具志さんの感性、才能のきらめきが、舞台奥に設置されたオーケストラの人数の多さに象徴されていた。優れた古典や民謡の演唱者、演奏者が並んだ。音曲や歌の魅力が、この独演会を特別なものにした。具志さん作詞作曲の音楽が流れ、自ら踊るという作品もあり、多才な実力と舞踊、演技が繰り広げられた。
歌と音曲が暗転の時も絶えず流れた舞台は、それだけで心地よかった。舞踊に振り付けられた地謡の演唱と音曲もまた「チチグトゥ」だった。聴きごたえがあった。その音楽の美にうっとりしながら、具志幸大のオムニバス歌劇「焦がれ身」の演技の他はほとんど独演の舞踊を観ることになった。群舞は冒頭と最後を飾った。
独特の面白さに違いない。急ぎ足で印象を記しておきたい。
結論から言うと雑踊より、華ぐるまや西武門節のジュリをテーマにしたしっとりとした創作舞踊が魅せた。冒頭の群舞、「胡蝶の舞」と幕切れの「My舞あがれ 恋し綾蝶」は、幻想的なイメージ、レンブラント・ファン・レイン - Wikipediaの絵画を立体化したような光と闇の中での踊りや祈りで、神聖な印象も漂わせた。
一部 無心 遊び心
胡蝶の舞の振付は玉城千枝先生、軽やかな愛の賛歌、魂を運ぶと伝えられる綾蝶の男女打組踊としても味わいのある踊で、弟子たちとの連舞も軽やかで良かった。
「焦がれ身」ー歌劇三題 ★構成 伊良波さゆきはアイデアは悪くはないが、正直物足りなかった。「浅地紺地」には程遠い出来栄え。
コンセプトが、「羽衣」にも疑問が残り、「渡地」にも、ジュリの焦がれ身に対する若者の思いと絶望の描写(演技)は従来の形を継承して抜き出しているが、滑稽さは感じても切実さは迫ってこなかった。第一、伊良波さゆきさんには色艶が感じられない。彼女はには分ジュリや渡地ジュリはラーサンが感じられない。役柄のほんとらしさverisimilitudeがない。
さゆきさんの叔母、名女優・伊良波冴子さんは歌も演技もフェミニンな演技ができた。しかし、さゆきさんは冴子さんのような魅力が出せない。
また「薬師堂」のあんまー(乳母)の役柄は、声音が高すぎて、とても乳母の器量ではなかった。大宜見小太郎さんの乳母の役柄をまねることはできない。嘉数道彦さんならできるかもしれない。味が出せそうだ。
具志さんは、薬師堂の白露の役柄は声音も踊りもよく、良かったが、「羽衣」「渡地」は身体が十分、役柄になりきっていないように見えた。
第二部 私のアン小舞ぅゐ
詳細は後ほど。
女踊に特化していることに驚いた。雑踊よりジュリ(遊女)の形象の踊りが迫ってきた。
随所に具志さんの作詞作曲の歌曲が網羅されていて、その構成力はすばらしい。
いつもながら仲村逸夫さんの歌三線には魅了される。
西武門節の歌三線を金城真次が歌った。聞かせてはくれたが、やはり、耳は仲村逸夫さんや棚原健太郎さんなどの声音が聴きたいと思っていた。個性的で金城さんの声だ、の印象は持った。
詳細を書き留めたいが、時間がかかるので、この辺で~。
オーケストラのメンバーは素晴らしかった。後ほどパンフの一部をスキャンして紹介したい。