(90歳になっても公園でユンタクと散歩、いいね!)
先週の金曜日には「ギリーは幸せになる」「92歳のパリジェンヌ」そして「The Wife」を観た。後で気がついたのはグレン・クロースが2つの映画で重要な役回りだったという事である。ほとんどまめに映画館に行かないが、彼女は「危険な情事」の主役だったのだ。その映画は若い頃観たが、グレン・クロースの情事の相手への鬼気迫るストーカーぶりは凄かった。
「ギリーは幸せになる」は生まれてすぐ母親に捨てられたギリーが主人公で、新しい里親の家での生活、学校の先生、友人、その中で彼女が変化していく物語。実母への思慕の念ゆえに里親の家からの脱出を試みるが失敗したりする。彼女を捨てた母親の親、つまり祖母の役がグレン・クロースだ。クールな富裕層の女性を演じている。里親の家で向いにすむ紳士的で知的な黒人男性、視力が衰えているが、彼がギリーに読ませたワーズワースの詩がいい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AF%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B『ギリーは幸せになる』(ギリーはしあわせになる、The Great Gilly Hopkins)は2016年のアメリカ合衆国のドラマ映画。監督はスティーヴン・ヘレク、主演はソフィー・ネリッセが務めた。本作はキャサリン・パターソンが1978年に発表した小説『ガラスの家族』を原作としている。
【The Wife】『天才作家の妻 40年目の真実』は、2017年のスウェーデン・イギリス・アメリカ合衆国のサスペンス映画。監督はビョルン・ルンゲ、出演はグレン・クローズとジョナサン・プライスなど。天才作家と呼ばれている夫のノーベル文学賞受賞をきっかけに崩壊していく夫婦関係を描いている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%A6%BB_40%E5%B9%B4%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9Fは2017年の作品。ノーベル賞を夫が受賞し、受賞式に出席するためストックフォルムに家族で行く物語。ストックフォルムに滞在している間に、実は実際に小説を書いたのは妻(グレン・クロス)だったということが明らかになる。いわば妻はゴーストライターで文才のない夫が受賞というリアルな現実があった。ノーベル賞をもらうほどに彼女の感性、創造(想像)力は豊かだったのだ。
妻の立場で陰になり夫に名前を与えた二人のコラボレーションの創作人生の結晶、花が開いた時、忸怩たる思いが一人の才覚のある女性の全体を包んでいく。その複雑な心理をどこか緊張感をビリビリ感じさせるグレン・クロスが演じている。
書いたのは私なのよ、私の小説はノーベル賞を授与されるほどの作品だったのよ、と叫びたくなったに違いない。
自らのアイデンティティーを秘匿して生きることは、爆弾を抱えて生きることにほかならないのだと思える。彼女が心臓発作でストックホルムで急死した夫と家族の誇りのために、ゴーストライターだった自らを世間に秘匿し続けるのか、それともすべてを明らかにするのか、結末はわからない。
同じく作家希望の息子に後ですべてを話すわと言った彼女は、作家の自伝などを書いているおいかけの男性に、あなたの希望には添えないと答える。もし夫の名誉を傷つけることがあれば、法に訴えると言い放つ。
どこか、納得がいかない結末だった。
伏線としては、女性作家たちが、阻害されていたアメリカの現実という状況が含まれているが、自我の輝きが人生よと自らをプッシュする傾向が強いと思える社会で、ノーベル賞受賞者となった夫の名誉を守るため、この間の共同創作を否定し、ひたすら陰として生きて終わる彼女だろうか。意外性の中に違和感も起こった作品。夫は天才作家と評されている。実は彼女が天才だった。
妻、グレン・クロースの心の揺れが緊張感を伴って、全身で演じているイメージは良かった。最初から予測させる物語の展開に見えたが~。ゴーストライターのアイデンティを隠さざるを得ない闇の深さがあるに違いない。大きな声で叫びたいはずだ。「私が書いたのよ。わたしの作品はノーベル賞に選ばれたのよ」と。
