「組踊の系譜」-近代演劇はどのように伝統を継承したのか?
「組踊の系譜~朝薫五番から沖縄芝居、そして『人類館』へ」という長い題名の研究に取り組んだのは、3年前のことで、この文科省科研プロジェクト助成の最も大きな収穫は、まず国際学会で数回研究発表をする機会が得られた事である。「沖縄の蝶々夫人」(クアラルンプール、2010年3月)、「沖縄とアジア、さらば福州琉球館」(2010年8月、ミュンヘン)、「新作組踊、伝統の再活性化」( 2011年8月、大阪)、「伝統から近代へ、沖縄芝居に内在する組踊の系譜」(2012年1月、台北)などだが、それらをどう掘り下げ集大成するか、今後の課題として残されている。世界の研究者の多様な研究発表が視聴できる国際学会は、グローバルとローカルの緊密さを認識する契機になる。かなたとこなたは連結し共通項と違いが同様に脈打っている。今日、沖縄芸能文化の世界への発信が、研究の面でも問われている。
この研究課題の中軸は組踊がどのように近代演劇の誕生に影響を与え、どのようにその形態や主題、舞台美術、演技様式、音楽、詞章が継承され、かつ変容し、沖縄芝居創出と発展に至ったのか、つまりどう沖縄芝居(沖縄語セリフ劇、琉球歌劇)が誕生し、発展していったかを中心にしている。 そしてその推移を近代という大きな目で見た時、沖縄の周辺国家の近代の動向ともまたパラレルな現象が見えてきた。日本、中国、台湾、韓国、そしてマレーシアの近代化のプロセスと類似する文化現象がここ沖縄でも起こっていたのである。そこには東アジアに共通する近代化(西洋化、その接触と融合)の文化表象(芸能/演劇)への視野が開かれていた。そのさらなる展開が日本復帰後に創作された『人類館』(現代沖縄芝居)である。
強調したい事は、まず1719年、冊封使の歓待芸能としてスタートした組踊が近代沖縄演劇の母胎であったことである。それは芸能研究の先駆者當間一郎、池宮正治、矢野輝雄の文献にも明瞭に指摘されている。また沖縄芸能界の名優たち、真境名由康、伊良波尹吉、そして真喜志康忠は、常々「組踊の詞章を全部覚えろ」と強調した。組踊の中に沖縄の集合的意識(倫理性)や感性、琉球民族の矜持が結晶化しているからである。近代沖縄芸能(演劇)は、その倫理性(必ずしも儒教道徳に納まらないもの、「つらさ身に受けて思ひこがれやい、恋死なば酬い誰にいきゆが」)を内包しながら新たな演劇形態に挑戦してきた。
そして1903年の「人類館事件」以降、伊波普猷の『古琉球』が発行されたまさに1911年前後に沖縄芝居が花としてこの世に咲き誇ったのだった。当時、太田朝敷や東恩納寛淳、そして伊波ら沖縄知識人の仕掛け(民族の誇りをかけた啓蒙運動)が沖縄芝居創造を背後から支えていたのである。は八八八六の歌・三線のリズム、そして琉球・沖縄語は沖縄の魂の源であり、舞台に開花した沖縄芝居は、極めて多文化的に東アジアに共通する伝統に根ざした舞台芸術(商業演劇)である。
**************
新聞に掲載されたのだけれど、どうも焦点が定まらないね。自分の文章にいつも嫌悪感も伴う。基調講演の當間一郎氏、パネラーの新城亘氏、玉城盛義氏、伊良波さゆき氏の発表題目すらその中に網羅しなかった。担当者から触れないでいいというメッセージがあってそれを意識した文面になったとは思うが、なんとなく自分でもすっきりしない。 ただ組踊のエキスは芝居に継承されている、それは確かである。歌舞劇であるというアジアに共通に見られる舞台芸術にも関心は向かう。それはそれでその通りなのだがーー。
新城亘さんはさすが緻密な研究発表をされる。伊良波さゆきさんは実際に伊良波尹吉の作品の中の組踊の継承を身体表象としてもお話になる。玉城盛義さんは沖縄芝居実験劇場の初期から係わっていて、氏の現在、琉球舞踊、組踊、沖縄芝居、新作組踊と、多く語りつくせないに違いない。當間先生はしっかり原稿を送ってくださった。明日単なるアウトラインを超えたレジメ集を配布する予定である。
夜だけれども、ご関心のある皆様のご参加よろしくお願いします!
2月8日午後6時から9時まで!
