電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

退職後の変化:通勤がなくなるということ

2020年01月16日 06時03分16秒 | Weblog
退職してこのかた、時々非常勤で顔を出して実務的な引継や業務の一部お手伝いをするだけで、仕事の面ではずいぶんゆっくりした生活になりました。ところが、昨年の晩秋〜初冬の頃に病代の助っ人として遠距離通勤をしてみて、久しぶりの仕事はやりがいもありおもしろかったものの、日々の通勤がいかに負担になっていたかをあらためて感じました。特に雪道大渋滞が発生しやすい冬場の通勤がないというのは、実にありがたい限りです。

助っ人の役割を終えて、今また日々の通勤のない生活に戻り、実になんというか、朝の時間がゆっくりと過ぎていくことを実感しています。朝食後、ゴミ出しをしたり片付けをしてほっと一息、FMラジオを聴いたり PC-audio で音楽を聴いたりする時間は、実に気楽で良いものです。たまに早起きして、元日に作って好評だった「中華おこわ」をもう一度作ったりすると、家族も喜び、私も満足します。

このあたり、給料やボーナスが出ないという経済的な面はさておき、人によっては「社会との接点がなくなった」とか、「することがなくて時間を持て余す」とか思うのかもしれませんが、お天気により畑に出たり雪かきをしたりする前の「ゆっくりタイム」をどう受け止めるか、ということでしょう。案外、このあたりは本質的なところで、人生の「ゆっくりタイム」をどう受け止めるかに関わっているのかもしれません。

私の場合、住まいが田舎にあるためどうしても通勤距離は長くなりがちで、さもなければ単身赴任という選択になってしまいます。やむを得ず、長い通勤時間をずっと音楽を聴くことでやり過ごしてきました。当ブログでも「通勤の音楽」が大きな要素になっていました。カーステレオというものを発明してくれた人に、大きな感謝をささげなければいけません(^o^)/

写真は、この5日の雪景色です。この雪もすぐに融けてしまい、以後、全く雪のない生活となっていましたが、今後はどうでしょうか。毎日通勤されている皆様、雪道はどうぞお気をつけて。

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遠藤展子『藤沢周平・遺された手帳』を読む

2020年01月15日 06時01分42秒 | -藤沢周平
文藝春秋社から2017年11月に刊行された単行本で、遠藤展子著『藤沢周平 遺された手帳』を読みました。作家のエピソードは多くの人に様々な形で書き残され、語られていますが、作家本人がどう感じ考えていたのかはわかりません。その点、作家が遺した四冊の手帳に書かれた内容は、まるで作家本人の肉声を聞くようで、その人となりをよく表しているようです。当方、初めて知ったこともありましたし、あらためて確認できたこともありました。

例えば、娘が幼い頃に歌っていた子守唄がレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」であり、その歌詞の意味がいまだに愛している別れた恋人を思う内容であること(p.83〜4)。若くして亡くなった妻を思いながら幼い娘に歌う子守唄としては、実に切ないものがあります(*1)。

また、「直木賞受賞」前の記述には、

一人の人が世に出るときは、その背後にそうでない人を多数置き去りにしていることを思う。(p.141)

とあります。おそらくは、多くの作品が英雄豪傑ではなく無名の下級武士や市井の人々を取り上げている背景には、こういう自戒が深く作用していたのでしょう。

そのような姿勢は、作品を書く際の言葉の選び方にもあらわれており、

選びぬかれた日常語というものがあるのかもしれない。陳腐で、手垢のついた言葉の中に重いものがあるかもしれない。気のきいた表現は不必要かもしれない。人生の重みをになってきた言葉があるかもしれない。そういう言葉で一篇の小説を書いてみたい気がする。(p.191)

というような記述として手帳の中に遺されています。こうした考え方や姿勢はたいへん好ましく思え、共感するところが大きいです。

そうそう、作家の手帳の中に直接的な記述があったわけではありませんでしたが、運命を憤る暗い情念をぶつけるような作風が少しずつ変わっていき、明るいユーモアの要素が増え、結末にも救いが見えてくる理由として、作品に対する教え子たちの感想が影響しているのではないかという私の推測(*2)は、どうやら当たっていたようです。(p.258)

