志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

台風は沖縄本島をそれたようで、蝉時雨の中、「花染ぬ手巾」-遊女(ジュリ)の表象は夕方本番!

2011-07-17 08:06:57 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題
いつものどたばた嵐の中で昨夜は午前3時までこもってパンフレットの中身の文書や写真の確認、印刷で時間が過ぎた。夕方7時過ぎからなんと深夜3時まで8時間かかったのである!警備の方が一度回ってきたが、深夜の大学も味わいがある。たまには徹夜でこもって仕事するのも悪くない環境!

火事場の馬鹿力がそういつまでも続くわけではないと思いつつ、このプロデュースの枠組みは吉田妙子という希有な沖縄演劇の役者の魅力に惹かれてのもので、それに従来のテーマが結びついたものである。

組踊も含めて沖縄の芸能の中でどうもその重要な価値がスポット落ちているのが、辻遊郭や仲島遊郭や渡地遊郭の存在であり、そこで芸能時雨を降らした主体としてのジュリ小の実存である。

今回いろいろな発見があった。そこで思ったことは急いで一夜漬けの文章となった。先日てんぷす那覇の会議室で講演した宮地尚子編著【性的支配と歴史】の中の彼女の序文をまた読んでみた。性暴力と性的支配である。やはり気になるのは性暴力の基盤としての文化である。構造的支配や男性中心主義など、それぞれの項目は今に続く人間社会の複雑さがつきまとうが、ことセクシュアリティーに関する性のもつ攪乱性や転覆性、文化の両義的・多義的要因など、もっと深く突き詰めてみたい。性の暴力構造はこの世界にまた満ち溢れていて、その性が生であり、セクシュアリティーが存在の基盤にある。

小さな琉球王府の文化的基盤とセクシュアリティーの中に辻遊郭がどう位置づけられたのか、ジュリと呼ばれた女性たちはどう生き生かされたのか?近代の扉が開いて10・10空襲で那覇が焼けつくされるまで辻遊郭は存在した。近代の歴史の中で辻遊郭は文化の豊饒を誇った空間でもあったと言える。負のポトスがある。反転がありえる。さらに置換も進展もありえる。そして戦後、基地の周りに多くの女たちが集まりSEXを切り売りしながら異属の人間たちとの交流が始まった。彼らは支配者でもあった。占領された沖縄を生き生かされた沖縄の住民の姿がある。女たちはいつも集合的セクシュアリティを背負わされた存在として位置づけられるのだろうか?

朝出かける前に書きこんでいて思惟がうまくまとまらない。朝7時起き、これから国立劇場まで様々な荷物など運んでPCで映像や音の調整をする必要がある。

無事「鼎談」や「舞台」が成功しますように!関心を持たれた方はどうぞ劇場までおこしください!

≪写真は吉田妙子と玉木伸>

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