NHKの人気番組「沖縄の歌と踊り」の演出家仲松昌次さんはどんな方かと検索したらいい著書を出版されていました。7月17日に那覇市の劇場「なはーと」小劇場で「真喜志康忠生誕100年記念映像トークイベント」の演出をされる方です。仲松氏が真喜志康忠さんについてどんな映像編集をされるのか、とても興味を持っています。7月17日は「なはーと」小劇場へです!
以下は仲松さんの著書のご紹介です。民謡に関しては博論に取り組んでいる時に資料を読み、民謡を改めて聞くようになりました。遊廓やジュリ、沖縄芝居が民謡に与えた影響の大きさを知りました。
「艦砲ぬ喰ぇー残さー」物語 「でいご娘」と父・比嘉恒敏が歩んだ沖縄
仲松昌次 著
私たちはみんな艦砲の喰い残し…。昭和の名曲秘話。戦後70年、感動のドキュメンタリー
沖縄・昭和の名曲をめぐる感動のノンフィクション。
私たちはみんな艦砲射撃の食い残し……。この強烈なフレーズ、民謡グループ「でいご娘」が歌う「艦砲の歌」は、沖縄の「いくさ世」、そして戦後を生き抜いた沖縄人なら誰もが口ずさんだことのある民謡である。「でいご娘」は沖縄で知らない人がいない4姉妹だ。その歌が今あらたに「希望をつなぐ歌」として歌われている。
艦砲射撃の食い残し……、沖縄の戦後をものの見事にいいあてたこの歌には、ひとりの男の壮絶な半生がこめられていた。
本書は、ある家族の歴史、沖縄の戦後を浮き彫りにするドキュメンタリーである。戦後70年、いまこそ語られるべき物語。
●目次
序章
誰があぬじゃま しー出ちゃら 県民大会の「艦砲ぬ喰ぇー残さー」
第一章 若さる時ねー 戦争ぬ世 ふるさと読谷・楚辺〜いくさ世の前
歴史をたどる「一号線」
ふるさと楚辺〜いくさ世の前
恒敏は評判の「てぃーぐまー」(手先の器用な人)だった
第二章 艦砲射撃ぬ的になてぃ いくさ世の相次ぐ悲劇
大阪出稼ぎ
対馬丸に乗船した両親と長男
両親、妻、子供たちすべてを失う
弟・恒健のいくさ世
「山上門」家一族の帰郷
第三章 神ん仏ん 頼ららん 戦後の再出発
恒敏の再婚〜知花シゲとの出会いと帰村〜
「戦果」
強制立ち退き
第四章 笑い声聞ち 肝とぅめーてぃ 「でいご娘」誕生
肝とぅめーてぃ〜こころ穏やかに生きる〜
芸の道
がんこ親父の無手勝流
恒敏とフクバル節
辰年生まれの「生年祝い」〜恒敏の舞台づくり〜
でいご娘の公演
第五章 「ワッターヤ カンポーヌ クェーヌクサー」「艦砲の歌」誕生と父母の死
「私らはみんな、艦砲の喰い残し」
知花家のいくさ世
ウチナーグチの世界
うっちぇーひっちぇーの人生〜恒敏・シゲの死
残されたでいご娘たち
普久原恒勇との出会い
「戦後の民謡で一曲を選ぶとすれば、間違いなくこの曲」
でいご娘、初のレコード、次々とヒット曲誕生
第六章 平和なてぃから幾年か それぞれの「艦砲の歌」
「戦争に消えた古里」有銘政夫 〜私と「艦砲の歌」その一〜
「苦難の道を共に」大湾トキ 〜私と「艦砲の歌」その二〜
第七章 恨でぃん 悔やでぃん 飽きじゃらん 恒敏の推敲ノート
歌詞を推敲したノートが見つかる
何度も書き換えられた歌詞
ウチナーグチのイメージが広がる歌詞へ
最も推敲を重ねた五番の歌詞
「技巧を尽くした、スキのない歌」
第八章 子孫末代 遺言さな 次代への伝言
若い世代へつなぐ「艦砲の歌」
「父の礎」歌碑建立
娘たちは今……それぞれの「道半ば」
長女・島袋艶子
二女・国場綾子
三女・普久原千津子
四女・比嘉慶子
終章 「有てぃん喜ぶな 失てぃん泣くな」 希望をつなぐ歌
歌のチカラ
時代を映す歌
沖縄をこえて繋がる「喰ぇー残さー」たち
歌の広がり〜歌い継ぐ艦砲の歌〜
比嘉恒敏・でいご娘関連年表
でいご娘プロフィール
あとがき
主な参考文献
●前書き
「艦砲ぬ喰ぇー残さー」、艦砲射撃の喰い残し。沖縄戦の激しい戦火から生き残った人間を、艦砲射撃が喰い残したもの、と表現する。