(*1):YouTube より、レイ・チャールズ「愛さずにはいられない」の歌詞はこんな意味だそうです。
 ■愛さずにはいられない / レイ チャールス / 歌詞


(*2):藤沢周平のユーモア〜「電網郊外散歩道」2007年2月

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「れんこんと手羽元のスープ」を白菜でアレンジする

2020年01月14日 06時03分56秒 | 料理住居衣服
暮に作ってみた「れんこんと手羽元のスープ」が美味しかったので、レンコンに加えて足りない分を白菜などで補い、少々アレンジしてみました。材料は次のとおり。4人分。

  • 鶏手羽元 8本 さっと洗って水気を拭き、骨に沿って切れ目を入れておく。前回より2本多いが、油が強く感じられ、6本のほうが良かったみたい。
  • れんこん 100g ピーラーで皮をむいてみたら少々傷んでいたので、良さそうなところを乱切り
  • 白菜 3枚 白いところは縦に細く切り、緑の葉は横に1cm幅に切る
  • 生シイタケ 3本 石づきを取り、細く切る
  • 青ネギ 1本 3〜4cmくらいに切る
  • しょうが 薄切り3〜4枚分
  • 塩 小さじ1
  • 香味 パセリ、ネギ 粗みじん切り



作り方は前回と同じで、

  1. 鍋に手羽元と水カップ4、ねぎ、ショウガと塩を入れて強火にかけ、煮立ったらアクを除き、れんこんを加える。再び煮立ったら弱火にし、フタをして約20分間煮る。


  2. 器に盛り、香味を添える。


あさつきの酢味噌和え等は妻の作。ご飯の代わりに、クルミ餅を温めて食べました。レンコンが少ないので白菜とシイタケも入れてみましたが、たいへん美味しくできました。今度は器も大きめのものを使いましたので、溢れる心配もなく、グーでした(^o^)/

ちなみに、右側にちらりと見えるのが現用の「料理メモ」用ノートです(^o^)/

※「れんこん」と「レンコン」と不統一なのは、後日、検索した時にどちらもヒットするように、意図的に併用しているためです。

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ブルックナー「交響曲第9番」を聴く

2020年01月13日 06時01分56秒 | -オーケストラ
若い頃は、ブルックナーの交響曲に接する機会はあまりありませんでした。大学時代の恩師がブルックナーのファンで、オイゲン・ヨッフム指揮のLPを好んで聴いていたのは知っていたけれど、なにせ懐具合のモンダイで、LPで二枚組の曲なんて、そうそう買えませんでしたから(^o^;)>poripori

したがって、ブルックナーの音楽に開眼したのは少し後、結婚してUターンしてからでした。2枚組のLPが5,000円なのにCDなら1枚3,800円で買え、ひっくり返す手間もいらないというアホな理由で購入したのがブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレによる第7番のDENON盤でした。これが良かった。その後、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管による第8番のCDもお気に入りとなり、近年は飯森範親指揮の山形交響楽団の定期演奏会で、初期から第7番までの交響曲だけでなく「詩篇」などの実演にも接することができ、CDも既出のものはみな揃えているほどで、当ブログの記事としても、第1番、第2番、第3番〜第8番までを取り上げています。

ただし、なぜか第9番はやや敬遠気味でした。とくに深い理由があったわけではなく、LPの時代にも1978年録音のヨッフム盤を所有し聴いてはいたのですが、雑誌等の紹介記事も「生への告別」とか「死への予感」とか辛気臭いものが多くて、あまり熱心にはなれませんでした。それでもブルックナーに開眼して40年、中高年世代になると少しずつ趣味嗜好も変化し、今はあまり抵抗なくこの曲を受け入れることができるようです。幸いなことに、LPのヨッフム盤だけでなく、簡易な PC-audio を通じて、パブリック・ドメインとして公開されているカラヤンとベルリン・フィルの録音(1966年)やカール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルによる録音(1961年)なども聴くことができるようになりました。

