東アジア共同体研究所(EACI) News Weeky Vol.076 「青い眼が見た大琉球-フランスの狙い-」】
受信トレイ
|
x |
|
18:56 (1 時間前)
|
|||
|
================================
EACI News Weekly 第76号(6月25日号)
東アジア共同体研究所(East Asian Community Institute )
http://eaci.or.jp/
================================
「いいね!」で、東アジア共同体研究所の最新情報をお届けします。
Facebook : http://www.facebook.com/east.asian.community.institute
================================
【目次】
【1】《今週のニュース 6/18-6/24》
政治(3)、経済(2)、国際(2)、社会(4)
【2】《UIチャンネル放送予告 No.157》
第157 回UIチャンネル高野孟氏講演「日本会議ってなに?」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv267211211
【3】《EACIレポート(再掲)》
孫崎享所長が著書「21世紀の戦争と平和: きみが知るべき日米関係の真実」を発売
http://www.amazon.co.jp/dp/4198641757
【4‐1】《研究員コラム》
瑞慶覧長敏(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター事務局長)
「事務局長日記 no.6」
【4‐2】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「青い眼が見た大琉球-フランスの狙い-」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【1】《今週のニュース 6/18-6/24》
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【政治】
■改憲勢力3分の2うかがう 毎日新聞序盤情勢
(毎日新聞 2016.6.24)
http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160624/k00/00m/010/124000c
■「反基地」意識し遊説せず=翁長知事、辺野古阻止で強気-安倍首相訪沖【16参院選】
(時事通信 2016.6.23)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062300849&g=pol
■怒り、悲しみ限界 沖縄県民大会に6万5千人 米軍属事件に抗議、被害者を追悼
(琉球新報 2016.6.20)
http://ryukyushimpo.jp/movie/entry-301080.html
【経済】
■TPP再交渉 示唆 「水準満たさない」 米国・民主党クリントン氏
(日本農業新聞 2016.6.23)
http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=38005
■シャープ再出発 厳しい声 株主総会4時間半
(日経新聞 2016.6.24)
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO03997580T20C16A6LDA000/
【国際】
■英国民投票 「EU離脱多数が確実」 英BBC
(NHK 2016.6.24)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160624/k10010569961000.html
■EU離脱をめぐる国民投票が終了、イギリス史上最大の政治イベントに 賭け金がすごい
(ハフィントン・ポスト 2016.6.24)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/23/eu-referendum-_n_10639960.html
【社会】
■翁長知事の平和宣言(全文)
(琉球新報 2016.6.23)
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-244694.html
■中国東部で竜巻 78人死亡 500人近いけが人
(NHK 2016.6.24)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160623/k10010569141000.html
■避難指示・勧告20万人に縮小 熊本など九州北部、24日も大雨に警戒を
(西日本新聞 2016.6.23)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/253865
■ インド東部で豪雨・嵐、落雷で56人死亡
(TBS 2016.6.23)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2804426.html
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【2】《UIチャンネル放送予告 No.157》
第157 回UIチャンネル高野孟氏講演「日本会議ってなに?」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv267211211
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
6月27日(月)20時からの第157回UIチャンネル放送は、6月23日(慰霊の日)に、沖縄県立博物館・美術館講堂にて開催予定の第19回定例勉強会(主催:東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター)から高野孟氏講演「日本会議ってなに?」をお送り致します。
番組内では質問を受け付けておりますので、コメント欄またはinfo@eaci.or.jpまでお寄せ下さい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【3】《EACIレポート(再掲)》
孫崎享所長が著書「21世紀の戦争と平和: きみが知るべき日米関係の真実」を発売
http://www.amazon.co.jp/dp/4198641757
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
6月14日、徳間書店から、「21世紀の戦争と平和: きみが知るべき日米関係の真実」が発売されました。
【内容紹介】
2016年6月、改正された公職選挙法が施行され、18歳以上の国民すべてが国政投票に参加することになる。本書は日本の外交、特に日米安保の問題に焦点をあてる。安保問題は日本の平和と国益を考えるうえで死活的な要件であるにもかかわらず、政府は誤った選択を繰り返している。なぜ日本は戦争に突き進もうとするのか。米国の世界戦略から日本の危機、そして東アジアの緊迫を読み解く。元外務省・国際情報局長が新世代におくる国際政治入門!
