『現代演劇の地層ーフランス不条理劇生成の基盤を探る』ペリカン社、で2011年度日本演劇学会河竹賞を受賞された小田中さんが新たに上梓されたご本が昨日送られてきた。さっそく丁寧に読んだ。他にやるべき事があったが、最後まで読みふけった。とても示唆的で取り上げた作品は全部で数えてみたら209作品、小説、映画、戯曲、テレビドラマ、漫画、ゲーム、アニメも含む。テーマ(モチーフ)は記憶喪失である。
以前≪「カフェ・ライカム」に見る戦争、女、記憶≫の論稿を書くにあたり、小田中さんからイタリアのノーベル賞受賞作家ルイジ・ピランデルロの『未知の女』をご紹介されたことが切っ掛けでピランデルロの作品を読むことになった。それ以来、記憶の問題がわたしの中で深く掘り下げられたわけではなく、演劇や劇場が文化の記憶装置だということが、演劇の理論書『The Haunted Stage』-The Theatre as Memory machine by Marvin Carlson」と共に残されたままだ。
小田中さんのこの膨大な作品群を取り上げた記憶・忘却・記憶喪失のフィクション・虚構の中のモチーフはとても面白く引き込まれた。小説、映画、戯曲、アニメ、漫画、ゲームなどの中で記憶装置がどのように表象されてきたか、このテーマの掘り下げが面白いのである。バルザックの『アディユ』 をはじめとして戦争と記憶の問題が取り上げられ、フロイトなど心理学者や精神分析医の果たした役割やその記憶をめぐる歴史的事例や検証を含め、記憶喪失をめぐる多様な文化表象、作品が取り上げられる。それらがテーマとしてどのように書かれ、仕掛けとなり、当然のごとくロールプレイのゲーム中に取り入れられ拡散され、未来はアーサー・クラークの『都市と星』の世界に描かれたように誰でも仮想空間でパフォーマンスに興することになるのかもしれない。
記憶とは何か、記憶喪失がもたらすもの、その奥深さ、広さ、創作の秘密、作為にもおよび、記憶が何を実証するのか、記憶で再生されるもの、されないもの、記憶喪失が実際PTSDとのからみで戦争の悪夢をまだまだ引きずっている沖縄の事例を考えても、興味深く、そういえばアメリカの映画で取り上げられたものの中には沖縄戦のトラウマを引きづる米兵が何度かでてきたりした。沖縄がかなたと結びついていることになるのだが、欧米の作品だけではなく東西比較文化表象論にもなっている。日本の作品は夢野久作の『グラママグラ』や村上春樹の「海辺のカフカ」そして映像では『時をかける少女』なども、SFファンタジーも含め、なるほどの展開である。
引用したい文章などを含め、後で付けたしたい。とにかくフィクション、PTSD、記憶、記憶喪失、創作の方法論、仕掛け、などなど、関心のある方々にとっては必読の書だね。物語と記号など、ウンベルト・エーコの『女王ロアーナの謎の炎』など読みたくなった。専門書でありながら面白く引き込まれる書物である。謝
今後論文をまとめる上でもとても示唆的でした。