アメリカ軍の猛烈な爆撃にさらされた沖縄、人々は「鉄の暴風」が吹き荒れたと言った。そして、その鉄の暴風からかろうじて生き残った者、生き残された者を艦砲射撃の喰い残し、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」と、これまた強烈な言葉で表現する。
その強い言葉が沖縄民謡のタイトルとなり、時代を超えて歌い継がれてきた。
一番から五番までの歌の最後に繰り返されるフレーズ。
うんじゅん 我んにん
いゃーん 我んにん
艦砲ぬ喰ぇー残さー
あなたもわたしも おまえも俺も 艦砲の喰い残し。
吹き荒れた鉄の暴風からも、艦砲射撃からもかろうじて生き残ったあなたとわたし。
でいご娘の「艦砲ぬ喰ぇー残さー」がレコーディングされたのは1975(昭和50)年で、今年でちょうど40年になる。
歌詞も歌い方も当時と変わっていない。しかし、父の形見のこの曲を歌い継いできたでいご娘にとって、人々がこの歌から受けるメッセージは、時代とともに変わってきている、と感じている。そのことはまた、それを歌ってきた自分たちも変わってきた、という感慨でもある。
歌は時代を映す鏡であり、その歌を創り出し、歌う人々の人生をも映し出してきた。
単純に「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言い古された言葉では表されないものが、この歌には込められている。
なぜ「艦砲ぬ喰ぇー残さー」が今なお人々の心を揺さぶるのか。
●著者略歴
仲松昌次(ナカマツマサジ)
1944年本部町瀬底島出身。首里高校・琉球大学史学科を経て日本放送協会にディレクターとして入局。主に文化教養系番組を制作。2005年退職帰郷。現在フリーディレクター(演出)。
主な沖縄関連番組「流転の名器・三味線江戸与那」「わが沖縄・具志堅用高とその一族」「命どぅ宝・金城重明」「沖縄未完の設計図・金城信吉」「戦世の記録・1フィート映像の証言」「沖縄の土に魂を刻む・國吉清尚」「ニシムイ・知られざる美術村」「いくさ世の名曲・艦砲の歌物語」など。
舞台関連「平和への祈り・ひめゆりの伝言」「沖縄の歌と踊り」ほか。
法政大学沖縄文化研究所国内研究員。
仲松昌次 著
私たちはみんな艦砲の喰い残し…。昭和の名曲秘話。戦後70年、感動のドキュメンタリー
沖縄・昭和の名曲をめぐる感動のノンフィクション。
私たちはみんな艦砲射撃の食い残し……。この強烈なフレーズ、民謡グループ「でいご娘」が歌う「艦砲の歌」は、沖縄の「いくさ世」、そして戦後を生き抜いた沖縄人なら誰もが口ずさんだことのある民謡である。「でいご娘」は沖縄で知らない人がいない4姉妹だ。その歌が今あらたに「希望をつなぐ歌」として歌われている。
艦砲射撃の食い残し……、沖縄の戦後をものの見事にいいあてたこの歌には、ひとりの男の壮絶な半生がこめられていた。
本書は、ある家族の歴史、沖縄の戦後を浮き彫りにするドキュメンタリーである。戦後70年、いまこそ語られるべき物語。
●目次
序章
誰があぬじゃま しー出ちゃら 県民大会の「艦砲ぬ喰ぇー残さー」
第一章 若さる時ねー 戦争ぬ世 ふるさと読谷・楚辺〜いくさ世の前
歴史をたどる「一号線」
ふるさと楚辺〜いくさ世の前
恒敏は評判の「てぃーぐまー」(手先の器用な人)だった
第二章 艦砲射撃ぬ的になてぃ いくさ世の相次ぐ悲劇
大阪出稼ぎ
対馬丸に乗船した両親と長男
両親、妻、子供たちすべてを失う
弟・恒健のいくさ世
「山上門」家一族の帰郷
第三章 神ん仏ん 頼ららん 戦後の再出発
恒敏の再婚〜知花シゲとの出会いと帰村〜
「戦果」
強制立ち退き
第四章 笑い声聞ち 肝とぅめーてぃ 「でいご娘」誕生
肝とぅめーてぃ〜こころ穏やかに生きる〜
芸の道
がんこ親父の無手勝流