ぜひご一読下さい。
■21世紀の戦争と平和: きみが知るべき日米関係の真実(徳間書店・2016/6/14)
http://www.amazon.co.jp/dp/4198641757
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【4‐1】《研究員コラム》
瑞慶覧長敏(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター事務局長)
「事務局長日記」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
6月19日県民大会。6万5千人が参加。
日本本土ではニュースになっただろうか。
沖縄はこの一か月悲しみに覆われている。昨日の集会も、全体がそれに包まれていた。
彼女はなぜ殺されなければならなかったのだろうか。
彼女をなぜ救えなかったのだろうか。
私たちは一体いつまでこんなことを繰り返せばいいのだろうか。
答えは出ない。
答えの無いまま、私たちは進まなければならない。
ふがいない思い、悔しい思い、やるせない思い、こんちくしょう!
何とも言えない複雑な思いが入り混じったままだ。
それでもなお、私たちは進まなければならない。
歩みを止めることなどできないのだ。
なぜ見知らぬ女性一人の死でそこまで?
そうじゃない。
そんなものじゃない。
沖縄の我々には、ひき殺され、強姦され、刺し殺され、捨てられた沖縄の歴史がよみがえるのだ。
一人の死では決してない。
前に進む。
6万5千人が決意した。
過去には絶対に戻らない。
何が何でも絶対に戻さない。
本土がいつまでも変わらなければ、我々が変える。
若者も堂々と決意を述べた。
これまでの集会とは明らかに何かが違った。
本気になった沖縄。
私にはそれがはっきりと見えた。
変わる。
そして変える。
2016年6月20日 瑞慶覧長敏
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【4‐2】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「青い眼が見た大琉球-フランスの狙い-」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
社会不安が続くフランス
フォルカード師が琉球に派遣された(1844年)当時のフランスを垣間見てみよう。
「(1830年)ルイ・フィリップの即位式は、8月9日、下院のあるブルボン宮で行われたが、上下両院の議員を前に、改正された憲章を遵守するむねの宣誓文を彼が読み上げただけである。聖油式はおろか聖書すら持ち込まれていなかった。」(近代ヨーロッパの情熱と苦悩-世界の歴史22 中公文庫)
「反カトリック王政、君主制の世俗化」を象徴する王であった。
「じつのところ、カトリックの聖職者はこの時期、聖服を着て街を歩ける状態ではなかった。聖職者やカトリック信仰を表象するものへの攻撃が行われ、首都の教会は数日間門戸を固く閉ざし、蜂起した民衆はチュイルリ宮を略奪しあとパリ大司教に押しかけている。ノートルダムでは製具室が荒らされ、三色旗が掲げられた。パリ近郊、モンルージュにあったイエズス会の会館は恰好の標的であった。」
「1840年5月にはナポレオンの遺骸をひきとり、アンヴァリッドに安置して彼の名誉回復を公式に宣言した。民衆のナポレオン信仰に逆らわず、それをむしろ国民統合つまりは政権維持に利用する柔軟性をあわせもっていた。」
パリの街は農村からの流入が激しく、彼らの滞留するスラムは肺結核、コレラ、チフスの巣窟であった。1832年にはパリで1万人以上が死亡。産業革命によって引き起こされた社会問題が深刻化していた。プルードンの「所有とは何か」(1840年)では「所有、それは盗みである」と規定している。
1848年2月23日、2月革命勃発。ルイ・フィリップは亡命。詩人ラマルチーヌなどが中心となって共和制を宣言する。今度はカトリック教会と共和制の同盟が一時的に成立する。
「街路では『キリスト万歳!自由万歳!ピウス9世万歳!』という歓声が響きわたった。」
18年前の反カトリックとは様変わりしている。
信徒発見?