意外と男性作家(芸術家)に周りの女性たちの才能が何らかの影響を与えていることはありえる。関係性の中に実存しているゆえに~。メキシコの有名な芸術家夫婦の関係においても、妻の才能が夫によって搾取されていたことが、時を経て明らかになった事例もあった。家父長制度の中で男性が社会制度的に、精神や心理の複雑な構造の兼ね合いにおいても、家族を、つまり妻や子どもたちを支配する構図は大方変わらないのではなかろうか。経済的、精神的自立という言葉は目立っているが、実際に女性の自立なり個人としての尊厳の上で対等な夫婦なりパートナーの関係性のありようはどうなのだろう。家族という括りの関係の絶対性という言葉がある。生まれるということは一対の男女の関係がありこの世に実在することになる。個のアイデンティティや精神の自立、生活基盤(経済)の自立、尊厳、独立を追求すると、既成の家族概念と対立することもありえるだろうけれど、大方の人間は家族の愛情、協調・協力・相互扶助に育まれて成長していく。家族の愛情を含めた呪縛・絶対性のようなものから遊離(逸脱)できない。存在の根を切り捨てることができない。家や家族そのものが身体的、精神的苦痛の基でないかぎり~。
ゴースト・ライターGhost writer、ゴースト・アーティストghost artist、ゴースト作曲家ghost composerの存在はつらつら聞こえてくる。妻の作詞作曲した歌を自分のものにしたとか、妹の作詞作曲を少し節を変えて自分の作品にしたとか~。身近な家族間の才能の収奪ゆえに、秘匿されることは多いに違いない。家族という大義名分で、内部の闇が埋もれていくのである。家族という形を守るため、DVも表に出にくい。この映画では才能豊かな妻を積極的に表に作家として押し出すことはなく、妻の才能に寄生していた男性作家の大きな隠蔽があぶり出されているが、彼はその関係に苦しむことはなかったのだろうか。否、苦しみはあったに違いない。嘘で固めた人生の岐路があったとして、その嘘に良心の呵責はどれほどのものだったのだろうか。嘘の虚飾に騙されるエリート層や大勢の聴衆がいる。聴衆はメディアに操作されている。ノーベル賞という最高の名誉が泥に塗れる映画だ。ある真実の断片を白日にさらしている作品であることは確かだろう。
「92歳のパリジェンヌ」https://ja.wikipedia.org/wiki/92%E6%AD%B3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%8C
この映画は尊厳死のテーマだった。実話に基づく映画という筋書きだった。老いに死に向き合う、向き合わざるを得ない92歳の女性の物語は、身近なテーマだ。姥捨て山のような病院のベッドの上で死ぬことを拒絶した女性は、恋多き女性で夫を裏切ってもパッションを素直に受け入れたのだということが明かされていく。フランスの人の恋路に口を挟まない柔軟な国民性が彼女や娘の男性との関係性に表出されている。(フランス語)
先週の金曜日には「ギリーは幸せになる」「92歳のパリジェンヌ」そして「The Wife」を観た。後で気がついたのはグレン・クロースが2つの映画で重要な役回りだったという事である。ほとんどまめに映画館に行かないが、彼女は「危険な情事」の主役だったのだ。その映画は若い頃観たが、グレン・クロースの情事の相手への鬼気迫るストーカーぶりは凄かった。
「ギリーは幸せになる」は生まれてすぐ母親に捨てられたギリーが主人公で、新しい里親の家での生活、学校の先生、友人、その中で彼女が変化していく物語。実母への思慕の念ゆえに里親の家からの脱出を試みるが失敗したりする。彼女を捨てた母親の親、つまり祖母の役がグレン・クロースだ。クールな富裕層の女性を演じている。里親の家で向いにすむ紳士的で知的な黒人男性、視力が衰えているが、彼がギリーに読ませたワーズワースの詩がいい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AF%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B『ギリーは幸せになる』(ギリーはしあわせになる、The Great Gilly Hopkins)は2016年のアメリカ合衆国のドラマ映画。監督はスティーヴン・ヘレク、主演はソフィー・ネリッセが務めた。本作はキャサリン・パターソンが1978年に発表した小説『ガラスの家族』を原作としている。
【The Wife】『天才作家の妻 40年目の真実』は、2017年のスウェーデン・イギリス・アメリカ合衆国のサスペンス映画。監督はビョルン・ルンゲ、出演はグレン・クローズとジョナサン・プライスなど。天才作家と呼ばれている夫のノーベル文学賞受賞をきっかけに崩壊していく夫婦関係を描いている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%A6%BB_40%E5%B9%B4%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9Fは2017年の作品。ノーベル賞を夫が受賞し、受賞式に出席するためストックフォルムに家族で行く物語。ストックフォルムに滞在している間に、実は実際に小説を書いたのは妻(グレン・クロス)だったということが明らかになる。いわば妻はゴーストライターで文才のない夫が受賞というリアルな現実があった。ノーベル賞をもらうほどに彼女の感性、創造(想像)力は豊かだったのだ。