第1楽章:荘重に、神秘的に。弦楽器のピアニシモから始まる出だしはカーステレオにはまるで不向きですが、自室のステレオ装置で少々音量を上げれば大丈夫。むしろ、来客の音が聞こえるように総奏時の音量に注意しなければなりません(^o^)/
第2楽章:スケルツォ、活発に、いきいきと〜速く。弦のピツィカートで奏されるリズムは、やがて驀進するようなエネルギーと力強さを示します。総休止をはさんでトリオへ。
第3楽章:アダージョ、ゆるやかに、荘重に。格調高いラジオドラマの背景に使いたくなるような、不思議な雰囲気を持った始まりです。様々な楽器で主題が取り上げられ、盛り上がって行きますが、最後はゆるやかな静けさの中に終わります。

いいですね〜。亡くなった恩師を思い出しながらヨッフム盤を聴くのも懐かしいものですし、60年代のカラヤンとベルリン・フィルのスタイリッシュな演奏も思わず聞き惚れてしまいます。個人的にはシューリヒト盤の演奏も味があり、好ましいと感じます。この曲が作曲されたのは、新潮文庫の土田英三郎著『ブルックナー』によれば1894年から95年にかけて、作曲家70歳の頃だとのことです。X線が発見され、無線電信が発明される頃です。なんだか、時代の背景をのりこえて鳴り響く音楽のように聞こえます。

YouTube にもありました。ミスターSことスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮フランクフルト放送交響楽団による演奏(2014年)です。
Bruckner: 9. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Stanisław Skrowaczewski

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お天気に誘われて、サクランボと桃の剪定を始める

2020年01月12日 06時02分37秒 | 週末農業・定年農業
昨日は太陽が顔を出し、貴重な冬の晴れ間となりました。気温もあまり下がらず、今冬はじめての剪定作業を開始しました。防風ヤッケを着こみ、剪定鋸と剪定ハサミを持って、自宅裏の果樹園のサクランボと桃の剪定作業です。桃のうち「あかつき」と「美晴白桃」の若木は植えてから数年ですので背丈もあまり高くなく、脚立を使わなくても手早く終えることができましたが、「川中島白桃」はかなりの老木ですので、脚立に上って混みあった枝を間引いていきます。さらにサクランボ「佐藤錦」にかかりましたが、若木を一本終えたところでお天気が悪化、早々に退却しました。この調子で自宅裏の剪定作業を進め、春までには終えたいところです。



もう一箇所、自宅から離れたところにある園地のほうは、農協を通じてプロに依頼しています。人件費節減の意味もありますが、「専業農家」らしく自分でやってみたいという気持ちもあります。実は冬場の運動不足の解消の意味もありますので、自分で素人剪定をする年とプロに依頼する年と、できれば二つの園地を隔年で交互に実施していくのがよいのかも。



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アタシの事情

2020年01月11日 06時03分14秒 | アホ猫やんちゃ猫
アホ猫(娘)、19歳です。母猫は20歳で、だいぶ衰えが目立ちますが、娘猫のほうはまだまだ元気です。ただし、ときどき粗相をするのが困りもの。発見すると、大騒ぎです。

娘猫 アタシも、前は猫用トイレにしていたのよ。でも、猫砂が変更されて、なんだか吸水性の紙パルプみたいなものになったときから、肉球の感触が悪くて安心してトイレに入れなくなったのよね〜。いつも古いトイレの前にするようにしてるんだけど、最近はご主人も諦めたみたいで、そこだけ新聞紙を何枚も重ねて置いてくれてるの。分厚い新聞紙は、足裏の肉球の感覚がステキだわ。
 何をアホなことを言ってるんだい。困ったやつだなあ。うっかり旅行もできないよ。