パリ外国宣教会は東アジアにおけるカトリックの布教を目的として1653年に設立された。フォルカードの使命は琉球に定住し、その後、日本へ渡ることにあった。しかし残念ながら実現しなかった。琉球に定住できたのは二人。フォルカードと中国人の伝道士オーギュスタン・コーであった。彼は信仰のために広東の刑務所に留置されていたところをセシール提督によって釈放された。
この二人が琉球に定住して間もなく、謎めいたできごとが起こる。オーギュスタンは毎晩海岸に出てロザリオを唱えていた。ところが1844年の10月2日(上陸から約5カ月後)、空は暗く、午前中に王子が死去し、皆は動揺していた。ふと水の中を人が歩くような物音を耳にする。一人の男がオールを片手にオーギュスタンの前に現れ、小声ではなしかける。
「手まねで寺を指しながら、何かどうしても聞きたいことがあるらしいのです。」
オーギュスタンは何を求められているか見当もつかない。悪者かもしれない、と身構える。すると男は引き下がり、怖がらせないようにオールを置きにゆく。
「そして急いで戻ってきて、もう一度お辞儀をし、ひざまずいて懇願しました。この不思議な出会いは4,5分も続きましたが、オーギュスタンには相変わらず何のことか分かりませんでした。」
二人の興奮した話声に気が付いた見張りが駆けつけてくる。すると男は来た時よりも素早く海の方へ逃げ出し、そばでじっと事態を見守っていた男と小舟で見る見る遠ざかっていった。
「このできごとについて、私は色々考えてみたし、今も考えています。この人たちは昔のキリスト教徒の子孫ではないでしょうか。」
もしこの二人が隠れキリシタンであったなら、そしてもし彼らが告白出来ていたなら、3世紀近くにわたる迫害を超えたキリシタン発見としてヨーロッパで大ニュースとなっただろう。(長崎浦上村での「信徒発見」―「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)―は1865年。琉球でのこの出来事はそれより11年早い。)
さらに想像を膨らませると、彼らがフォルカードの想像通りのキリスト教徒であることがはっきり確認されていたら、琉球には大天主堂が建てられ、カトリックの巡礼の地となっていたかもしれない。
フォルカードは日本語を習得するのに熱心だった。日本と琉球はほとんど同じ言葉だ、と認識していた。しかし最初は、妨害された。嘘を教えて喜んでいたくらいだ。ところが(彼の住んでいる)寺にいる下級官吏が突然態度を改め、会話を教えてくれるようになった。
おかげで「1万語以上収録した小辞書を作成」することが出来た。
ベッテルハイムの印象
1846年4月30日(上陸から2年後)、久しぶりにイギリスの船が那覇に停泊する。
「昨年私の手紙を運んで行った二隻のフリゲート艦以来、ヨーロッパの船がこの地に現れるのは初めてのことである。早速船に乗り込むと、そこでベッテルハイムという人物に出会った。彼は、自分は医者として慈善団体から琉球に派遣されたのだと言った。」
彼こそ、イギリス海軍琉球伝道会が派遣した宣教師・医師であった。この会は30年前の1816年、イギリス艦船アルセスト号・ライラ号の乗組員が宣教師の派遣を計画し、クリフォード中尉(注・クリフォード訪琉日記で紹介)が中心となって結成した。
ベッテルハイムはユダヤ系ハンガリー人として生まれた。香港で日本語を学び1846年来琉。積極的な伝道活動に励むかたわら聖書の翻訳を行った。54年、ペリー艦隊と共に香港に引き上げのちにアメリカ・ミズーリ州にわたる。(琉球日記・解説より)
ベッテルハイムは、「自分がプロテスタントであることを打ち明け、宗教上の見解の相違を乗り越えて、互いに交際を深め、相互理解のうえに共存を図りたい意向だと言った。」
とはいうもののフォルカードはあまり好印象を持たなかったようだ。
5月4日(4日後)の日記。
「その晩、イギリス人の医師(ベッテルハイム)が私を訪ねてきた。私は丁重に応対したが、たいした話はしなかった。」
翌5月5日の日記。
「私がベッテルハイム氏の訪問の返礼をしようと出かけたところ、途中で本人と出会った。彼は布政官のところへ家を一軒与えてほしいと言いに行くところであった。彼のところへはだれも病人を連れて来たがらないし、彼は寺に幽閉され、非常に意気消沈している。さらに悪いことには、一緒に来た女中が怖がって下船しようとしないので、夫人は二人の子供と共に(寺に)取り残されて、困り果てているのである。お気の毒に!あなたはもっと多くの困難に遭遇することでしょう。」
この言い方はどう見てもベッテルハイムに同情している、とは思えない。
5月16日の日記。
