志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

システムに乗るために懸命な若い大学人の世過ぎ身過ぎ、それもサバイバル!

2011-03-26 11:39:38 | グローカルな文化現象
大学の人事に関する闇は選択するコミッティーの意志によって決まる。それも委員長のセンスによる。彼や彼女がどれほどのセンスかは問題ない。彼らの組織の論理が表になる。それらのカリキュラムの貧困さなど、そのコミッティーが貧困である限りここから何も有用なものは生まれないだろうと推察はできるが、それはまた時を待ち、100人か30人に一人優れた人材の登場を組織は待たねばならないのだろう。現にこのXX大学の方々の実績という物を見たらどれほど貧困かは一目瞭然?

来年はXXが退職でその次の年はXXで次々とやめていくね。全部XX人たちが牛耳ることになるわね。XXさんが65歳までXX大学にいる内に何とかコネをつけて、まぁ論文をたくさん書いてアピールしなければね。XXさんは東京の母校に引っ張られるんじゃないの?大学の宣伝に使われているからーーー。研究発表を断ったら、やるように上司から指示を受けたりでね。つまり大学は大学院を出た者たちのパイ合戦の中にある。すべて大学という組織内部のパイ取り合戦である。あそこもそこもここも、それぞれがより多くの安定したパイを得るために暗中模索を繰り返し、組織の中・上層部は自分の業績、業績とあえいでいる。(もちろん上を目指して頑張る若手も多い)

そしてよりご自分の陣営を増やす、つまり影響力を発揮できる方策をする。政治も学問の世界も変わらない。陣営合戦である。横から見る目には「あらおかし」である。フットボールやラグビーなども、より多くの陣地の奪い合いだとすると、人間の属性は太古から変わらないのだろうか?

食べるための心配さえなければ、こんなつまらない方々の傍にいたくないのだけれど(と書くと弊害がありそうである。中には魅力的な教育者・研究者がおられるのかもしれない。ただ敬愛できる、信頼できる方がまれというだけかもしれない)、資格という点で大学組織は国の利害と関わっていてーーー、実はふたを開けて分かったことは、XX大学の教授たちで優れた業績(書物)など表に出されている方々はほとんどが文部科学省の研究助成をたくさんもらった方々である、という事実である。あのOさんもあのNさんもあのYさんもあのAさんもそうだ。つまりお金が背後に潜んでいるのである!金、金、金である。そしてその研究予算を牛耳っている人が権威なり権力の風を吹かせている、という構図になっている。美しい純粋な研究者の鏡になるような存在は?!いるのだろうか?いないと思う。(これも誤解があると思うので、追記したい。つまり新自由主義の資本主義体制の中で、教育や学問研究が、やはり国の体制の中で重要な位置づけがなされているのはどの国でもそうだと考える。しかしややもするとそのシステムが常にそのシステムの権威(力)にとって優位な制度(構造)になっていないと、はっきり否定はできない。例えば、16世紀イギリスのあの魔女狩りを実践した中核が当時の優れた知識(知性)人たちであった、という事実にも見える。優れた研究が体制の中枢と相互補完しあっているのも確かなのである。真に一般大衆の安寧に寄与し、真実の追求に貢献できる研究は純粋だと言えるのかもしれないが、科学技術を含め、多大な人体実験を含め、研究が人類を豊かにしていると同時に不幸も伴っていることはどうだろう?何のための研究か?常に試されている。単に実績(利潤)のための研究かもしれない?!)確かにN先生の謙虚なお姿は素敵だが、それでもやはりある種の風を感じる。研究者の鏡に見える。しかしそのお姿も国の膨大な?研究助成にのってハワイに行き、そして南米に行き、そのデーターを論文の素敵な形式に載せている、ことは変わらない。

新自由主義などの歪んだ不公平なシステムに疑問をもって体制(システム)を変革しょうとする大学知識人の姿は非常にまれである。多くは、ただそのシステムの上に胡坐をかいて教育や研究をしているという印象だ。より拓かれた民主主義が大学の中にあるわけでもない!

アメリカが多くの外国人学生を許可して入学させているのは、膨大な知能から生み出される博士論文のデーターを国の利害としてかすめ取るシステムだからでもある。大学の運営財政にも寄与するかもしれないが、それ以上に例えばイラクからアメリカの大学に留学して博士論文を書く学生はイラクの政治・経済・文化・社会活動全容を含めて書いていく。イラクの核の現状などの論文もあったかもしれない。これらの学生たちが懸命に調べデーター化して総論を書いた論がどう利用されていくのか?国益である。おそらく、世界のデーターをこのようにまた若いブレインの論文から入手しながらソフトパワーを強める帝国国家の姿のミニアチュア・バージョンを日本もまたやっている。アジア・アフリカ諸国から日本で学問研究し博士論文を書く若い頭脳の存在がある。

昨今の日本は中国脅威論の塊である。だからこそ中国研究には多くの予算がもっと投下されていくに違いない。アジアの世紀と称され中国・インドが30年前から脚光を浴びている。アジア研究は日本の大学で有望なのである。それに乗じて沖縄と名前がつく研究にも意外と助成がされやすいと囁く研究者たちの声がある。つまり沖縄も研究素材として「うまい」という事になる。

しかし24日は朝、弱弱しい母の姿に打たれて(いつまでも親不孝者ゆえに)、その後宜野湾の喫茶店で若い研究者たちとの話し合いを持って(彼らは共通項があるので、上記した大学のお偉いさんたちのヒエラルキーにうまく乗ってほしいと思う)、そこでやはり、違う自分のスタンスを感じて、午後には科研(実はフリンジの私でも現在二つのささやかな科研助成の研究に取り組んでいる)の残った予算を使い切るために3万6千円分の古書を買って、書類を出そうと思ったところに耳をアルバイト先で傷つけたという19歳の若者からの電話があり、大学に行って、返してなかった図書を図書館に戻して家に急いだ。何かに追い立てれている気持だった。

その後の眩暈と吐き気の症状については昨日このブログで書いた。ああ、大学知識人?研究者?1冊の研究書さえ出版できない大学人も多い。やはり大学知識人の膨大な研究書より、一遍の詩篇なり詩集、小説の方がいいなーと思う。しかし「XXの表象」は博論としてまとめて出版したい。私は愛を生きたいのに愛はほど遠く、今は頼まれ原稿や翻訳や論文の締め切り、書きなおし英文論文もある。母からは絶えず父についてどうなっているの、と聞かれる。そのどれもまともに取り組めない。逃げたい!今はただひたすら寝ていたい!

<冒頭の写真はザルツブルグの野外で演奏していたロシア人のグループ、彼らのCDを1枚買ったがなかなかいい!2010年8月>


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