこを撮影しているのかがわからないと、診断や治療に役立てることはできません。この難問の解決は、偶然に電球が切れて暗くなった室内で、胃カメラを挿入した腹部の一部がピカッと明るくなったのを見たことがきっかけでした。このあたり、事実を丹念に取材し、ドキュメンタリーの手法で作品を構成する、吉村昭氏の得意とするところでしょう。

一方、週末になってもなかなか帰ってこない夫に、女でもできたのかと疑う妻の不安と葛藤や、欲求不満から思わず離婚を決意したような手紙を書いてしまい、驚いて夜通し歩いて戻って来た夫にすまないと思いながらも喜んでしまう妻の心情など、単身赴任経験者にはよくわかるエピソードもリアルです。

この作品は、以前、図書館から借りた単行本で読んでいます。テキストファイル備忘録から検索してみると、

$ grep "光る壁画" memo*.txt
memo-utf.txt:2002/05/14 『光る壁画』読了 吉村昭著『光る壁画』(新潮社)を読了した。東大の医学研究者とオリンパスの技術者による世界初のガストロカメラ(胃カメラ)の開発物語である。作者はドキュメンタリーを意図したものではないとし、企業名も主人公の名前も変えてあるが、開発の経緯はほぼ忠実に再現されているという。特殊な技術を持った町工場のつながりで、世界初の発明が誕生するさまは、技術というものを再認識させてくれる。

とありました。

たしかこの頃は、私も単身赴任中だったはず。そんな点からも、主人公と妻との微妙な関係に、共感できた面があったのかもしれません。
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プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第4番」を聴く

2012年03月05日 19時14分36秒 | -協奏曲
春浅い季節の通勤の音楽に、プロコフィエフのピアノ協奏曲を繰り返して聴いております。全部で5曲あるうちの第4番、第一次大戦で右手を失ったピアニスト、ヴィトゲンシュタインの委嘱により、1931年に作られた左手のための協奏曲で、変ホ長調、作品53です。初演は1956年で、やはり第二次世界大戦で右腕を失ったドイツのピアニストのジークフリート・ラップによるものだったとか。

演奏は、ヴラディーミル・アシュケナージのピアノ、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団で、デッカによる1974年~75年の録音で、二枚組のピアノ協奏曲全集CD(UCCD-3234/5)から。

楽器編成はわりに小規模で、独奏ピアノに加えて Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(2),Tp(1),Tb(1),バスドラム、弦五部となっています。

第1楽章:ヴィヴァーチェ。冒頭のテーマが、全曲を印象づけるものになっています。ロマン派の音楽でピアノ協奏曲といえば、オーケストラが分厚く咆哮し、ピアノが華麗な技巧を聴かせるというものが多いわけですが、この曲では、左手だけのピアノとは思えないほどの運動性と軽快なオーケストラのバランスが特徴となっているようです。
第2楽章:アンダンテ。プロコフィエフらしい、美しい叙情的な音楽。この曲の中ではもっとも長く、通勤の車中でも、しみじみと耳を傾けるところです。そういえば、このトラックだけをリピート再生してエンドレスで聴いても、曲の終わりと冒頭がよくつながります。また、自宅のステレオ装置で大音量で再生する場合も、弦楽、ピアノ、管など、各楽器の音色の魅力がふんだんに盛り込まれ、オーディオ的にも楽しめるところでもあります。
第3楽章:モデラート。全曲中で二番目に長い。グロテスクな怪獣がのし歩くような始まりですが、音楽はしだいに軽妙なものに変わり、言ってみれば、ギンギツネのダンスみたいなものでしょうか(^o^)/
第4楽章:ヴィヴァーチェ。第1楽章の最初のテーマが、むしろピアノの運動性を強調するような形で、軽快に再現されます。オーケストラの全奏による盛り上がりがないので、肩透かしを食ったような印象を持つかもしれませんが、何度も繰り返し聴いているうちに、こういう軽妙な終わり方もあるのかな、と納得できました。

残念ながら、委嘱したヴィトゲンシュタインには、理解不能とか技巧的に難しすぎるとかの理由で演奏を拒否されてしまったようですが、まあ、チャイコフスキーの第1番だって、当初はそう言われたわけですから(^o^)/
添付のリーフレットによれば、作曲者は、この曲を両手による協奏曲に改作することを考えていたそうですが、残念ながらこれは実現しませんでした。今でも充分に魅力的な音楽ですが、もしも作曲者に充分な時間が残されており、改作が実現されていたとしたらどんな音楽になっていたのか、興味深いものがあります。

参考までに、演奏データは次のとおりです。
■アシュケナージ(Pf)、プレヴィン指揮ロンドン響
I=4'24" II=8'57" III=8'22" IV=1'32" total=23'15"

今朝は、くたびれてとうとういつもの時刻に起床できず、早朝更新はできませんでした。今晩は早めに寝て、明日は定時起床せねば(^o^;)>poripori
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確定申告のための準備作業がなかなか進まず