「とうとう今日はベッテルハイム医師を訪問することにした。彼は高官の許可を得て、那覇港の入口近くの寺を引き払い、同じ町の別の寺に住んでいた。この寺の方が私のところよりずっと清潔で美しい。とはいえ気の毒なことに彼は私と同様この国の官憲との間に難題を抱えてしまっている。官憲は彼にいてほしくもないし、医療も受けたいとは思っていないのだ。彼は私に積極的に近づき、親しくなっておきたいらしい。だが諸般の事情から見てそれは不可能だ。」
これまた突き放すような言い方に聞こえる。ベッテルハイム夫人からはワインを混ぜないとここの水が飲めない。そこで何本かもらえないだろうか、と頼まれるが断っている。ベッテルハイムは彼が設立しようとしている病院の広告を、フォルカードの住む寺に貼ったりしている。7月8日の日記には迷惑至極な様子がうかがえる。
「病院というのもプロテスタント伝道の一手段なのですから、引き受けて異端の片棒を担ぎたくはありませんでした。」
「聖母マリアが彼を改宗させて下さるなら!それは難しいでしょうし、人間的には不可能でもあります。」
一方が正しければ、他方は間違い。同じキリスト教徒なのだから折り合って一緒に行動すれば良いものを、そうはいかないらしい。フォルカードは次のような手紙を出す。
「あなたが正しいとすれば、私は間違っているのですし、私が主なる神の教義を知っているとすれば、あなたのは真実のものではないのです。つまりあなたが救いの道を歩んでいるなら、私は滅びの道にあることになります。真の宗教を信じる者だけが救われるからです。」
ヨーロッパから見れば辺境・未開の地、琉球。そこで二人はキリストの教えを広めようと死にもの狂いで努力している。そして同じような迫害を受けている。しかしながら絶対に協力しようとはしない。原因はそれぞれの神についての解釈にある。だから妥協はあり得ない。
「宗論はいずれ勝っても釈迦の恥」という言葉を思い出す。いやそんなに簡単に片づけられては2000年のキリスト教の歴史が、何十億人のキリスト教徒が、絶句し怒りだすだろう。
二人の目的は、魂なき獣のごとき琉球人たちを入信させ、次に日本へ渡り布教することにある。残念ながらそれは失敗した。
フランスの狙い
この頃、琉球はイギリス船との交渉しか経験していない。1846年6月(上陸して約2年後)、セシーユ提督が琉球の総理官と会見する。フランス、ロシア、イギリスはヨーロッパの三大王国であり、スペインはルソン島を領有し・・と琉球をとりまく情勢を説明した。そして
「フランスの皇帝は広大で美しい国土を支配しているので、遠方の地を征服して版図を拡大しようなどというつもりはない。さらに皇帝は賢明な方であり、正義にかなわないことを望んだりはしない。戦争は国民を不幸にするので望むところではないが、侮辱には敏感であり、いざとなれば戦争も辞さないし、多数の陸軍と強力な海軍を保有しているので、簡単に勝利を得ることができる。」と脅しをかける。
そして日本の鎖国政策は間違いだ、尚巴志の時代の栄光を思い出せ、と説く。
「貴国は通商によって銀貨や銅貨を大量に獲得したために、福建や浙江ではそれが少なくなり、中国人はそのことで皇帝に苦情を申し立てたくらいだ。」と通商の必要性を強調。
最後にこう結んでいる。
「ヨーロッパ人との関係を緊密にすれば、貴国は昔と同じように再びあの高い地位と権勢を誇ることになる。だからこそ私は、我々が最近中国と結んだものと同じような条約を結ぶことを提案するものである」
幕末の激動は既に始まっている。9年後、琉仏条約が締結されるが批准にまで至っていない。フランスと日本との間には1858年に条約が結ばれる。
1846年6月、琉球を訪れたフランス艦隊の中から3人の死者が出た。そのうち二人は名護市の屋我地島に葬られている。現地を取材した報告は次回ご紹介する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■メール内容に関するご意見・ご要望はこちら
アドレス:info@eaci.or.jp
■購読解除はこちら
アドレス:info@eaci.or.jp
発行 :東アジア共同体研究所
〒100-0014 千代田区永田町2-9-6 十全ビル706
WEB :http://www.eaci.or.jp/
Facebook:https://www.facebook.com/east.asian.community.institute
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本誌に掲載されている文章の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2015-2016 東アジア共同体研究所 All rights reserved.
