新年明けましておめでとうございます!
年の初めに思い立つ事は色々~。
大晦日の夜は年越しそばを食べて、書店で買ってきた週刊誌や本に目を通していると除夜の鐘が聞こえてきた。いつも朝6時に鐘の音色が聞こえてくる「万福寺」からだ。ああ行かなければと思い立ち、鐘が数回鳴っているのを聞きながら身支度をし、外に飛び出した。これが今年の始まり。
すでに若者を中心に鐘は深夜に鳴り響いていた。僧侶が鐘のそばに立っていて丁寧に一人ひとりに合掌している。数年前に来た時は僧侶はいなかった。若い、といっても中堅の僧侶の心意気が感じられた。0時から45分ほど鐘が鳴り響いた。一人一人が思いを込めて鐘を突く。鐘の音色が好きで、様々な厄を落とし、心身を清らかにしたい、浄化したい思いでやってきた。鐘の落ち着いた音色が耳に残っている。
合掌して挨拶することに意味があるのだろう。禅の教義や精神に深くコミットしているのではないので、まだよく理解していない。無我の境地に至れる瞑想が座禅で習得できるのか、実際の経験で体得できたらと考えている。
本殿の中心には釈迦が座している。その前でも合掌した。
それから奥武山公園の沖宮(琉球八社 の一つ)に向かった。そこも数年前に参拝して以来のこと~。やはり若者たちが多い。新しくできた天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ。天照大御神) 碑は高い位置に据えられて階段を登っていくのはちょっとたいへんな所だったが、以前はなかったので驚いた。眺めは良かった。
ネット情報では「天照大御神(あまてらすおおみかみ)が伊勢に渡る前に降臨されたという聖地。多くのユタやカミンチュに「たどり着く人しかたどり着けない場所」「最古の神地」と言い伝えられてきた聖なる場所」と定評だとのことだ。沖縄はユタや神女が多いところなのかもしれない。ユタや神人がこの社会で重宝されているのも事実のようで、最近はパワースポットとして人気があると云う。
知らなかった。いつの間にかうらしま花子になってしまっている。年の初めに幸運を念じる人の心が信仰になり、神社へと足をむけさせる。年のはじまりに祈る気持ちは禅寺と同じだが、ただ多様なお守りが所狭しと並んでいる神社である。交通安全祈願、干支のお守り、ペット用のお守り袋まであり、にんまりした。
月桃の葉で包んだお餅まで売られていた。
若者たちが受験合格祈願に来るのが多いのかもしれない。こうした祈願用のグッズを見ると、全くそうした物を置いていない禅寺が清浄に思えた。「万福寺」はそうしたお守りグッズは一切販売していない。おみくじもない。琉球八社が中心だろうか。神社は人々のささやかな幸運と安寧を念じる思いを掬ってそれをプロフィット(利益)にしている。お賽銭もまた~。お賽銭箱はいつからできたのだろう。【戦国時代の僧侶快元の日記である『快元僧都記』によると、1540年(天文9年)に散銭櫃(さんせんびつ)なる箱が鶴岡八幡宮に置かれたという記述があり、これが賽銭箱が記録に残る日本最古のものとされる。室町時代に伊勢参宮や本山詣が庶民に広がり、賽銭を奉る風習が定着したといわれる。】賽銭 - Wikipedia
沖宮には12月初めにかなりspiritual(スピリチュアル) な女性のお話の中で語られていて、あらためて関心を持った。特別年末年始ではなく、静かにまた高台まで登ってじっくり見据えてみたいところだ。本殿で合掌し祈るには列が長かったので、交通安全と干支のお守りを買って戻った。とても寒い年始ではない。火芸の大道芸をしている青年がいてその周りを子どもたちや若者が取り囲んでいた。火芸といっても松明を利用していた。彼にとってはとてもいい収入源になるのだろう。
そういえば大道芸はほどんど見たことがない。コロナパンデミックの3年の時間はあっという間にも思えるが、今も大勢の人々がマスクをはめて日常を過ごしている。異常さは変わらない。
沖宮は家の庭のようなものでと話した古代信仰研究家の友人は、以前そこに赴いて箒で場をきれいにしていた。信仰心が篤い。以前の感覚で行ったら、ちょと異なっていたので、驚いたのは事実だ。陽の光の下で沖宮を散策してみたい。
元旦の太陽
渦を巻いているような雲
神社の提灯
並ぶ若者たち
遠望
禅寺のお釈迦様