志情(しなさき)の海へ

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鶯が鳴き、魂を揺すぶられる5月、あがり浜を歩く!打ち寄せる波に心を澄ます朝

2012-05-06 09:24:11 | 心の劇場
           (海の匂いに浸り、寄せては返す波の音に心音が重なるひとときに謝!)

なぜか浜辺を歩きたいと思い立ったのは朝5時頃のこと、犬の散歩には早い、かといって犬を連れていくわけにはいかなかった。

あがり浜も少しずつ変化が見える。でも津波のあった3.11から一年経った現在である。埋め立てられた土地は海抜1メートルはあるのだろうか?一旦津波に襲われたらどうなるのだろう?不安が頭を過る。その不安を示すように、海辺の埋立地にはまだまだ空き地が多い。

幼少時代を過ごした村では川の傍に14歳まで住んでいた。そこで水の優しさと怖さを味わった。しかし怖さというより川辺の楽しい思い出の方が大きい。自然の中で半ば野生児のように過ごした幸せな時代だったのだと、今は懐かしい。

そう、川が目の前にあって、マングローブの林があって、そして土手では白鷺たちが舞っていた。その白鷺たちの細い肌色の足を何度も掴もうとして掴めなかった日々があったのだ。泳いだ川もやがてパイン工場が川の上流近くに作られて、泳げなくなった。

(岩の上の小さな池の汐水が澄んで見えた)

パイン産業が衰退して跡の川はそのまま汚れたままで、建設現場の資材置場ができたり、近くでエビの養殖が大々的に展開され、やはり廃水が紛れ込み、泳げる川ではないままである。

マングローブの林の中をさまよい歩いた日々、その根の泥の中の大きな貝を採る楽しみもあった、魚釣りもやったんだった。あまり釣れなかったけど、そうか田んぼもあった。ドジョウや鮒などもとって遊んだ。赤い(橙色)の土粘土で土遊びもやったものだった。モチの木の樹皮から粘着質のものを取り出して鳥もちを作って目白などをターゲットにしたようなしなかったようなーー、そうこう考えてみると、たくさんの思い出が溢れてくるのはいい。

海辺を歩くことの楽しさは格別かもしれない。登山靴を履いてあえてゴツゴツした石の上を歩く。中年らしきご夫婦に会った。裸足でビーチの砂の上を歩いていた。単純に「いいなー」と思った。次は裸足で歩いてみよう。年齢を問わず、対で浜辺を散歩できるペアー(夫婦や恋人たち)は仲がいいに違いない。

いつになっても、自然を、海や山や川を、身近に引き寄せることのできる日々はいいね。久しぶりに比地大滝などでキャンプでもしたいなー、でもおそらく今年も行けないーーー。近場の海の散策を贅沢としよう。

【遠くからご夫婦(?)が砂浜の上を素足で歩いてきた!】


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