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〈六か月になった可愛いかりんちゃん!くりくりした瞳が世界を見ていく!)ケネディー大使への期待は薄い?アメリカの対応は日本におまかせスタンス!普天間閉鎖は世界で包囲網へ!ケネディー大使に期待することができないようだ。日米安保の下に憲法があり、「安保神話」の中で「思いやり予算」があり、懐は日本の財務省頼みかもしれない。「日本政府のスタンス」の問題が大...
アメリカ帝国がどう解体していくのか、新たに再統合されていくのか、その過程を見ることなくこの世から消えていくのかもしれないが、アメリカ帝国の現在の世界支配の構図がどう揺れて行くのか、中国やロシアがどう対抗していくのか興味深い。ヨーロッパ共同体の崩壊と再生もありえるのだろうか。決してイスラム圏国家を仲間内に入れないEUのありようは、古くて新しい宗教対立の根深さを見せつけられる。「世界史」を高校の教科書で学んだレヴェルでは追いつかない深さと長さなんだね。
キリスト教とイスラム教の対立の根は簡単に解決されないのだろう。イスラム圏が一つにまとまる様子もしかし見えない。キリスト教圏、イスラム教圏、ヒンズー教圏、仏教・儒教圏、ギリシャ正教圏と宗教なり教義で色分けされる構図が続くのだろうか?まだまだ世界は宗教の呪縛に包まれている。宗教とは何だろう。死すべき人間の限りなき永遠、普遍へのロマンスのようなものなのだろうか?魂の鎮座する場所を求める多くの人々の群れ!科学技術の発達も信仰(信念)の前には意味をなさない。しかし、やはりわたしは巨大な虚構体系より、真実を求めたガリレオが好きだ。
キリスト教徒の友人は中国脅威論者だ。彼女によると、中国人は無信教徒なので、怖いということになる。何十億という中国人は無信教ゆえに、現世の利害(我欲)の塊だという。儒教は国家論であり倫理の教書のようなものだと考えているが、倫理観が人の行動の規範に成るゆえに、必ずしも否定できない。最近中東の人質事件(不幸な現実)に関して、ISISに息子を殺された日本人男性が、まず社会にご迷惑をおかけしました、と詫びたことに中国でかなりの関心を惹いたということに、関心がいった。共同体の1人として、迷惑をかけたと親は謝罪したのである。実際、かの父親の息子は人道的とはいえ危険なシリアに自己意志で飛んでいって、ガイドに騙され人質になり無残に殺された。
個人であって日本人という属性の中に生かされているという事実を見せつけた。個ではなく国のアイデンティティーの縛りの中に生き生かされている現実がある。あえて火中の栗を拾いに行った個人の責任がまた問われていた。ISISがきわめて現実的にネーション国家の枠組み(イスラム国家樹立を宣言しているが)をとって日常的に世界に宣戦布告をしている国家のよう国家ではない、テロリスト集団のようで国家的体裁も取ろうとしている体制で、彼らの利害に添わない者たちは、敵であり、敵の首を刎ねることは、彼らにとっての正義である。国家の垣根を越えた論理でまた動いているように見えるが確固としたネーション国家にもなってはいないように見える。イスラム教で世界を束にしたい意向がそこに働いている。宗教原理を生きる原理にする者たちの狂信的なたたずまいにも見える。しかし、宗教への狂信は、斜めにみると戯画化されて、若者が好きなサブカルチャーの中で、漫画的ヒロイズムを演じているように見えなくもない。しかし漫画ではなく、マンガではなく、フィクションには血が流れないが、彼らは生身の人間をフィクションのように殺したり、人質をとったりしている。(武家時代の日本にも似ているか?)
歴史の進化の過程で、いかに中東が宗教の呪縛を生きているか、の紛れもない事実である。そして彼らをそこまで追い詰めたのが誰かということになると、西欧列強国ということになる。新たな十字軍を起動させたブッシュ大統領とその利害共有集団の企みだったのかもしれない。無数の大衆はメディアと巧妙に仕組まれたシナリオの中で踊らされてきたのだ。
キャロライン・ケネディーがアメリカの利害の代表としてアメリカ大使館に居る限り、彼女の肩の上にあるのは、アメリカ国家への忠誠であり、それ以上でも以下でもあり得ない。
彼女の眼に沖縄住民は、同じアメリカの利害を共有する者たちではなく、アメリカの犠牲になってかまわないアジア人である。基地の存立こそが彼女の守るべき目的ゆえに、何らの幻想も抱くべきではない。しかし根気よく、沖縄が基地をのぞまないスタンスを表示し続けなけらばならない現実が続く。
しかし仮に沖縄の闘いが頑ななキャロラインの心を揺り動かしたら、未来は少し明るくなるのかもしれない?もし、アメリカの利害追求を第一義とする大使が弱者の視点や意識を汲んで、沖縄の米軍基地の撤去≪辺野古中止≫をオバマに進言できたら、彼女は永遠に自由の女神の座に並ぶのだろう。