大正10年生まれの父は80歳頃まで机に向かって書類を書いたり読書を続けていた。80代に入って医療老人施設に入所したが、生きるエネルギーを燃やしていた。教職を退職した後も県の地域福祉協議会の役職につき海外や他府県への出張も繰り返していた。82歳の平良亀之助さんの論壇の論評を読んで父を思い出した。平良亀之助さんがどんな方か、ネットで検索すると以下の書籍の紹介があったのでご紹介をー。
沖縄の80代、90代の方々の問題意識の高さに驚く。戦後74年に至っても変わらない沖縄ゆえか?この「沖縄への侵略史」のサブタイトルのついた論評にまったく違和感を覚えず、普通の認識に思えるのはなぜだろうか。実は多くの沖縄の住人が似たような認識を持っているのだと再認識はしても、特別なメッセージではない。平良様、120歳までお元気で!
沖縄の自立を思索し実践している33人からの熱いメッセージ集である。内容は、時評もあれば、エッセイがあり、論文調もあればさらに詩もある。歴史的証言もあれば、これからの運動への提言もある。まさに松花堂弁当だ。しかし、基調は明確だ。本書を出版した「琉球・沖縄の自己決定権を樹立する会」の会則が、「私たちのウヤファーフジ(先祖)がウチナー対ヤマトという境界の思想で自分たちを律してきた意味を深く考えるとき」と述べた、この一文に集約される。
今、新基地をめぐり国と沖縄が厳しく対峙(たいじ)している。辺野古の海と陸では、毎日多くの住民が体を張っている。本書は、その奔流に投じられた。時宜を得た企画で、多様な読者がその人なりに、「うちなーの夜明けと展望」を読み取るであろう。
いくつか紹介したい。山内徳信は、遺言書として書くことにしたという。山内は言う、「沖縄は小さな針で、政府が飲み込むことはできない。針を飲み込めば怪獣は死ぬ」と。そして、「辺野古を中止しないなら全米軍基地撤去運動、基地へ給水ストップの検討」を提言する。
大城貴代子は、山口県と沖縄の青年団の交流で夫と出会い、その活動に感動しウチナー嫁になって50年。真摯(しんし)な人生は、この時代を象徴し、自分史であるが、時代を映す鏡となっている。
平良亀之助は、復帰前年に琉球政府から日本政府に宛てられた「建議書」の成立過程を述べるが、その前文は屋良主席によって執筆されたことを証言する。ちなみに建議書全文は、本書に収録されている。
本書の出版責任者である大村博は、「沖縄の心とはヤマトゥンチュになりたくてなりきれない心」という西銘順治元知事の言葉を引用して、なりきれない心に沖縄の本来の姿がある、と喝破している。
巻末の資料集も、国連関連文書など門外漢ではなかなか所在が分からない文書が収録されており、興味深い。(仲地博・沖縄大学学長)
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りゅうきゅう・おきなわのじこけっていけんをじゅりつするかい 2014年8月23日に設立。沖縄の問題は「日本における民族問題であり、極めて普遍的な人類共通の人権問題だ」と主張。会則で、非武の思想と伝統に基づいた「基地のない自立沖縄」「共生社会沖縄」などをうたっている。
琉球新報社