志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

伊佐眞一さんが連載している『沖縄と大和の間で』伊波普猷・帝大卒論への道が興味深い。

2013-10-08 21:07:15 | 沖縄文化研究

      (伊佐さんの論稿の半分である。残りは直接「琉球新報」の連載を読んだらいいですね。敬愛される巨人の内実に迫る歴史家の眼ですね。)

伊波普猷とその妻だった旧姓松村マウシとの結婚なり家族関係(性)への興味は多くの眼の焦点であるに違いない。伊佐さんはそこに踏み入った。従来の病弱な妻のイメージしか浮かばなかったマウシの姿が幾分さらに見えてきたような気がしている。写真から見ると品のいい旧士族出身の女性である。夫婦として長男を伴いながら東京で留学生活を共にしている女性である。新しい時代の中央のいぶきを彼女はどう感じ取ったのだろうか?夫の勉学を支える健気な妻である。その伊波普猷は前栄田勝郎の妹の冬子と駆け落ちするのだが、その後残されたマウシはどうなったのだろうか?彼らの息子はどうなったのだろうか?伊波の伝記の中にあまり克明に記されることのないまぎれもない妻だった女性の姿が少しわかってきたのはいいね。伊波が生きた現実と彼が書いた歴史書など、沖縄女性史も含めて、相対化されてくるのはいいね。

琉球王府時代から離縁再婚が士族層でも柔軟になされていた習俗があり、マウシが夫から捨てられた中でどう生きたのか、近代の諸相としてみると興味深い。辻の女性と関わりのあった普猷の父親の生活や信条、仕事のありようはどうだったのだろうか?今日の紙面での〈沖縄の既婚学生揶揄〉の記事も興味深い。「沖縄の中学校の5年生54名の内25名は妻帯者である。」その近代沖縄の早婚の風俗習慣などがあるのだが、那覇の遊郭の資料を見ても学生の姿が見え隠れしている。性におおらかだったというより、貧富の差が大きく、遊郭に人身売買することが普通になされていた沖縄の貧困と近代の軋みが伝わってくるようだ。

眞栄田冬子との駆け落ちに関しては、漱石の小説「それから」のような雰囲気だったのだろうか?自らの感性に正直に生きた沖縄学の父だったのかもしれない。婚姻関係は夫婦なり男女の幸福感がなくなれば、それが破綻していっても自然だったのかもしれない。犠牲が子供にまとわりつく現実があるのも事実でその親子関係がどうだったのか、伊佐さんのその後の家族関係の絶対性への切り込みがどう推移するのか、楽しみだ。伊波の『沖縄女性史』の新たな解釈の始まりになるかもしれない。すでに批判はされつつあるね。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。