EACI News Weekly 第76号(6月25日号)
東アジア共同体研究所(East Asian Community Institute )
http://eaci.or.jp/
================================
「いいね!」で、東アジア共同体研究所の最新情報をお届けします。
Facebook : http://www.facebook.com/east.asian.community.institute
================================
【目次】
【1】《今週のニュース 6/18-6/24》
政治(3)、経済(2)、国際(2)、社会(4)
【2】《UIチャンネル放送予告 No.157》
第157 回UIチャンネル高野孟氏講演「日本会議ってなに?」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv267211211
【3】《EACIレポート(再掲)》
孫崎享所長が著書「21世紀の戦争と平和: きみが知るべき日米関係の真実」を発売
http://www.amazon.co.jp/dp/4198641757
【4‐1】《研究員コラム》
瑞慶覧長敏(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター事務局長)
「事務局長日記 no.6」
【4‐2】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「青い眼が見た大琉球-フランスの狙い-」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【1】《今週のニュース 6/18-6/24》
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【政治】
■改憲勢力3分の2うかがう 毎日新聞序盤情勢
(毎日新聞 2016.6.24)
http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160624/k00/00m/010/124000c
■「反基地」意識し遊説せず=翁長知事、辺野古阻止で強気-安倍首相訪沖【16参院選】
(時事通信 2016.6.23)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062300849&g=pol
■怒り、悲しみ限界 沖縄県民大会に6万5千人 米軍属事件に抗議、被害者を追悼
(琉球新報 2016.6.20)
http://ryukyushimpo.jp/movie/entry-301080.html
【経済】
■TPP再交渉 示唆 「水準満たさない」 米国・民主党クリントン氏
(日本農業新聞 2016.6.23)
http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=38005
■シャープ再出発 厳しい声 株主総会4時間半
(日経新聞 2016.6.24)
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO03997580T20C16A6LDA000/
【国際】
■英国民投票 「EU離脱多数が確実」 英BBC
(NHK 2016.6.24)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160624/k10010569961000.html
■EU離脱をめぐる国民投票が終了、イギリス史上最大の政治イベントに 賭け金がすごい
(ハフィントン・ポスト 2016.6.24)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/23/eu-referendum-_n_10639960.html
【社会】
■翁長知事の平和宣言(全文)
(琉球新報 2016.6.23)
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-244694.html
■中国東部で竜巻 78人死亡 500人近いけが人
(NHK 2016.6.24)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160623/k10010569141000.html
■避難指示・勧告20万人に縮小 熊本など九州北部、24日も大雨に警戒を
(西日本新聞 2016.6.23)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/253865
■ インド東部で豪雨・嵐、落雷で56人死亡
(TBS 2016.6.23)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2804426.html
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【2】《UIチャンネル放送予告 No.157》
第157 回UIチャンネル高野孟氏講演「日本会議ってなに?」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv267211211
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
6月27日(月)20時からの第157回UIチャンネル放送は、6月23日(慰霊の日)に、沖縄県立博物館・美術館講堂にて開催予定の第19回定例勉強会(主催:東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター)から高野孟氏講演「日本会議ってなに?」をお送り致します。
番組内では質問を受け付けておりますので、コメント欄またはinfo@eaci.or.jpまでお寄せ下さい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【3】《EACIレポート(再掲)》
孫崎享所長が著書「21世紀の戦争と平和: きみが知るべき日米関係の真実」を発売
http://www.amazon.co.jp/dp/4198641757
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
6月14日、徳間書店から、「21世紀の戦争と平和: きみが知るべき日米関係の真実」が発売されました。
【内容紹介】
2016年6月、改正された公職選挙法が施行され、18歳以上の国民すべてが国政投票に参加することになる。本書は日本の外交、特に日米安保の問題に焦点をあてる。安保問題は日本の平和と国益を考えるうえで死活的な要件であるにもかかわらず、政府は誤った選択を繰り返している。なぜ日本は戦争に突き進もうとするのか。米国の世界戦略から日本の危機、そして東アジアの緊迫を読み解く。元外務省・国際情報局長が新世代におくる国際政治入門!
