(橋にやってきた子猫)
「きゅうようはし」で見かけた子猫は、よく見ると片目がつぶれていた。池の周りの自然の命のサイクルを生きているように見えたのだがー。キャンパス内では大きなネコたちが食べ物の匂いにひかれてやってきた。小鳥たちの水飲み場などがあってもいいと思うのだが、それはない。野生の猫たちが学生たちの弁当の残り物を食しているのか、それとも野生のねずみなどをとっているのか、よくわからない。ただ気が付くと、ネコさんたちがいるキャンパスである。
癒しの空間がそこだけほんわりとやってくるのも確かなようだ。生き物たちが共生する時空は同じ生き物としてのシンパシーももたらしてくれる。ありがとう。君たちがいてわたしもいるのね。
きゅうよう橋のすぐ後ろの森にはハゼの木が色づいている。 これはまた別の猫さん、子猫のお母さんだろうか?
首里の杜で弁当を食べていたらやってきた猫さん。お行儀よく目の前に座ったのでチキンをわけてあげた。
一度この場所で弁当を食べたいと思っていた。そこに愛らしいお友達がやってきた。猫の我慢強さがなぜか凄いと思った。ネコのようには生きていけない。
ネコの美しさを感じさせる。 ネコの泣き声がしたのであたりを見渡すと大きな綺麗な模様のネコが木の上にいた。
生協の後ろで朝の散歩の時4匹の野良猫さんたちを見た。残飯をおいしそうに食べていた。
これまでキャンパスの神と勝手に名づけたイソヒヨドリさんに惹かれてきたのだが、今もそう、やはり彼は美しい!昨日駐車場で、車のすぐ横にいたのだが、車の発進の音にもびくりともせずそのまま朝食のために毅然と前を見据えていた。ぴょんぴょんと飛んで餌をとるのである。君は美しい!ネコさんたちは愛らしい。ネコよりイソヒヨドリは毅然としているようだ。