沖縄県立博物館・美術館3階講堂
「組踊の系譜~朝薫五番から沖縄芝居、そして『人類館』へ」という長い題名の研究に取り組んだのは、3年前のことで、この文科省科研プロジェクト助成の最も大きな収穫は、まず国際学会で数回研究発表をする機会が得られた事である。「沖縄の蝶々夫人」(クアラルンプール、2010年3月)、「沖縄とアジア、さらば福州琉球館」(2010年8月、ミュンヘン)、「新作組踊、伝統の再活性化」( 2011年8月、大阪)、「伝統から近代へ、沖縄芝居に内在する組踊の系譜」(2012年1月、台北)などだが、それらをどう掘り下げ集大成するか、今後の課題として残されている。世界の研究者の多様な研究発表が視聴できる国際学会は、グローバルとローカルの緊密さを認識する契機になる。かなたとこなたは連結し共通項と違いが同様に脈打っている。今日、沖縄芸能文化の世界への発信が、研究の面でも問われている。
この研究課題の中軸は組踊がどのように近代演劇の誕生に影響を与え、どのようにその形態や主題、舞台美術、演技様式、音楽、詞章が継承され、かつ変容し、沖縄芝居創出と発展に至ったのか、つまりどう沖縄芝居(沖縄語セリフ劇、琉球歌劇)が誕生し、発展していったかを中心にしている。 そしてその推移を近代という大きな目で見た時、沖縄の周辺国家の近代の動向ともまたパラレルな現象が見えてきた。日本、中国、台湾、韓国、そしてマレーシアの近代化のプロセスと類似する文化現象がここ沖縄でも起こっていたのである。そこには東アジアに共通する近代化(西洋化、その接触と融合)の文化表象(芸能/演劇)への視野が開かれていた。そのさらなる展開が日本復帰後に創作された『人類館』(現代沖縄芝居)である。
強調したい事は、まず1719年、冊封使の歓待芸能としてスタートした組踊が近代沖縄演劇の母胎であったことである。それは芸能研究の先駆者當間一郎、池宮正治、矢野輝雄の文献にも明瞭に指摘されている。また沖縄芸能界の名優たち、真境名由康、伊良波尹吉、そして真喜志康忠は、常々「組踊の詞章を全部覚えろ」と強調した。組踊の中に沖縄の集合的意識(倫理性)や感性、琉球民族の矜持が結晶化しているからである。近代沖縄芸能(演劇)は、その倫理性(必ずしも儒教道徳に納まらないもの、「つらさ身に受けて思ひこがれやい、恋死なば酬い誰にいきゆが」)を内包しながら新たな演劇形態に挑戦してきた。
そして1903年の「人類館事件」以降、伊波普猷の『古琉球』が発行されたまさに1911年前後に沖縄芝居が花としてこの世に咲き誇ったのだった。当時、太田朝敷や東恩納寛淳、そして伊波ら沖縄知識人の仕掛け(民族の誇りをかけた啓蒙運動)が沖縄芝居創造を背後から支えていたのである。は八八八六の歌・三線のリズム、そして琉球・沖縄語は沖縄の魂の源であり、舞台に開花した沖縄芝居は、極めて多文化的に東アジアに共通する伝統に根ざした舞台芸術(商業演劇)である。
**************
新聞に掲載されたのだけれど、どうも焦点が定まらないね。自分の文章にいつも嫌悪感も伴う。基調講演の當間一郎氏、パネラーの新城亘氏、玉城盛義氏、伊良波さゆき氏の発表題目すらその中に網羅しなかった。担当者から触れないでいいというメッセージがあってそれを意識した文面になったとは思うが、なんとなく自分でもすっきりしない。 ただ組踊のエキスは芝居に継承されている、それは確かである。歌舞劇であるというアジアに共通に見られる舞台芸術にも関心は向かう。それはそれでその通りなのだがーー。
新城亘さんはさすが緻密な研究発表をされる。伊良波さゆきさんは実際に伊良波尹吉の作品の中の組踊の継承を身体表象としてもお話になる。玉城盛義さんは沖縄芝居実験劇場の初期から係わっていて、氏の現在、琉球舞踊、組踊、沖縄芝居、新作組踊と、多く語りつくせないに違いない。當間先生はしっかり原稿を送ってくださった。明日単なるアウトラインを超えたレジメ集を配布する予定である。
夜だけれども、ご関心のある皆様のご参加よろしくお願いします!
2月8日午後6時から9時まで!
沖縄県立博物館・美術館3階講堂