ぜひご一読下さい。
■21世紀の戦争と平和: きみが知るべき日米関係の真実(徳間書店・2016/6/14)
http://www.amazon.co.jp/dp/4198641757
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【4‐1】《研究員コラム》
瑞慶覧長敏(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター事務局長)
「事務局長日記」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
6月19日県民大会。6万5千人が参加。
日本本土ではニュースになっただろうか。
沖縄はこの一か月悲しみに覆われている。昨日の集会も、全体がそれに包まれていた。
彼女はなぜ殺されなければならなかったのだろうか。
彼女をなぜ救えなかったのだろうか。
私たちは一体いつまでこんなことを繰り返せばいいのだろうか。
答えは出ない。
答えの無いまま、私たちは進まなければならない。
ふがいない思い、悔しい思い、やるせない思い、こんちくしょう!
何とも言えない複雑な思いが入り混じったままだ。
それでもなお、私たちは進まなければならない。
歩みを止めることなどできないのだ。
なぜ見知らぬ女性一人の死でそこまで?
そうじゃない。
そんなものじゃない。
沖縄の我々には、ひき殺され、強姦され、刺し殺され、捨てられた沖縄の歴史がよみがえるのだ。
一人の死では決してない。
前に進む。
6万5千人が決意した。
過去には絶対に戻らない。
何が何でも絶対に戻さない。
本土がいつまでも変わらなければ、我々が変える。
若者も堂々と決意を述べた。
これまでの集会とは明らかに何かが違った。
本気になった沖縄。
私にはそれがはっきりと見えた。
変わる。
そして変える。
2016年6月20日 瑞慶覧長敏
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【4‐2】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「青い眼が見た大琉球-フランスの狙い-」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
社会不安が続くフランス
フォルカード師が琉球に派遣された(1844年)当時のフランスを垣間見てみよう。
「(1830年)ルイ・フィリップの即位式は、8月9日、下院のあるブルボン宮で行われたが、上下両院の議員を前に、改正された憲章を遵守するむねの宣誓文を彼が読み上げただけである。聖油式はおろか聖書すら持ち込まれていなかった。」(近代ヨーロッパの情熱と苦悩-世界の歴史22 中公文庫)
「反カトリック王政、君主制の世俗化」を象徴する王であった。
「じつのところ、カトリックの聖職者はこの時期、聖服を着て街を歩ける状態ではなかった。聖職者やカトリック信仰を表象するものへの攻撃が行われ、首都の教会は数日間門戸を固く閉ざし、蜂起した民衆はチュイルリ宮を略奪しあとパリ大司教に押しかけている。ノートルダムでは製具室が荒らされ、三色旗が掲げられた。パリ近郊、モンルージュにあったイエズス会の会館は恰好の標的であった。」
「1840年5月にはナポレオンの遺骸をひきとり、アンヴァリッドに安置して彼の名誉回復を公式に宣言した。民衆のナポレオン信仰に逆らわず、それをむしろ国民統合つまりは政権維持に利用する柔軟性をあわせもっていた。」
パリの街は農村からの流入が激しく、彼らの滞留するスラムは肺結核、コレラ、チフスの巣窟であった。1832年にはパリで1万人以上が死亡。産業革命によって引き起こされた社会問題が深刻化していた。プルードンの「所有とは何か」(1840年)では「所有、それは盗みである」と規定している。
1848年2月23日、2月革命勃発。ルイ・フィリップは亡命。詩人ラマルチーヌなどが中心となって共和制を宣言する。今度はカトリック教会と共和制の同盟が一時的に成立する。
「街路では『キリスト万歳!自由万歳!ピウス9世万歳!』という歓声が響きわたった。」
18年前の反カトリックとは様変わりしている。
信徒発見?