一方、母猫の方は運動能力は衰えが目立ち、自分で身だしなみを調えることが難しくなりましたが、粗相は少なく、あまりボケてはいないようです。


母猫 そうよ。夏場は外で、冬場は猫トイレで、これは家猫の常識よ。少しはアタシを見習いなさい。

アホ猫母娘にも少しずつ老いの進行が見えてきていますが、現れ方にはだいぶ違いがあるようです。特に母猫には、この冬をなんとか乗り切ってもらいたいところです。

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プラチナ社のコンバータを追加購入する

2020年01月10日 06時05分56秒 | 手帳文具書斎
プラチナ社の百周年記念ムックで入手した2本の百周年記念特製プレッピー(M,F)万年筆ですが、インク・カートリッジで使うには古典ブルーブラックのペンが増えすぎてしまいます。それを避けるには他の色のインクまたは他社のインクを使うことになりますが、そのためにはインク・コンバータが別途必要になります。せっかくですので、同社のインク・コンバータを追加注文しておいたところ、先日ようやく届きました。早速、青軸の百周年記念プレッピーに接続してみましたが、さて入れるインクを何にしよう? 


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鳥むね肉のソテー〜野菜のチミチュリソース風を添えて

2020年01月09日 06時02分53秒 | 料理住居衣服
お正月のために買い込んだ食材が使い切れずにだいぶ残っていますので、せっせと料理を作っています。今回は、野菜のチミチュリソース風(もどき)をかけた鶏むね肉のソテーです。オリジナルは、たしか『人気シェフのたっぷり野菜レシピ帖』に掲載されたものだったはず。

材料は、本当はズッキーニやドライトマト、バジルなどを使うのですが、ありあわせの野菜で代用し、またアンチョビがなかったのでツナ缶で作ってみました。

  • チミチュリソース風 野菜はいずれも細かく刻む。
      かぶ 1/2個 50g 
      大根 1/8個 50g 
      ニンジン 1/4本 50g
      パプリカ 1/3個 50g
      トマト  1/2個 50g
      パセリ  3本
      ツナ缶 1缶 油を切っておく
      オリーブ油 大さじ2
      塩 適量
  • 鶏むね肉 1枚 250g 塩コショウを振り、なじませておく。
  • 塩 2つまみ
  • コショウ 適量
  • バター 30g

作り方は、次のようにします。

  1. チミチュリソース風に野菜は細かく刻み、ボウルに材料をすべて入れてよく混ぜあわせ、塩で味を調える。

  2. バターを入れて弱火にかけたフライパンに、鶏むね肉を皮を下にして入れる。

  3. 鶏肉のまわりにバターの気泡が出る程度の火加減でゆっくり焼き、厚みの半分ほどが白くなったら返す。
  4. 同様に焼き、火を止めてアルミ箔でおおって7〜8分おく。
  5. 肉をそぎ切りにして器に盛り、チミチュリソース風をかけて供する。


うん、ご飯とサラダ、スープに合わせると、なんだか多国籍な食卓ですが、シンプルな味でけっこう美味しいです。


チミチュリソースというのは南米で親しまれているものだそうですが、要するに「山形のだし」(*1)の南米バージョンだな。「山形のだし」は、みじん切りにした野菜を醤油で味付けしたものだし、考え方、発想はまるで同じみたい。これなら、鶏肉のソテーに「山形のだし」を添えてもいけるんじゃなかろうか(^o^)/

(*1):夏の味覚、山形の「だし」の作り方と山響の番組のことなど〜「電網郊外散歩道」2010年7月

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空想をあきらめるのは希望がないから、もしくは絶望しているから

2020年01月08日 06時04分46秒 | Weblog
空想は、「ありうるかもしれない」未来を描きだすことができます。希望がない、あるいは絶望している人は、空想はできないのかもしれません。「ありえない」と空想を否定する心性は、その根底に希望がない、もしくは絶望があるのかも。

「もし、実際に起こったらどうなるのだろう?」

それを空想するのは楽しいものです。多くのファンタジーやライトノベルは、そこに立脚しているものが多いように思います。もちろん、上品か下品か、表現の上手下手などに、かなりの多様性はあるでしょうけれど。

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詰め替えタイプのスティックのりを使いきったので

2020年01月07日 06時01分05秒 | 手帳文具書斎
山響関係の新聞記事をスクラップしていたら、愛用のスティックのり「消えいろPiT」を使いきってしまいました。あらら、困ったな……たしか詰め替え用のを買い置きしていたはず。どれどれ?



