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『焦土に咲いた花』-戦争と沖縄芸能《大阪の琉球演劇舞踊団 上》伊佐尚記

2015-07-03 18:44:00 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

伊佐さんがいい特集で連載していますね。4回目です。先日、八木政男さんのお話をお聞きする機会があったのですが、大阪でのお話はこの記事の中味に類似していました。戎座は戦後姿かたちがなくなったのですね。検閲をうけた大宜味小太郎さんの脚本は国立劇場に寄贈されたのですね。その中の上演をかつての県立劇場で見ました。なかなか面白かったですね。

郷土劇場がまだ再建される筋道が見えないのですが、なぜ木のぬくもりのある『那覇劇場』のような戦前、戦後をつなぐ劇場を再建できないのでしょうか?たくさんホールがあるからそれを有効利用していくという、県の文化事業を担う方々の感性は現国立劇場の小劇場を中心に事をすまそうとする安易さが感じられます。京都の南座の桟敷のある劇場がなぜ沖縄で作れないのでしょうか?本物を目指すなら現在の状況はとても安易です。安易な状況でよしとする実演家や研究者のリーダーの皆さん、政治家のセンスは『悪い』としか言えませんね。字幕のない、戦前戦後の代表的劇場を再建するほどの文化運動が起こらない現実はひたすら同化の果てのまがい物を表象として創作・再現しつづける沖縄なのだと、悲しくなりますね。新作に似合っている国立劇場沖縄ですよね。現代のセンスの表象です。『お能』にも字幕がつくようになっているのでしょうか?歌舞伎座は字幕がついているのでしょうか?沖縄芸能は字幕が当たり前になってしまいました。字幕のない村々の「村芝居」や「八月踊り」ですがー。そこに伝統の味わいが残っているのですね。字幕のある舞台には残っていないのでしょうか?字幕のない民俗芸能が唯一の希望になってほしくないですね。

かつての舞台の再現、かつての舞台を作る《建設する》ほどの度量がなければ本物はいつまでもありえないことになりますね。まだどの保存会や国立劇場の組踊よりも多良間の『八月踊り』http://www.vill.tarama.okinawa.jp/?cat=62の組踊が面白いということになります。多言語社会の面白さもありますが、近代の中で培われてきた芸能を保存・継承する方策はまた多様にですね。

金武流(首里手)の所作、唱え、節回しの違いの継承も県は助成すべきです。その舞台化も促進すべきだと考えます。冠船芸能を本気で再現する志があればですけれどー。おそらく金武流組踊や多良間の組踊(あるいは村々の組踊)の中に御冠船時代の型が残されている可能性が高いですね。沖縄芝居の中で継承された組踊は近代の産物で近代の観衆の感性に磨かれ舞台と観衆の相互作用、日本への同化の過程で近代日本の芸能の動向との接触で得た技量も包摂しながら改変されてきた型なのですね。芸能の同化と異化、再創造です。戦後もさらに改変されていったのですね。ますますの同化の果てにできた現在の型なんですね。歴史の推移の現在でしょうか?源流はどこを見れはいいのでしょうね?

それから西欧オペラの魅力は生の声、歌の魅力です。つまりオーケストラも含め、マイクはなしです。木の温かさのする劇場でマイクなしで舞台と観衆がいっしょに編み出す芸術創造の場でありたいものです。戦後の露天劇場にはマイクはなかったのですよね。2000人の観衆の前でマイクなしで演じた役者の声、演技を味わってみたいですね。



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