どうも「花風」が登場して「古典女踊り」も形が変容していった可能性はありますね。当初の「花風」は「紅型」を身に着けていたとの証言もあります。冠船芸能から近代の66年間、そして戦後70年の今年です。沖縄芸能も同化と異化と再構築の歴史の過程を経ているのですね。舞踊の所作、型、音楽、衣裳、歌詞も変容(変節)してきた歴史の推移を検証する必要があるようです。『芸術祭総覧54~63』や『琉球古典舞踊の型』を今一度見てみたいと思います。大城ナミさんは『芸術祭総覧』を琉球古典舞踊のバイブルと定義していますね。つまりそこで決められた型が原型だというお考えです。しかし近代が抜け落ちています。冠船芸能の芸そのものもまだあいまいですね。舞台ですら四間四方の「国立劇場おきなわ」です。
金武良仁、金武良章さん親子が継承してきた「手」は源流を手繰り寄せるとき、重要になりますね。しかしこの間『無視』されてきているのでしょうか?型が統一された時の師匠の方々の「手」はまたどう変容してきていたのだろうか?この間気にならなかった舞踊や琉球音楽が気になっています。