ふむふむ、こうしてああしてこうやって…できた! 前回の詰替えは2015年でした(*1)ので、5年間も使ったことになります。



ということで、スクラップを継続。ついでに、中字のプレジール万年筆にプラチナ古典ブルーブラック・インクを補給しました。前回はカートリッジに無理やりスポイトで詰めようとして指を汚しましたので、百均の注射器を利用しました。



これだと、指を汚すこともなくカートリッジにインクを補給できます。ほんとはコンバータを使うべきところですが、とりあえずの用は足りますので。

(*1):トンボの「消えいろPiT」の詰め替えを試す〜「電網郊外散歩道」2015年1月
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複数の雑記帳の中身は、ブログにかなり集約されるのかも

2020年01月06日 06時04分49秒 | ブログ運営
いつも携帯する備忘録ノートをはじめ小型のメモや枕元雑記帳まで、複数の雑記帳ノートに書かれた内容は、よほどプライベートな事柄は別として、読み返して面白いと思ったことが日々のブログ記事のネタとして使われることが多いです。ということは、多くの雑記帳の中身はこのブログにかなり集約される傾向があるのかもしれません。過去の備忘録ノートをひっくり返して調べる前に、まずブログで検索してみると出てくる、あるいは時期や前後関係から当たりをつけることができるという背景には、そういう事情がはたらいているみたい。もちろん、キーワードが曖昧で検索が難しいこともありますが、場合によってはサイトを指定して Google で複数語をキーワードにして探すこともできます。

site://blog.goo.ne.jp/narkejp/ 検索語1 検索語2

1989年から継続しているテキストファイル備忘録には、この「集約される効果」は作用しないようです。こちらは備忘録メモノート一冊分と同等の役割、素材の一つということなのでしょう。



車載用備忘メモの残りページがわずかとなりましたので、区切りの良いところで更新しました。こんどはドット罫線のA6判キャンパスノート(50枚)です。前のツバメノートよりもだいぶ薄くなりますので、給油記録を書き留めているコクヨのレベルブックと一緒にデミオのドアポケットに入れても、あまり場所ふさぎにはならないでしょう。




【追記】
誤記がありましたので、訂正しました。
× cite:
◯ site:

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暮からお正月の料理〜「中華おこわ」と「れんこんと手羽元のスープ」

2020年01月05日 06時02分49秒 | 料理住居衣服
年末からお正月は、娘夫婦と孫たちが帰省し、にぎやかに過ごしました。じいちゃんは張り切って厨房に立ち、料理の腕前の進歩を強気にアピール(^o^)/

まずは「中華おこわ」です。『きょうの料理ビギナーズ』11月号より。レシピは3〜4人分です。

  • もち米:1.5合、お米:0.5合 洗って一昼夜吸水させておく
  • チャーシュー 市販の塊状のもの 100g 1cm角に切る
  • にんじん 1/2本 50g 1cm角に切る
  • 生シイタケ 1枚 石づきを取り、1cm角に切る
  • ごま油  大さじ1
  • 混合調味料
      酒:大さじ1、醤油:大さじ1、砂糖:小さじ1
  • チキンスープの素 顆粒 小さじ1を水カップ1.5に溶く
  • 甘栗 市販 皮をむいたもの 60g
  • 枝豆 冷凍したもの


  1. フライパンでごま油を中火で熱し、チャーシュー、ニンジン、シイタケを入れて炒め、油が回ったら混合調味料を加えてよく混ぜる。ざるに上げて具と煮汁に分け、煮汁はおこわの調味料に利用する。
  2. もち米と米を炊飯器の内釜に入れ、煮汁にスープを加えて混ぜ、内釜に注ぐ。具と甘栗をのせ、普通に炊く。
  3. 炊きあがったら枝豆を加えてさっくりと混ぜる。


