志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

今朝の驚き、朝6時頃網戸にクマゼミが!羽化したばかりだろうか。この庭も彼らの生息の場なのらしい。

2021-06-22 08:05:46 | 動植物
小さな庭に生息する生き物たちの様子を観察していると、いつも驚きがやってくる!

網戸の上のクマゼミが朝6時頃からなくこともなく静かにしていた。しばらくすると飛んでいったのだが~、その間に女郎蜘蛛を見ると、なんと抜け殻はきれいに食べられていて(推測)、しかもネットの向きが変わっていた。一晩のうちに住処の網の位置を変えてしまったのだ。ネットにかかる昆虫類が彼らの命の糧ゆえに、蜘蛛も懸命に餌(食)にありつくために工夫し、努力するのだ。生き物たちの生態は人間社会を彷彿させる、小さな青虫もたべるために懸命だ。かたつむりも野菜を食べている。
網の位置を変えている。
デカルトの「我思うゆえに我あり」ではなく「われ食べるゆえにわれあり」だろうか。思うに蜘蛛も青虫も懸命に食べるために生きているようだが、蜘蛛はそのために芸術家にもなっている。工夫もしている。人間も食べるために生きている。生きるために食べるが正解なのかもしれない。昆虫と同様、懸命に食べている側面は否めない。昆虫は命、種の生命の循環機能として、種の宿命を全うし、その点、人間も生物としての生命の循環機能を全うしている。それも今や科学技術により永遠の生命さえ希求されている。

女郎蜘蛛は巣の位置を変え、幾何学的模様も、網も姿を幾分変えている。何のために?食にありつき生き延びる(survive)ためだ。人間もまた生き延びるために常に創造し考えていると言えるだろう。競争をし、殺戮も行う。食物連鎖は連鎖で人間がピラミッドの天辺にいるのだが、人間界のピラミッドもあり、その中の熾烈なサバイバル闘争もある。やれやれ!弱肉強食、適者生存、既成の概念が飛び出してくる。それらを超えていくものが常に求められているはずだが~。

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