2012年03月04日 06時04分40秒 | 季節と行事
三月に入り、三日が過ぎましたが、確定申告の準備作業が滞り、なかなか進みません。土曜も出勤、本日も出かける必要があり、時間が取れない現状です。とにかく、よく寝て疲労を溜めないようにすることを心がけています。本当は、早々に確定申告を終えて人間ドックにでも行きたいところですが、やれやれです(^o^;)>poripori

それはさておき、写真は老母が好んで育てている、ピンクのシクラメンです。ひと冬を過ごしましたが、まだまだ元気に咲いています。和風の障子を背景にしても、意外に似合うものだなと妙な感心をしているところです。

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村上もとか『JIN~仁~』第12巻を読む

2012年03月03日 06時02分58秒 | 読書
先日来、行方不明になっていて、このほど大規模な捜索の結果、ようやく確保した集英社漫画文庫、村上もとか著『JIN~仁~』第12巻を読みました。

この巻は、東修介が沖田総司を斬ろうとして、誤って坂本龍馬の頭部をザックリと斬ってしまうという事件から始まります。緊急開頭手術が行われますが、執刀の際に、南方仁先生は、龍馬の脳室内にたまっていた血液混じりの髄液を顔面に浴びてしまいます。手術の途中に、南方先生もひどい頭痛とめまいに襲われます。幕末の政治情勢は、坂本龍馬危篤の報に膠着状態になり、徳川慶喜から坂本龍馬あてペニシリン薬が届けられて、龍馬存命の報せが薩摩藩内で龍馬の暗殺に動いた者たちにも動揺を与えます。

目覚めた龍馬が仁先生に伝えたのは、未来の世を見てきたこと。仁先生は、明治維新から平成までの日本の歴史の概略を語ります。もし、龍馬が未来の世すなわち平成の現代に行ったら何をしたいかと問われ、「四海兄弟」つまり世界中のあらゆる人間と、兄弟のように付き合ってみたい、と。血なまぐさい殺し合いは、もうたくさんだ、というのです。そして意識は混濁し、緑膿菌による髄膜炎を発症するのです。即ち、ペニシリンが効かない状態に。

坂本龍馬死去の報せに、政治は大きく動きます。西郷隆盛は討幕を決意、沖田総司は結核が悪化します。伊庭八郎に幕府のために戦うように誘われた橘恭太郎は心が揺らぎますが、南方先生の護衛の任務を思い、同行を固辞。鳥羽伏見の戦いで錦の御旗を掲げた薩長新政府軍は、怒涛の勢いで東征し、南方先生と咲さんらの一行は、船で江戸に戻ります。ここでも伊庭八郎の態度はなかなか立派です。

そして、戻った江戸では、勝海舟が江戸を守る手立てに悩み、西洋医学所と本道医学館は、負傷者の治療のために協力態勢を取ります。そこへ届いた野風からの手紙には、ルロン氏との間に生まれた赤ちゃんを抱いた写真が同封されていました。たとえ、残された命は短くても、野風さんはこの世に新しい命を残して行くのです。

橘恭太郎は、武士とは何かに悩み、勝海舟は恭太郎を一人連れて西郷吉之助と談判、江戸城の無血開城と和平の実点に成功します。



うーむ、この巻は、なぜか男性中心のストーリーですなぁ。咲さんも野風さんも、なんだか出番が少ない。政治と動乱の物語は、どうしても男性中心の描き方になってしまうのでしょうか。確かに、暴力とテロルと動乱の時代だものなぁ。この巻では、ちょいと心がささくれ立ちます。
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今年はずいぶん活躍した~除雪機の保管と管理

2012年03月02日 06時02分12秒 | 季節と行事
今年は、31年ぶりの大雪だったそうで、古い除雪機がずいぶん活躍しました。我が家の除雪機は、シバウラのIS-980という機種で、エンジンはホンダ製のようです。たしか2001年の11月に購入したはずですので、もう10年を超えました。途中、何度か定期点検に出してベルトもエンジンオイルも交換していますし、シーズンオフに入るときには注油も怠らず、残油も抜き、燃料コックを閉じて、作業小屋の奥の涼しいところに保管します。そんな理由で、たぶん長持ちしているのでしょう。



これが操縦部です。左から、前進と後退のギヤ、手前の四方向のコントローラーで投雪方向を調節し、その右の小型スライドレバーがエンジンの回転数を上下させるアクセルに相当します。右端の大きなレバーが、オーガハウジング(回転刃で雪をかきこむところ)を上下するものです。操縦は、左右のハンドル部に握りクラッチがついており、前進後退やローターの回転の作動スイッチとなっています。



こちらが、回転ローターです。除雪作業の能率を決めるのはこのローター部の横幅なのですが、同時によく事故がおこるのもここで、回転させたまま詰まった雪を取り除こうとして腕ごと巻き込まれる例が多いようです。粉雪ならば大丈夫なのですが、湿った雪の場合は詰まりが発生しやすくなります。当方は、必ず機械を止めて、詰まった雪をかき出すようにしていますので、幸いにまだ事故の経験はありません。

もう一つ、除雪機を使った後は、きれいに雪を取り除いておくことが大切です。とくに、回転ドラム部に融解した雪水がたまっていると、夜の寒さで凍りつき、エンジンがかからなくなる場合があります。したがって、厳冬期には水洗いするのも禁物です(^o^)/

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