(今朝公園で見かけた風景!猫の里親さんたちは鳩さんたちにもパンくずを与えていました。以前ロンドンのピカデリサーカスやトラファルガー広場 で多くの鳩が観光客のばら撒く餌に群がっていた光景を思い出しました!昨今は餌をやると罰金も課されているのですね!びっくり!猫や鳩に餌をやると罰金の条例があるのですね!シンガポールなど厳しそうです!)
しまくとぅばは其々の地域で話すことが可能なんですね。共通のウチナーグチはウチナー芝居が与えた影響が大きいです。『沖縄芝居と共に』の出版のとき、真喜志康忠氏のことばに宮古島出身の詩人は賛同していました。つまり宮古や八重山でもウチナー芝居は受け入れられたのです。でもしまくとぅばなんですね?ウチナー芝居は共通ウチナーグチ口語として受容されてきた事実を無視できないです。でも言語学者たちは「しまくとぅば」なんです。首里方言の組踊と、しまくとぅば推奨者は、実際に大学院で講義していたのです。芸大は「しまくとぅば運動」として沖縄芝居役者を持ち上げていますが、彼らはウチナーグチで演じられるウチナー芝居の継承者たちです。琉歌は首里語主体で那覇語も入ってくるでしょか?歌三線が盛んだったのは、まず那覇の花街だったのです。そこから村々への伝播していったのですね。野遊びの三線もその後です。
どこかおかしい沖縄の言語政策ですね。「しまくとうば芝居」?「ウチナー芝居」であり「ウチナーグチ」の口語で主に演じられるのです。世界のウチナーンチュであり、ウチナーグチ推進ですね。ウチナーグチの中に琉球諸語が包摂されるのではないのでしょうか?あるいは地域語の宮古言葉であり八重山言葉ですよね。地域の名前が冠になっていいのです。金武ことばであり今帰仁ことばです。しまくとうばはそれらの総称でしょうか?共通に話せるウチナーグチはないということになります。首里・那覇くとぅばは芝居口調になっています。地域の民俗芸能は地域の言葉が主体になっているのですが、地域と那覇・首里との交流もあります。相互作用も見られます。
芝居シーとして蔑まれた芝居役者(舞踊家で組踊継承者)でもあった近代の役者が継承してきた沖縄芝居であり、その中から琉球舞踊や組踊、民謡がまた個別に大きなジャンルとして発展してきた戦後ですよね。古典はもちろん芝居の中にも包摂されています。総合大衆芸能=芝居が継承してきた民族性は歴史の記憶でもあるのですね。
(野生化した猫は鳩に注目しています。鳩に餌をやっている里親さんたちによると若い猫は鳩を掴まえても食することはないようです!生き物の本応でしょうか。しばらく猫の様子をデジカメの動画で撮っていました。)