恒敏とフクバル節
辰年生まれの「生年祝い」〜恒敏の舞台づくり〜
でいご娘の公演
第五章 「ワッターヤ カンポーヌ クェーヌクサー」「艦砲の歌」誕生と父母の死
「私らはみんな、艦砲の喰い残し」
知花家のいくさ世
ウチナーグチの世界
うっちぇーひっちぇーの人生〜恒敏・シゲの死
残されたでいご娘たち
普久原恒勇との出会い
「戦後の民謡で一曲を選ぶとすれば、間違いなくこの曲」
でいご娘、初のレコード、次々とヒット曲誕生
第六章 平和なてぃから幾年か それぞれの「艦砲の歌」
「戦争に消えた古里」有銘政夫 〜私と「艦砲の歌」その一〜
「苦難の道を共に」大湾トキ 〜私と「艦砲の歌」その二〜
第七章 恨でぃん 悔やでぃん 飽きじゃらん 恒敏の推敲ノート
歌詞を推敲したノートが見つかる
何度も書き換えられた歌詞
ウチナーグチのイメージが広がる歌詞へ
最も推敲を重ねた五番の歌詞
「技巧を尽くした、スキのない歌」
第八章 子孫末代 遺言さな 次代への伝言
若い世代へつなぐ「艦砲の歌」
「父の礎」歌碑建立
娘たちは今……それぞれの「道半ば」
長女・島袋艶子
二女・国場綾子
三女・普久原千津子
四女・比嘉慶子
終章 「有てぃん喜ぶな 失てぃん泣くな」 希望をつなぐ歌
歌のチカラ
時代を映す歌
沖縄をこえて繋がる「喰ぇー残さー」たち
歌の広がり〜歌い継ぐ艦砲の歌〜
比嘉恒敏・でいご娘関連年表
でいご娘プロフィール
あとがき
主な参考文献
●前書き
「艦砲ぬ喰ぇー残さー」、艦砲射撃の喰い残し。沖縄戦の激しい戦火から生き残った人間を、艦砲射撃が喰い残したもの、と表現する。
アメリカ軍の猛烈な爆撃にさらされた沖縄、人々は「鉄の暴風」が吹き荒れたと言った。そして、その鉄の暴風からかろうじて生き残った者、生き残された者を艦砲射撃の喰い残し、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」と、これまた強烈な言葉で表現する。
その強い言葉が沖縄民謡のタイトルとなり、時代を超えて歌い継がれてきた。
一番から五番までの歌の最後に繰り返されるフレーズ。
うんじゅん 我んにん
いゃーん 我んにん
艦砲ぬ喰ぇー残さー
あなたもわたしも おまえも俺も 艦砲の喰い残し。
吹き荒れた鉄の暴風からも、艦砲射撃からもかろうじて生き残ったあなたとわたし。
でいご娘の「艦砲ぬ喰ぇー残さー」がレコーディングされたのは1975(昭和50)年で、今年でちょうど40年になる。
歌詞も歌い方も当時と変わっていない。しかし、父の形見のこの曲を歌い継いできたでいご娘にとって、人々がこの歌から受けるメッセージは、時代とともに変わってきている、と感じている。そのことはまた、それを歌ってきた自分たちも変わってきた、という感慨でもある。
歌は時代を映す鏡であり、その歌を創り出し、歌う人々の人生をも映し出してきた。
単純に「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言い古された言葉では表されないものが、この歌には込められている。
なぜ「艦砲ぬ喰ぇー残さー」が今なお人々の心を揺さぶるのか。
●著者略歴
仲松昌次(ナカマツマサジ)
1944年本部町瀬底島出身。首里高校・琉球大学史学科を経て日本放送協会にディレクターとして入局。主に文化教養系番組を制作。2005年退職帰郷。現在フリーディレクター(演出)。
主な沖縄関連番組「流転の名器・三味線江戸与那」「わが沖縄・具志堅用高とその一族」「命どぅ宝・金城重明」「沖縄未完の設計図・金城信吉」「戦世の記録・1フィート映像の証言」「沖縄の土に魂を刻む・國吉清尚」「ニシムイ・知られざる美術村」「いくさ世の名曲・艦砲の歌物語」など。
舞台関連「平和への祈り・ひめゆりの伝言」「沖縄の歌と踊り」ほか。
法政大学沖縄文化研究所国内研究員。