なんだか汁椀の塗りが剥げてきているなあ。ふだんは気づかないけれど、写真でクローズアップされると目立ちます。代わりを探しておきましょう。

続いて、れんこんと手羽元のスープ。こちらはビギナーズでないほうの『きょうの料理』2019年11月号より、香味だれはにらとみつばがなかったのでパセリで代用。少し辛味がほしいと、鷹の爪も入れました。材料は2人分です。

  • れんこん 200g ピーラーで皮をむき、大きめの乱切り
  • 鶏手羽元 6本 さっと洗って水気を拭き、骨に沿って切れ目を入れておく
  • 鷹の爪 1/2本 種を取り、小さく輪切り
  • 青ネギ 1本 3〜4cmくらいに切る
  • しょうが 薄切り3〜4枚分
  • 塩 小さじ1
  • 香味だれ
      パセリ、ネギ 粗みじん切り
      醤油 大さじ2


  1. 鍋に手羽元と水カップ4、ねぎ、ショウガと塩を入れて強火にかけ、煮立ったらアクを除き、れんこんを加える。再び煮立ったら弱火にし、フタをして約20分間煮る。
  2. 器に盛り、香味だれを添える。



こんな感じです。分量が多すぎて皿からこぼれそうですが、味はたいへん結構でした。

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「ライトノベル」と一口に言うけれど〜『本好きの下克上』の面白さ

2020年01月04日 06時02分07秒 | 読書
この年齢になってから、『本好きの下克上』という物語にハマりました。はじめはWEB 上で、次は紙の書籍を全巻購入して楽しんでおります。紙の書籍ならば区切りがつけやすいけれどWEB上でだと途中でやめるのが難しく、特に中高生の場合は生活に支障をきたす可能性があります。年末年始休業などの長期休暇中ならばいざ知らず、期末試験の直前などは最悪のタイミングになるだろうと、60代後半のジイサンが余計な心配をするほどです(^o^)/



ところで、この物語は「ライトノベル」というジャンルに属するものだと思いますが、どうも一口にライトノベルと言っても、同じではないようです。この作品以外の、いわゆる「なろう系」と呼ばれるライトノベルを二、三読んでみたのですが、いささか物足りない。それは、誤字脱字が散見されるとか、流行りの言い回しが多いとかいうようなものではなくて、なんというか、率直に言って文章や内容に品がない。

その点、『本好き』は誤字脱字や言い回しのヘンさがごく少なく、著者の教養を感じます。内容的にも、貧しい兵士の娘に転生した幼女が、「本を読みたい」一心から紙や印刷技術を作り出し、階級や魔術が存在する中世風のファンタジックな世界を変えていく話で、いい大人が読んでもさほど違和感がありません。私は見ていませんが、この秋に始まったアニメもだいぶ人気なのだとか。書籍のほうでも、ジュニア向けに総ルビの新書判が開始されたり、英語、中国語、ハングルなど海外版の展開も順調のようで、少々大げさに言えば日本発『ハリーポッター』になりそうな勢いです。

「ライトノベル」と一口に言うけれど、香月美夜著『本好きの下克上』シリーズは別格に面白いです。

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香月美夜『本好きの下剋上』第IV部「貴族院の自称図書委員」第9巻を読む

2020年01月03日 06時00分17秒 | -香月美夜
2017年からは専用のカテゴリーまで設けて楽しんできた香月美夜著『本好きの下剋上』ですが、第IV部「貴族院の自称図書委員」がついに第9巻まで来ました。貧しい兵士の娘として転生した幼女マインが、「本を読みたい」との一心で紙を作り、神殿に突撃して青色巫女となり孤児院を改革し、インクを作り印刷を始め、魔力に目覚め、領主の養女ローゼマインとなって貴族院に学ぶようになって二年、つねによき理解者であり後ろ盾となってくれた神官長フェルディナンドが、敵対する他領地から婿に望まれ、しかも王命により断ることができない事態になるという経過ですが、本巻はフェルディナンドとの別離を描きます。



