平敷屋朝敏が『手水の縁』の著者だという点では池宮正治氏が否定論を提唱し、西銘氏、矢野輝雄氏が肯定論を提唱していて、論議はまだ続いているようにも思えます。池宮氏を師として仰ぐ崎原綾乃さんや鈴木耕太さんもまた否定される視点のままなのか、とても興味があります。
今回の西銘さんの朝敏年譜は、ある面『手水の縁』が朝敏だという説を補強する論の展開になる可能性がありますね。朝敏が江戸上りに楽童子として参加したという事が確かだとすると、しかも二回目は楽童子の供としてーーー、朝敏の組踊創作はかなり信憑性が高くなるようですね。「作品と当時の政治勢力の力学」がまた暗示されていて、それも含めて興を覚えます。朝敏(1700-1734)、34年の人生、朝敏の闘いは極めて政治的でかつ文化的だったのですね。
玉城朝薫が花々しく表舞台で演じていた時、朝敏は裏で二重権力の構造と闘っていた事になります!二人は陰陽の花!そして同年、あの世の住人になりました。しかし、薩摩の支配とその背後にある江戸幕政体制があり、清の冊封も受けながら小国琉球で起こっていた政治の潮流だったのですね。琉球王府の復興期に起こった事柄ーー権力と文化の凌ぎ合いがそこにみられます!
西銘さんの継続的な追求に拍手!
平敷屋朝敏に関心をもっている方には必見ですね!
【漫画喫茶で若者が漫画を読んでいる間、「非世界」を読んでいました!漫画は苦手です!】
なかなか興味深い詩やエッセイや論集が収録されています。三分の二ほどは丁寧に読んだのですが、やはり一番興味をもったのは平敷屋朝敏の年譜です。俳句や短歌は普段あまり丁寧に目を通していないのですが、平敷武蕉氏の時評「総合俳誌の新年号を読む」に興趣がありました。比較の視点のなかであぶり出されてくるものがいいですね。また同じく氏の「六十年代とは何であったか」は、小熊英二の『1968』への沖縄の立ち位置からの批判になっていて、なるほどと思いました。日本のインテリ層の眼差しに沖縄の視点を包摂しえない歪・淵がある事があり、それはやむえないのかもしれないのですが(?)、そこは平敷氏が試みているようにもっとこちら側からの眼差しを大胆に打ち出すことがまた問われ続けているのだと思います。
どうしても認識の違いがそこにあるようです。こちら側から見えるモノを遠慮なく交差させることにより理解(認識)が深まっていくのですよね。
今回の西銘さんの朝敏年譜は、ある面『手水の縁』が朝敏だという説を補強する論の展開になる可能性がありますね。朝敏が江戸上りに楽童子として参加したという事が確かだとすると、しかも二回目は楽童子の供としてーーー、朝敏の組踊創作はかなり信憑性が高くなるようですね。「作品と当時の政治勢力の力学」がまた暗示されていて、それも含めて興を覚えます。朝敏(1700-1734)、34年の人生、朝敏の闘いは極めて政治的でかつ文化的だったのですね。
玉城朝薫が花々しく表舞台で演じていた時、朝敏は裏で二重権力の構造と闘っていた事になります!二人は陰陽の花!そして同年、あの世の住人になりました。しかし、薩摩の支配とその背後にある江戸幕政体制があり、清の冊封も受けながら小国琉球で起こっていた政治の潮流だったのですね。琉球王府の復興期に起こった事柄ーー権力と文化の凌ぎ合いがそこにみられます!
西銘さんの継続的な追求に拍手!
平敷屋朝敏に関心をもっている方には必見ですね!
【漫画喫茶で若者が漫画を読んでいる間、「非世界」を読んでいました!漫画は苦手です!】
なかなか興味深い詩やエッセイや論集が収録されています。三分の二ほどは丁寧に読んだのですが、やはり一番興味をもったのは平敷屋朝敏の年譜です。俳句や短歌は普段あまり丁寧に目を通していないのですが、平敷武蕉氏の時評「総合俳誌の新年号を読む」に興趣がありました。比較の視点のなかであぶり出されてくるものがいいですね。また同じく氏の「六十年代とは何であったか」は、小熊英二の『1968』への沖縄の立ち位置からの批判になっていて、なるほどと思いました。日本のインテリ層の眼差しに沖縄の視点を包摂しえない歪・淵がある事があり、それはやむえないのかもしれないのですが(?)、そこは平敷氏が試みているようにもっとこちら側からの眼差しを大胆に打ち出すことがまた問われ続けているのだと思います。
どうしても認識の違いがそこにあるようです。こちら側から見えるモノを遠慮なく交差させることにより理解(認識)が深まっていくのですよね。