パリ外国宣教会は東アジアにおけるカトリックの布教を目的として1653年に設立された。フォルカードの使命は琉球に定住し、その後、日本へ渡ることにあった。しかし残念ながら実現しなかった。琉球に定住できたのは二人。フォルカードと中国人の伝道士オーギュスタン・コーであった。彼は信仰のために広東の刑務所に留置されていたところをセシール提督によって釈放された。
この二人が琉球に定住して間もなく、謎めいたできごとが起こる。オーギュスタンは毎晩海岸に出てロザリオを唱えていた。ところが1844年の10月2日(上陸から約5カ月後)、空は暗く、午前中に王子が死去し、皆は動揺していた。ふと水の中を人が歩くような物音を耳にする。一人の男がオールを片手にオーギュスタンの前に現れ、小声ではなしかける。
「手まねで寺を指しながら、何かどうしても聞きたいことがあるらしいのです。」
オーギュスタンは何を求められているか見当もつかない。悪者かもしれない、と身構える。すると男は引き下がり、怖がらせないようにオールを置きにゆく。
「そして急いで戻ってきて、もう一度お辞儀をし、ひざまずいて懇願しました。この不思議な出会いは4,5分も続きましたが、オーギュスタンには相変わらず何のことか分かりませんでした。」
二人の興奮した話声に気が付いた見張りが駆けつけてくる。すると男は来た時よりも素早く海の方へ逃げ出し、そばでじっと事態を見守っていた男と小舟で見る見る遠ざかっていった。
「このできごとについて、私は色々考えてみたし、今も考えています。この人たちは昔のキリスト教徒の子孫ではないでしょうか。」
もしこの二人が隠れキリシタンであったなら、そしてもし彼らが告白出来ていたなら、3世紀近くにわたる迫害を超えたキリシタン発見としてヨーロッパで大ニュースとなっただろう。(長崎浦上村での「信徒発見」―「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)―は1865年。琉球でのこの出来事はそれより11年早い。)
さらに想像を膨らませると、彼らがフォルカードの想像通りのキリスト教徒であることがはっきり確認されていたら、琉球には大天主堂が建てられ、カトリックの巡礼の地となっていたかもしれない。
フォルカードは日本語を習得するのに熱心だった。日本と琉球はほとんど同じ言葉だ、と認識していた。しかし最初は、妨害された。嘘を教えて喜んでいたくらいだ。ところが(彼の住んでいる)寺にいる下級官吏が突然態度を改め、会話を教えてくれるようになった。
おかげで「1万語以上収録した小辞書を作成」することが出来た。
ベッテルハイムの印象
1846年4月30日(上陸から2年後)、久しぶりにイギリスの船が那覇に停泊する。
「昨年私の手紙を運んで行った二隻のフリゲート艦以来、ヨーロッパの船がこの地に現れるのは初めてのことである。早速船に乗り込むと、そこでベッテルハイムという人物に出会った。彼は、自分は医者として慈善団体から琉球に派遣されたのだと言った。」
彼こそ、イギリス海軍琉球伝道会が派遣した宣教師・医師であった。この会は30年前の1816年、イギリス艦船アルセスト号・ライラ号の乗組員が宣教師の派遣を計画し、クリフォード中尉(注・クリフォード訪琉日記で紹介)が中心となって結成した。
ベッテルハイムはユダヤ系ハンガリー人として生まれた。香港で日本語を学び1846年来琉。積極的な伝道活動に励むかたわら聖書の翻訳を行った。54年、ペリー艦隊と共に香港に引き上げのちにアメリカ・ミズーリ州にわたる。(琉球日記・解説より)
ベッテルハイムは、「自分がプロテスタントであることを打ち明け、宗教上の見解の相違を乗り越えて、互いに交際を深め、相互理解のうえに共存を図りたい意向だと言った。」
とはいうもののフォルカードはあまり好印象を持たなかったようだ。
5月4日(4日後)の日記。
「その晩、イギリス人の医師(ベッテルハイム)が私を訪ねてきた。私は丁重に応対したが、たいした話はしなかった。」
翌5月5日の日記。
「私がベッテルハイム氏の訪問の返礼をしようと出かけたところ、途中で本人と出会った。彼は布政官のところへ家を一軒与えてほしいと言いに行くところであった。彼のところへはだれも病人を連れて来たがらないし、彼は寺に幽閉され、非常に意気消沈している。さらに悪いことには、一緒に来た女中が怖がって下船しようとしないので、夫人は二人の子供と共に(寺に)取り残されて、困り果てているのである。お気の毒に!あなたはもっと多くの困難に遭遇することでしょう。」
この言い方はどう見てもベッテルハイムに同情している、とは思えない。
5月16日の日記。
