志情(しなさき)の海へ

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犬との散歩

2012-10-21 20:20:19 | 動植物

                    (18歳のお嬢さんと朝の散歩は犬のムクと一緒、河の顔も変わる日々かな?)

朝およそ90分ほど浜辺まで行きふるさとの河沿いを歩き散歩した。犬と散歩である。風景の変化は例えば浜辺の変化にあり、砂浜の移動にあった。ビックリした。思わぬところに砂浜が誕生していた。以前泳いだ海への入り口辺りは潮の流れが速かったがそんなところで昔は泳いだのだった。光陰矢のごとしである。河が変わった。マングローブの位置にも変化があり、道がアスファルトになり、人工的な整備がなされている。「ここがわたしのエデンの園だったのよ」と、話した時、白サギが一羽飛んでいった。「以前はもっと多かったのよ。田んぼがあったしね。水が豊かだったのよ。でも汚れてしまった」

犬は普段はなかなか散歩してもらえないので、やんばるに戻る度にわたしに合図してくる。遠出になるので、帰ったら水を飲んでへたり込む。たまに庭で離してもらうだけで、家の外に出してもらえないのである。可哀想なムクさん、那覇のウルトラマン太郎は毎日のように散歩しているので、やんばるに来ると、つながれているムクさんがかわいそうで朝散歩に連れ出すのである。母は散歩できる状態ではない。

それだけが唯一の善行かな?自然を堪能するひとときでもある。失われた時を取り戻す散歩でもある。頭の中では課題がエコーしているが、ただ浜辺を歩き川沿いを歩く時の中で過ぎ去りし時のスピードにやはり驚いている。君は今まで何をしてきたの?と、問いかけられる。かつてそこで、そうそこで泳いで、そこで、手作り野菜をとってすき焼きをして食べたあの頃、なつかしいなー。七面鳥が追いかけていたあの頃、お年寄りがたくさんいたあの頃、オジー、オバー、タンメー、ンメーたちはどこへ消えたのだろう。ふるさとへ帰るとシュールだと思うのは身近に確かにいた人々が次々消えていることである。次は誰の番か?母の寂しそうな表情が気になっている。

人は日々時間に侵食され老いて死ぬ。単純な命のサイクルに従うだけである。終わりは必ず来る。

 (秋空)

 

 


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