クライストの『壊れ甕』と真喜志康忠の「こわれた南蛮甕」
「こわれた南蛮甕」が新聞に登場するのは1961年11月、沖縄タイムス主催芸術祭の参加作品として紹介された。他の三劇団、翁長座、演技座、与座劇団と競って芸術祭賞を受賞した作品である。紙面では以下のように紹介されている。
ときわ座の芸術祭参加は、一昨年の「流れ雲」、昨年の「悪を弄ぶ」に次いで三年連続。それだけに演劇祭の舞台経験はまず十分といえよう。作品は一昨年の「流れ雲」、昨年の「悪を弄ぶ」ともに奨励賞を受け、一昨年の「流れ雲」では真喜志八重子が演技賞をもらうなどで活躍。こういった過去の経験やこれまでの努力が実って今年の第八回芸術祭ではみごと芸術祭賞に輝いた。
「こわれた南蛮甕」は一種の風刺喜劇。一幕もののかるいさらりとした喜劇だが、劇がすすんでいくに従って、ドラマがまったくどんでん返しになるという喜劇としての要素をもりこんだ面白い作品である。原作、脚色、演出ともに真喜志康忠で、また自ら主演もしている。(タイムス1961年11月8日)


1981年:村頭(花城清一) チラー(福田加奈子) ハーメー真喜志八重子
物語はある村の地頭代(村長)が職権を利用して村の娘チラーの部屋に夜中に忍び込むが、許婚(いいなずけ)に踏み込まれてさんざんな体で逃げ帰る。その時、甕を割り、頭や足にケガを負って翌日は包帯だらけの大変な格好になってしまった。そこに首里から役人が視察にやってくるが、礼装に着ける羽織がない。そこに昨夜甕を壊した男をつきとめてもらいたいとチラーやその母、許婚がやってきて裁判になる。裁判がすすんでいくに従って裁く方の地頭代が逆に裁かれる立場になり、ついに昨夜の悪事が露見してしまうという喜劇。
この傑作喜劇について、真喜志原作、脚色とあるが、1961年当時の紙面は、ドイツの劇作家クライスト(1777‐1811)の『壊れ甕』(一幕喜劇)について何も言及していない。『壊れ甕』は1806年に創作され、1808年にゲーテがワイマール劇場で初演、近代ドイツ喜劇の代表的傑作として評価されている。スイス滞在中のクライストが一枚の銅版画から着想を得てできた戯曲だと翻訳者の手塚富雄は岩波文庫の解説で紹介している。
クライストの「壊れ甕」と「こわれた南蛮がめ」の役柄を見ると以下になっている。
クライストのテキスト | 1961年の配役 紙面 | 1981年 水曜劇場 |
ワルター 司法顧問官 | 役人 玉木 伸 | 役人 玉木 伸 |
アダム村長(裁判官) | 地頭代 真喜志康忠 | 地頭代 真喜志康忠 |
リヒト 書記 | 村頭 花城清一 | 村頭 花城清一 |
エーフェ 娘 | チラー 玉城政子 | チラ小 福田加奈子 |
産婆マルテ 娘の母 | チラーの母 花城光子 | ハーメー 真喜志八重子 |
ループレヒト 許婚 | 加那 平良 進 | 亀ジャー 前田幸三郎 |
ファイトその父 百姓 | その父 池原センスルー | 父親削除 |
ブリギッテ 農婦 | 農民 森田豊一 | 加那 稲嶺盛秀 |
顧問官の従僕 | 役人従者 屋嘉部勇 玉城清吉 | 役人の供 内間真光 |
裁判所の小使 | カマダ― 玉城健一 | カマダ― 山城興松 |
下女等 | 地頭代妻(アンマー) 玉木信子 | アンマー 花城光子 ウサ小 玉木信子 |
クライストの「壊れ甕」はオランダのある村を舞台にしている。一方「壊れた南蛮がめ」は琉球王国時代のある村である。主要人物もかなり類似している。司法顧問官に対して役人、村長に対して地頭代である。地頭代(ジトゥデー)は琉球王国時代、各間切(現在の市町村)の代表者で、現代の村長に匹敵する。書記は村頭になっているが、捌理(さばくり)や文子(ティクグ)のような間切の下級役人と想定できる。
『壊れ甕』の娘エーフェがチラーになり、その母親産婆マルテが、チラーの母として初期には登場しているが、後にその役柄は削除され、代わりに祖母のハーメーを登場させている。許嫁のループレヒトは加那として当初登場するが、真喜志は後に亀ジャーに替えている。その父親のファイトは、実際に加那の父として 池原センスルーが演じている。その父親の役を真喜志は後に削除。その他重要な変更は、裁判所の小使に対してカマダ―、そして2人の下女に対して大胆にも地頭代の妻アンマーを登場させることによってこの物語をより人間喜劇にしている。しかし下女もその後ウサ小として登場させている。