「とうとう今日はベッテルハイム医師を訪問することにした。彼は高官の許可を得て、那覇港の入口近くの寺を引き払い、同じ町の別の寺に住んでいた。この寺の方が私のところよりずっと清潔で美しい。とはいえ気の毒なことに彼は私と同様この国の官憲との間に難題を抱えてしまっている。官憲は彼にいてほしくもないし、医療も受けたいとは思っていないのだ。彼は私に積極的に近づき、親しくなっておきたいらしい。だが諸般の事情から見てそれは不可能だ。」
これまた突き放すような言い方に聞こえる。ベッテルハイム夫人からはワインを混ぜないとここの水が飲めない。そこで何本かもらえないだろうか、と頼まれるが断っている。ベッテルハイムは彼が設立しようとしている病院の広告を、フォルカードの住む寺に貼ったりしている。7月8日の日記には迷惑至極な様子がうかがえる。
「病院というのもプロテスタント伝道の一手段なのですから、引き受けて異端の片棒を担ぎたくはありませんでした。」
「聖母マリアが彼を改宗させて下さるなら!それは難しいでしょうし、人間的には不可能でもあります。」
一方が正しければ、他方は間違い。同じキリスト教徒なのだから折り合って一緒に行動すれば良いものを、そうはいかないらしい。フォルカードは次のような手紙を出す。
「あなたが正しいとすれば、私は間違っているのですし、私が主なる神の教義を知っているとすれば、あなたのは真実のものではないのです。つまりあなたが救いの道を歩んでいるなら、私は滅びの道にあることになります。真の宗教を信じる者だけが救われるからです。」
ヨーロッパから見れば辺境・未開の地、琉球。そこで二人はキリストの教えを広めようと死にもの狂いで努力している。そして同じような迫害を受けている。しかしながら絶対に協力しようとはしない。原因はそれぞれの神についての解釈にある。だから妥協はあり得ない。
「宗論はいずれ勝っても釈迦の恥」という言葉を思い出す。いやそんなに簡単に片づけられては2000年のキリスト教の歴史が、何十億人のキリスト教徒が、絶句し怒りだすだろう。
二人の目的は、魂なき獣のごとき琉球人たちを入信させ、次に日本へ渡り布教することにある。残念ながらそれは失敗した。
フランスの狙い
この頃、琉球はイギリス船との交渉しか経験していない。1846年6月(上陸して約2年後)、セシーユ提督が琉球の総理官と会見する。フランス、ロシア、イギリスはヨーロッパの三大王国であり、スペインはルソン島を領有し・・と琉球をとりまく情勢を説明した。そして
「フランスの皇帝は広大で美しい国土を支配しているので、遠方の地を征服して版図を拡大しようなどというつもりはない。さらに皇帝は賢明な方であり、正義にかなわないことを望んだりはしない。戦争は国民を不幸にするので望むところではないが、侮辱には敏感であり、いざとなれば戦争も辞さないし、多数の陸軍と強力な海軍を保有しているので、簡単に勝利を得ることができる。」と脅しをかける。
そして日本の鎖国政策は間違いだ、尚巴志の時代の栄光を思い出せ、と説く。
「貴国は通商によって銀貨や銅貨を大量に獲得したために、福建や浙江ではそれが少なくなり、中国人はそのことで皇帝に苦情を申し立てたくらいだ。」と通商の必要性を強調。
最後にこう結んでいる。
「ヨーロッパ人との関係を緊密にすれば、貴国は昔と同じように再びあの高い地位と権勢を誇ることになる。だからこそ私は、我々が最近中国と結んだものと同じような条約を結ぶことを提案するものである」
幕末の激動は既に始まっている。9年後、琉仏条約が締結されるが批准にまで至っていない。フランスと日本との間には1858年に条約が結ばれる。
1846年6月、琉球を訪れたフランス艦隊の中から3人の死者が出た。そのうち二人は名護市の屋我地島に葬られている。現地を取材した報告は次回ご紹介する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■メール内容に関するご意見・ご要望はこちら
アドレス:info@eaci.or.jp
■購読解除はこちら
アドレス:info@eaci.or.jp
発行 :東アジア共同体研究所
〒100-0014 千代田区永田町2-9-6 十全ビル706
WEB :http://www.eaci.or.jp/
Facebook:https://www.facebook.com/east.asian.community.institute
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本誌に掲載されている文章の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2015-2016 東アジア共同体研究所 All rights reserved.