妻の立場で陰になり夫に名前を与えた二人のコラボレーションの創作人生の結晶、花が開いた時、忸怩たる思いが一人の才覚のある女性の全体を包んでいく。その複雑な心理をどこか緊張感をビリビリ感じさせるグレン・クロスが演じている。
書いたのは私なのよ、私の小説はノーベル賞を授与されるほどの作品だったのよ、と叫びたくなったに違いない。
自らのアイデンティティーを秘匿して生きることは、爆弾を抱えて生きることにほかならないのだと思える。彼女が心臓発作でストックホルムで急死した夫と家族の誇りのために、ゴーストライターだった自らを世間に秘匿し続けるのか、それともすべてを明らかにするのか、結末はわからない。
同じく作家希望の息子に後ですべてを話すわと言った彼女は、作家の自伝などを書いているおいかけの男性に、あなたの希望には添えないと答える。もし夫の名誉を傷つけることがあれば、法に訴えると言い放つ。
どこか、納得がいかない結末だった。
伏線としては、女性作家たちが、阻害されていたアメリカの現実という状況が含まれているが、自我の輝きが人生よと自らをプッシュする傾向が強いと思える社会で、ノーベル賞受賞者となった夫の名誉を守るため、この間の共同創作を否定し、ひたすら陰として生きて終わる彼女だろうか。意外性の中に違和感も起こった作品。夫は天才作家と評されている。実は彼女が天才だった。
妻、グレン・クロースの心の揺れが緊張感を伴って、全身で演じているイメージは良かった。最初から予測させる物語の展開に見えたが~。ゴーストライターのアイデンティを隠さざるを得ない闇の深さがあるに違いない。大きな声で叫びたいはずだ。「私が書いたのよ。わたしの作品はノーベル賞に選ばれたのよ」と。
意外と男性作家(芸術家)に周りの女性たちの才能が何らかの影響を与えていることはありえる。関係性の中に実存しているゆえに~。メキシコの有名な芸術家夫婦の関係においても、妻の才能が夫によって搾取されていたことが、時を経て明らかになった事例もあった。家父長制度の中で男性が社会制度的に、精神や心理の複雑な構造の兼ね合いにおいても、家族を、つまり妻や子どもたちを支配する構図は大方変わらないのではなかろうか。経済的、精神的自立という言葉は目立っているが、実際に女性の自立なり個人としての尊厳の上で対等な夫婦なりパートナーの関係性のありようはどうなのだろう。家族という括りの関係の絶対性という言葉がある。生まれるということは一対の男女の関係がありこの世に実在することになる。個のアイデンティティや精神の自立、生活基盤(経済)の自立、尊厳、独立を追求すると、既成の家族概念と対立することもありえるだろうけれど、大方の人間は家族の愛情、協調・協力・相互扶助に育まれて成長していく。家族の愛情を含めた呪縛・絶対性のようなものから遊離(逸脱)できない。存在の根を切り捨てることができない。家や家族そのものが身体的、精神的苦痛の基でないかぎり~。
ゴースト・ライターGhost writer、ゴースト・アーティストghost artist、ゴースト作曲家ghost composerの存在はつらつら聞こえてくる。妻の作詞作曲した歌を自分のものにしたとか、妹の作詞作曲を少し節を変えて自分の作品にしたとか~。身近な家族間の才能の収奪ゆえに、秘匿されることは多いに違いない。家族という大義名分で、内部の闇が埋もれていくのである。家族という形を守るため、DVも表に出にくい。この映画では才能豊かな妻を積極的に表に作家として押し出すことはなく、妻の才能に寄生していた男性作家の大きな隠蔽があぶり出されているが、彼はその関係に苦しむことはなかったのだろうか。否、苦しみはあったに違いない。嘘で固めた人生の岐路があったとして、その嘘に良心の呵責はどれほどのものだったのだろうか。嘘の虚飾に騙されるエリート層や大勢の聴衆がいる。聴衆はメディアに操作されている。ノーベル賞という最高の名誉が泥に塗れる映画だ。ある真実の断片を白日にさらしている作品であることは確かだろう。
「92歳のパリジェンヌ」https://ja.wikipedia.org/wiki/92%E6%AD%B3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%8C
この映画は尊厳死のテーマだった。実話に基づく映画という筋書きだった。老いに死に向き合う、向き合わざるを得ない92歳の女性の物語は、身近なテーマだ。姥捨て山のような病院のベッドの上で死ぬことを拒絶した女性は、恋多き女性で夫を裏切ってもパッションを素直に受け入れたのだということが明かされていく。フランスの人の恋路に口を挟まない柔軟な国民性が彼女や娘の男性との関係性に表出されている。(フランス語)