『壊れ甕』の村長のアダムは男やもめで妻はいない。しかし、真喜志は当初から地頭代の妻を登場させている。『こわれた南蛮甕』の妻、チラ小、そしてハーメー、3人の女性たちの懐は深い。
当初役人の数を3人にしているのは、顧問官の従僕を割り当てたと推測できるが、実際首里王府の役人が一人で村々を視察することはありえないゆえに納得がいく。
物語の筋はかなり類似するが、最後の場面に違いがある。『壊れ甕』は穏やかに事を治めようとする司法顧問官に対して、訴えた側の主張が勝ってついに鬘をかぶらない禿頭の村長は逃げ出す始末である。さらにキリスト教徒の国柄ゆえの聖書の修辞や言い回しが痛烈に飛び出す。「うるさい!サタンめ!」「悪魔が硫黄のガスを出してわたしの傍を跳ね飛んでいった」のように。
真喜志は、緻密に「壊れ甕」を読んで、ウチナー芝居の物語に再生させた。時代や場所の設定もそれらしく虚構ではない。肝心な牧師や司法顧問官や村長が任務の形態として頭にかぶらなければならない鬘(かつら)に対して、羽織を対比させた。羽織は役職のある支配層の大事な衣装だったのだ。その羽織がチラーの家の垣根のあたりから見つかり、村長の嘘がばれていく。
もう一点物語の筋で重要なのは、『壊れ甕』の中で若い許婚ループリヒトが東インドに送られるかもしれない徴兵問題である。それに対して真喜志は首里王府による八重山開墾に駆り出される若者たちの一人としてチラーの許婚亀ジャーを持ってきた。若者たちの結婚の妨げになる外的要因を、村長の職権で甘い罠にした形になっている。
中村志朗は「『壊れ甕』は状況喜劇のみならず性格喜劇にしている。アダムに憎めない悪人を見るときは、牧歌的人間喜劇の趣が濃いが、社会体制の権力に対する批判や風刺のリアリズム喜劇とする見方もある」(日本大百科全書)と解説している。日本では俳優座にて千田是也演出で1946年、1964年に上演されている。真喜志の翻案は風刺喜劇に違いはないが、ほんわかとした温かさがにじみ出る牧歌的人間喜劇になっている。具体的な演技や台詞について触れたいが、紙幅がつきた。あらためて論稿にまとめたい。真喜志康忠の演技の幅の広さ、深さに感嘆せざるをえない。台詞も独特な修辞(レトリック)や味わいがある。
所で2017 (平成29)年、国立劇場おきなわは、金城真次の演出で「こわれた南蛮甕」を上演している。その時の地頭代は平良 進、その妻、玉城千枝、チラー小、儀間佳和子、亀ジャー、東江裕吉、ハーメー、玉城静江が熱演した。
当初「こわれた南蛮甕」の題名が「こわれた南蛮がめ」になり、琉球大学で講義した脚本は「こわれたなんばんがめ」になっている。
クライストの『壊れ甕』はギリシャ演劇の古典「オイディプス王」を意識して創作されていると言われる。つまり、実の父親ライオス王殺しの犯人捜しを命じた王が犯人だったアイロニーが類似する。真喜志が創作した「多幸山」にもその古典悲劇の構造が踏襲されている。この喜劇は単なるどんでんがえしではなく、演劇の普遍的スタイルに支えられているのである。
『こわれた南蛮甕』の中の台詞を一部紹介したい。
妻 ゆちゃな者(むん)ぬ 夜中(ゆなか)最中(さなか)―
犬(いん)なてい 歩(あっ)ちゅぐとぅ、何処(まー)ん 痛(や)ますんてー
【年よりが、真夜中から犬みたいに歩きまわるから、どこもかも怪我する んだよ。】
役人 嘘(ゆく)し物(むに)言いや 門(じょー)ぬ間(えーだ)ん 通(とぅ)らんでぃ 言ち 昔(んかし)言葉(くとぅば)― むどぅからんやー
【噓つきは、門のところまでもたどりつけずに消えてしまうという昔の言葉はその通りだな。】
役人 如何(いかな)な 何(ぬう)やらわん、取(とぃ)い正(ただし)する人(ちゅ) ぬ取(とぃ)い正さりんち あんなー
【いくら何でも取り調べをする人裁判をする者)が取り調べをうける(裁 判される)ことがあるか。】
村頭 恋(くい)ぬ 腹(わた) 満(み)ちゅみ、死なな限(かじ)りでぃん 言(い) る歌てーや」
【恋心が満たされることがあろうか。死なない限り続くと言う歌さ。】