餞別の食事会はいかにも美味しそうですし、贈り物をしあう様子は微笑ましく思えますが、その背後で起こっていた陰謀はかなり悪質なものでした。灰色神官たちは救出し、奪われた聖典は取り返したものの、別離は悲しい。クライマックスとなる虹色の祝福の場面は、アニメでもおそらく劇的な場面となることでしょう。

貴族院の三年生となる次巻は3月10日発売予定とのこと。第V部「女神の化身」第1巻と題して、こんどは王族と王が相手になり、物語の終わり頃には神々のスケールでヒートアップするはず。書籍で追加される書下ろしも楽しみです。

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モーツァルトの「交響曲K320」と「ポストホルン・セレナード」を聴く

2020年01月02日 06時04分51秒 | -オーケストラ
山形交響楽団のモーツァルト「交響曲全集」の追加盤として発表されたCD(Exton:OVCL-00711)の内容は、交響曲ニ長調K.320、交響曲第40番ト短調K.550のクラリネットが入った改訂版による演奏、そして交響曲イ短調K.Anh.220(16a)「オーデンセ」というものでした。その中で、特に冒頭の交響曲ニ長調K.320が、初耳の曲かと思ったらなんだか馴染みの音楽みたい(^o^)/

CD添付の解説を見たら、セレナード第9番「ポストホルン」から、第1、第5、第7楽章を抜粋したもので、1779年の作曲から五年後、1784年にドナウエッシンゲンのフォン・フェルステンベルグ公爵に献呈するために、三楽章構成の交響曲に仕立て直したものらしいです。

山響の録音は、2019年2月2日、南陽市にある「世界最大の木造コンサートホール」としてギネスブックに登録されている「シェルター南陽」ホールにて収録されたもので、たぶん通常の山響定期では取り上げられていないのではなかろうか。

第1楽章:アダージョ・マエストーソ〜アレグロ・コン・スピリト、ニ長調、4/4拍子。楽譜で確かめているわけではないので、まるっきり同じなのかどうかは不明ですが、確かに「ポストホルン」の第1楽章です。第2楽章:アンダンティーノ、ニ短調、3/4拍子の緩徐楽章。憂愁を感じさせる悲痛な第1主題と慰撫するような第2主題によるソナタ形式。第3楽章:プレスト、ニ長調、2/2拍子。活気ある堂々たるフィナーレです。なるほど、こうしてみるとたしかに「交響曲」として成立しているなあ。「ポストホルン」セレナードが冗長だとは思わない(*1)けれど、これはこれで、けっこういい曲じゃないか(^o^)/
クラリネット入りのト短調とクラリネットのない演奏とを比較することができるだけでなく、こういう発見がありますので、山響のCDは毎回何かしらお楽しみがあります。



試しに、いつも簡易な PC-audio で聴いているジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による「ポストホルン」セレナードから、該当する三つの楽章をプレイリストに抜き出してみたら、意外なほど大オーケストラによる鈍重さみたいなものが少ない、現代的な表現に通じるキビキビした演奏です。緩徐楽章は繰り返しを省略しているのか、演奏時間が6割ほどしかないようですが、なるほど立派な演奏で楽しめます。



参考までに、演奏データを記します。
■飯森範親指揮、山形交響楽団
I=7'51" II=9'39" III=4'03" total=21'33"
■ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管弦楽団
I=7'33" II=5'29" III=3'53" total=16'55"

元旦は例によって総代をしている寺の業務と近隣の寺参り、帰省した娘夫婦と孫たちにご馳走作り(大晦日は「板そば」ならぬイタリアン・パスタで元旦は中華おこわ)に従事し、新年の音楽記事の第1号は、このようなものとなりました。今年も良い音楽、良い演奏会、良い音盤に出会えますように。

(*1):モーツァルト「ポストホルン・セレナード」を聴く〜「電網郊外散歩道」2006年2月

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