志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

米大統領選挙の構図はヒラリー対ルビオ←山猫通信〈三浦瑠璃〉の予測

2015-10-24 11:48:00 | アメリカの文化・政治・ジェンダー・軍事

             〈辺境の文化力〉ケルトに学ぶ地域文化振興〉←沖縄で開催できたらと念じている!ケルトの文化力と沖縄文化力の可能性!を。

http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2015/10/23/004038 ←山猫通信

三浦さんは日本の政治を見る上では政府よりの保守に見えます。アメリカの多様性と競争を信望しているゆえに、日本のアメリカ寄りスタンス、国民の80%が日米安保支持の根拠が、三浦さん的なスタンスにあるのかもしれませんね。つまり透明な民主主義国家という全体主義国家(内部格差はすさまじい)の装いを持つ「監視国家」の民主主義の祭典が美しい実践に見える・見せられる現実でもあるのかもしれません。「民主主義って何?」ですが、選挙という成人男女の一票で撰ばれる政治家、市民の代表者という仕組みが民主主義行為の最善のもの、システムとして成り立っている、現実だからですね。一党独裁に見える国の覇権より、まだいいのだと思えますよね。アメリカ万歳、アメリカのキリスト教原理主義万歳と単純に賞賛もできかねるのですが、アメリカのブルー洲〈民主党〉のひとつがハワイで、その知事〈伊芸さん〉が沖縄系アメリカ人というのは身近に感じさせます。カリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州とブルー洲なんですね。アジア系アメリカ人の多い州がアジアとの関係を深めていますね。それはアメリカの可能性だとも言えます。

布哇(ハワイ)と最も近いのが沖縄なんですね。世界のウチナーンチュの大会が来年秋には開催されますが、そうしたネットワークの強化が4年毎に繰り返されていくのはいいですね。ケルト文化圏の1週間も続く祭典「アイステッズヴォッド」(文学、美術、音楽の祭典)のようにウェールズ語が飛び交う『アイステッズヴォッド」ですが、世界のウチナーンチュ大会ではこの間ウチナーグチが飛び交ってはいませんでしたね。言語を復権させる運動は始まったばかりです。

話を元に戻すと、アメリカが発信するメディアを追いかけていると面白く、苦々しく見えてくる構図なんですね、三浦さんのこの論評のレヴェルは日本の大手新聞の編集者も書ける内容かと思うが、「多様性」と「競争」が混在するアメリカ合衆国の現況を肯定的に論じたのは少ないかもしれませんね。人類の未来をまた占うものになるのでしょうか?透明性のありかですね。政治のお祭りも資本主義の最たる象徴としてのアメリカがリトマス紙になるのでしょうか?その帝国の興亡もまた21世紀の鏡なのかもしれませんね。

沖縄の可能性が布哇と深くリンクすること、南米アメリカとのリンクをさらに深めること、そして古い伝統文化をもっている優位性を大事にし、ケルト文化圏との結び付きをはじめることですね。『〈辺境〉の文化力ーケルトに学ぶ地域文化振興』の素敵な表紙を見ながら書いています。



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4 コメント

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愛読者です (torumonty)
2015-10-24 14:20:34
 ご記憶にあるかどうかわかりませんが、
久しぶりに投稿いたしました。
 ここ何年か、TUFS(外大)で聴講していますが、春学期は「沖縄から見た日本と世界」(中山智香子ほか)を聴きました。沖縄戦の実相も改めて知り、安易なイデオロギー的理解の危険性を感じました。授業で推薦された映画「うりずんの雨」も見ました。 
 首都圏で感じる「日本」とは、やはり違うのでしょうね。私としては、近未来の大災害が予見されているにもかかわらず、「東京五輪」を囃し立てる政治、行政、マスメディアに対して、無言で従う風潮が不気味です。「どうせ一蓮托生さ」と無意識のうちに達観しているかのようです。
 沖縄の陽光、海の輝きが懐かしく思い出されます。(二回しか行ったことがない。台湾には11回行ったのに…)
 愛読しております。
 
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台湾の事を以前教えていただいた方ですね! (なさき)
2015-10-25 00:06:45
おひさしぶりです。
以前このブログでいろいろと台湾のことでメールし合った方ですね。あの時は勉強になりました。台湾の事をほとんど知らなかった無知に鞭打たれたようでした。

中国、台湾、韓国、北朝鮮、日本、沖縄、そしてフィリピン、ベトナムと近隣諸国が友好を深めることを念じるばかりです。

英語を教えているのですが、中国の若者たちの英語熱は内側から中国を民主化し世界に拓いていく鍵になるのではないかとひそかに注目しています。「英語は問題解決の世界共通語だ」というのがTEDのジェイ・ウォーカーの発言です。ネットから英語を通して得る情報量は他のどの言語より多いというのが、理由のひとつでもあります。世界の状況へのアクセスが内部を変えていく契機になっていくその可能性を見たいですね。

