この洋書を読みたくなったのは、ALSの病が急激に悪化し、昨年の夏前にはメールでコンタクトをとっていたハワイ大学のフランセス・マンマナが、この冬に亡くなったという事もあるが、実は彼女は思いやりのある女性で、ハワイから沖縄に二度目に戻ってきた時、このスーザン・ソンタグのペーパーバックをお土産にくれたのだった。書物の表紙がショッキングな描写で、少しめくっただけで、中身を読んでいなかったのである。彼女のお土産は彼女に似合う大胆なピアスもあった。思うに気遣いのできる素敵な女性だった!ああ、やはり悔しい思いがやってくる。
その本を読みたくなったきっかけは、ーーー実は昨日、耳を傷つけた若者とそのガールフレンドと一緒に病院に向かった時、受付の時間を待つ間近くのチェーンレストランに入った途端、眩暈と吐き気に襲われたのである。こんな症状はかつてなく、吐き気が収まらず、結局そこのレストランに迷惑をかけ、注文した食事もできず、水をがぶ飲みし、症状が治まるのをまった。直る様子はなく、結局タクシーで病院を行こうという可愛い女の子の提案を断り、何とか病院まで車で駆けつけた、といういきさつがある。待たされてCTを撮り、点滴を2時間ほど受けたのである。
眩暈で倒れそうになった時、嘉手納カナの顔が浮かんだ、祖母に「助けて」と訴えていた。まだ死にたくない。やり残したことがあるので、まだお迎えにこないでと唱えていた。15歳の時一緒に庭で撮ったあの写真のカナの顔が浮かんだ。それと大事な書類などどこに置いてあったのか、まだやるべきことはたくさんある、でもこのまま死んだらどうなるのだろう、などと考えてもいた。
若者カップルを先に返し、病院の観察室のベッドで寝ている間に不思議と眩暈と吐き気の症状は消えていた。ひょっとしたら脳梗塞の前触れかと気になっていたら、先生は脳は大丈夫だから心配ないとのことで、眩暈と吐き気止めの薬を出して下さった。
一人寒い風を感じながら家に戻ってからはただ寝ていた。そしてなぜかフランセスがプレンゼントしてくれた本のことが気になった。そして今朝25日の新聞に辺見庸が【日常の崩壊と未来】の題で、「非情無比で荘厳なもの」として今回の東日本大災害について書いたエッセイが目についた。
不条理、誠実、悼みのことばが気になった。嵐と凪、嘘のように、確かにプラスチックの玩具のように家や車が流されていく、まさにその場面を見たのである。黙示的光景、近代のキョ傲、凄絶無尽の破壊、そう!あぶない集団的エモーションも確か、大和魂まで飛び出している。個をおしのけ例外をみとめない狭隘の団結、なるほど、と吸いこまれていくことばの束に、同意しつつ、しかし昨日からの眩暈が思い出されてきた。死ぬような恐怖を多くの人達が現に味わい、津波に流され、押しつぶされ、そして遺体になっていったという事、昨今の災害のドキュメントライブの映像や写真、文章は、そしてまだ続く災害列島の様相はまだまだ予断ができないような姿である。そしてこの間意識に上ってこなかった日本という国の表の裏に潜んだ、歪められた実相も露わになっていく。原発の怖さがやってきた。
スーザン・ソンタグの冒頭の本を全部読んで感想なり書きたいと思いつつ朝起きてPCの前にいたのだ。それから大学に行って書類の手続きをと思いつつここにいる。スーザンの本は写真論の展開だがそれが戦争写真や映像を扱っていて、最初にバージニア・ウルフのThree Guineasの本の中身が紹介される。スペイン戦争の無残な写真について書いた彼女のことばから始まる。Let's test this 'difficulty of communication'とウルフは同じ写真を見て戦争のイメージについて語ろうとする。そうこの書物は写真を論じているが、報道写真、戦争の写真、映像(テレビ・映画)も含まれる。災害や残酷な戦場の現場でカメラを向ける写真家と殺され殺す人間の関係性も厳しく問われる。死者たちが立ち上がって不合理・不条理な戦争を遂行した者たちに立ち向かっていくわけではない。死者たちは語らない。語るのはその残酷な場面から生き返ってきた者たち、そして現場で撮られた写真や映像!理解の面での曖昧な距離、スクリーンで見せつけられる視聴者ーーー。地獄を切り取った表象への眼差し、どれほどの理解が可能か、共感、共苦、しかしーーー!写真の無力も書き込まれるがスーザンはやはり考えることを、戦争のイメージを個々に取り組むことを示唆している。時間が気になって中身にあまりコミットできない。後でもっと丁寧に対象化しなければーー。
他者の痛み(悼み)にどれほどコミットできるかーーー?昨夜の体験から、死ぬかもしれないと思った眩暈や吐き気の中でそれはあくまで個人的なものであり、祖母の顔が浮かんでいた。そう云えば、病院のトイレで吐き気をこらえていた時、「大丈夫ですか」と声をかけてくれた女性たちの声音はとても優しげにこころに沁みてきた。ありがとう!「大丈夫ですか」と、私たちは声をかけることができる。そして手を差し伸べることもできる。そこに救いや共感がありえる。そう、それは確かーーー。
We truely can't imagine what it was like. We can't imagine how dreadful, how terrifying war is; and how nomal it becomes. Can't understand. Can't imagine.しかし彼女はまた書いている。There is nothing wrong with standing back and thinking.---Nobody can think and hit someone at the same time.
おそらく私たちは他者の痛み(他者への悼み)を共感できる。共苦もできる。戦場の地獄の想像はその場を体験した者たちと全く同じ共感はできないのかもしれない。災害もそうかもしれない。しかし、少なくとも痛みを想像することや感じることはできる。
今から何ができるか、ひたすら考えて見据えることーー、そしてこれから先の平準化の中で「非情無比で荘厳なもの」と真摯に向き合うことーー、多くの人間が死にたくないと思いつつ死を余儀なくされた。死はいつ訪れるかわからない。個人の意志に反してやってくるものにどう向き合えばいいのだろう?!寒風の中を歩いて車に向かう。運転する。「ああ私はまだ生きていいのだ!」「まだ頑張れる」と、思っていた。
母の庭のガーベラ
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