志情(しなさき)の海へ

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シンポジウム『戦争と文学ードイツ、日本、沖縄の眼差し』3月13日沖縄県立博物館・美術館で!

2013-02-22 01:37:04 | 戦争とその表象

(つぶやき)1

市川先生とのメールのやり取りで題が決まりました。中身はどんどん詰められていきます。ご期待を!沖縄の詩人と詩はサプライズにした方がいいのだろうか?民謡の「屋嘉節」を会場で最後に唄ってもらうのもいいかもしれない。

(つぶやき)2

思うに沖縄の文学といえば戦争を描いた作品は多いのである。何らかの形で戦争の爪痕が出てくる。もうそれは宿命のような沖縄島である。戦後はまだ終わっていない、の発言も聞かれる現実で、広大な米軍基地の存在そのものがそれを告げている。おまけに昨今はオスプレイが跋扈している。空中から上からななめから暴音として響いてくるのである。授業中も思わず上を見て窓の外を見てその音が通り過ぎるのを待って話しを続けたり、の状態である。小中高校の上にも飛んでくる。多くの生徒たちがまたその音に侵され続けているのである。これは極端かもしれないが日本の中のパレスチナである。沖縄はパレスチナと同様、見えないフェンスに囲まれ、見えるフェンスはその内側から監視しているのである。見えないオリがあり見えるフェンスがある沖縄島である。

(つぶやき)3

ブレヒトが詩を多く書き残していたことに初めて意識させられた。市川先生の翻訳はなかなかいいと思った。「三文オペラ」や「肝っ玉母さん」のほかにも多くの戯曲を創作し、かつ演出してきたのである。これを機会にブレヒトの作品をもっと読み、その舞台を見たいと思うようになった。ブレヒトの音楽劇の楽しさ、快適さはまた琉球歌劇とも比較検証できそうである。ブレヒトの異化作用についてもよく知られているが、物理的にパワーのある演劇、空間で観客が当事者として舞台に呼応していく仕組みはなるほどである。劇的空間の面白さがブレヒトによって格段に前へと進められた事は、隠しようもない事実になっているのだろう。


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