このブログに尋ねてきてくださり感謝!恥かしげもなくHer Story 日々の想念(&ウムイ=思い)の記録として、続けています。またメールでお話ができたらいいですね。
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昭和天皇の政治的発言 (torumonty)
2015-10-25 07:52:16
 ブログの記事とは離れますが、最近気になっていることを書きます。
 7月末、「昭和天皇、蒋介石支持を促す」というニュースが伝えられました。米国の公開外交文書を調べた成蹊大学の先生の研究成果でしたが、マスメディアではその後の続報は全くありません。

 この天皇の発言は、1971年、国連における中国代表権問題が焦眉になっているとき、佐藤栄作首相に対して行われたもの。憲法に規定された象徴天皇の権能を逸脱することは明白です。
 この事実から、戦前、戦中の天皇は、「平和を望みつつ、軍部の独走を抑えきれなかった」という受け身の存在ではなく、極めて能動的に政治に関与していたと容易に想像されます。
 このあたりの私見は、纐纈厚氏の著作を読んだ感想文という形でブログに書きました。
http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/dab4067aeaf19b571644115f3da209a8

http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/54986cea9d6f4b0b6877412afc391c78

 沖縄、台湾などで、「国体の護持」(すなわち天皇の生命の保証)のため犠牲になった「臣民」を思うと、看過できない話だと思いました。
 「琉球新報」などは、このニュースをどう論評したのか知りたいものです。

 
 
 
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ブログ読みました。疑問に同感します! (なさき)
2015-10-25 11:50:31
Torumontyさんのブログからの引用ですが、
“著者はあの戦争を「天皇による、天皇のための、天皇の戦争」(p.190)であったと結論付ける。ナチスドイツが敗北(1945年5月)しても、沖縄戦が壮絶な結果で終わっても(1945.6~)、広島・長崎に原爆(1945.8)が落とされても、最後の最後まで「国体」、すなわち皇祖皇統、三種の神器の保持にこだわった昭和天皇が、国民のために「聖断」を下したなどとは、金輪際ありえないということだ。この点においては、全く同感だ。”

 “「1975年、米国訪問後の記者会見で「戦争責任」について問われた昭和天皇は、「そういった文学方面のことは、私はよく研究していないのでおこたえできない」と不真面目に応え、さらに原爆投下については「あれは戦争であったことだからやむをえなかった」と開き直った。すでに述べた「蒋介石支持」発言と照らし合わせると、昭和天皇の精神構造(というか頭の中)が透けて見えてくるではないか。”

これらのコメントは、なるほどと思います。すでに最近発行された膨大な天皇の備忘録でしたか、それに関してはこのブログでも取り上げたのですが、まず声を上げたのは海外の識者でしたね。日本の一部の研究者が天皇の戦争責任に言及しているが、マジョリティー日本〈人〉は沈黙の同調行為(みんな一緒なら怖くない)に留まっているようです。
 怖いものには蓋をする傾向は変わらないように見えます。その辺が戦後処理においてのドイツと日本の大きな違いでしょうか?

責任の所在を空白にしたままの状態なんですね。いつまでも解決されずに取り残されているのですね。

天皇(制)に関しては沖縄でも論が出されてはいます。川満信一の書〈論考〉が出ていたはずです。それと作家の目取真俊さんの短編に国際通りを通る皇太子夫妻の車に自らの糞を撫で付ける老婆が登場する小説が書かれていますね。

むぬかちゃー(物書き、40代後半)で注目の知念うしさんに「天皇」の話題を持ち出した時、天皇はあちら〈日本〉の問題で沖縄と関係ないの対応で、彼女に限界を感じたことがあります。1879年以降、確実に天皇陛下の君臨する明治政府に併合された沖縄で、皇民化教育推進の結節点があの残虐な沖縄戦でしたから、決して無視できないと考えています。

私的には吉本隆明と三島由紀夫などの対談を興味深く読んだことがあります。現人神はアジア的なものとの言説が興味深く念頭にあります。

また上里和美の「さよなら人類館」の戯曲は、かの有名な天皇メッセージをバックグランドに、響かせて、書かれた作品で、舞台化する予定でまだ実現していません。天皇メッセージは沖縄をアメリカに売り渡した証拠と見なされているかと思います。長期リースされた沖縄なんですね。でも沖縄は天皇のものではなく、そこに住む人間たちの島です。

今、天皇と戦争責任に関して思いつくのはそれらの事です。

貴方のブログをツイートしました。おそらく日本内部というより世界の方からより客観的に近代から現代に至る日本の天皇(制)について切り刻んでいくのだろと考えています。アメリカの若い女性考古学者が卑弥呼から現代までの表象を面白く切開した論文が書かれていますね。また雅子さんの「ひきこもり」に対して、天照大神のお隠れを比喩して書かれた英文論文も出ています。

アカデミーが権力と結託して甘い蜜を吸う構図は変わりませんが、一方でグローバルに拓かれているアカデミーは可能性を持っていると考えています。常に『真実の在り処」が問われているからです。世界を鏡に自国の歴史も照らされていきます。

対話楽しみです。考える契機になります。謝!
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