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以下の批評がいいかどうかは別として、昨今のウチナーグチなど琉球諸語の復興運動と確かにかかわった文化運動の一環として見ることはできるだろう。「キジムナーフェスタ」は商標の事でも問題になったので、来年度から新しいネーミングということかもしれない。組織の運営に腐敗が起こらないような体制はどこでもいつでも大切だと言える。独占体制はいつでも・どこでも醜い。偏った個人の突出もいいが、交代して責務を全うする、あるいはチームワークを創り出す手腕が問われているのだろう。あらゆる首長の任期はどんな組織でも4年から8年と決めた方がいい。アメリカ大統領制のように、絶対三期はありえない仕組みがほしい。個人の独占体制は市町村単位でもよくないと考える。後身に譲る謙虚さは美しい。自己顕示欲の誇示・保持はある面、『美しくない』。謙虚な慎ましやかな美がある。それらが利害とからむと、学門研究の場であっても、醜い。世襲制のような人事がここそこに見られるのも醜い。学生の留学生選考でさえも、XXの眷属ということで選考されていく村的利害関係は、醜い。公平さが追及されていて、実は公平ではない社会が隅々まで行きわたっている事実にぶつかるこの社会でもある。それゆえに、真に自らの力で、困難な状況から何かを成し遂げることのできる個人に、人々は賞賛の眼差しを送る。個人の持つ力の根源を尊敬してやまない。というのも、日本の教育はすでに親の年収と比例しているゆえでもある。そうしたピラミッドの構造を突き破って才覚を開く若者たちにエールを送りたい。環境に押しつぶされることなく、歩いてほしい。