今日20日、夜8時頃、彼がいた場所に行った。あの元気のある音楽会は終わったのだ!小さな菜園に静寂が溢れていた。
一方で19日はいい日だった。まだ18日のカリフォルニアからの嬉しい電話があった。知人の翻訳した『おくのほそ道』(元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉の紀行及び俳諧。元禄15年(1702年)刊)が、ドイツの出版社から出版されるという朗報である。彼女の序論のエッセイはとても良くて、本は日本文と英文で構成されている。アマゾンで買える事になるのらしい。楽しみだ。語学に優れた女性ゆえの英文翻訳である。
『おくの細道』はすでにドナルド・キーンや他の方が英語に翻訳している。しかし、彼女の翻訳は先駆者の翻訳に対して独自の言語感覚や研究で成り立っている。彼女によると、松尾芭蕉も漢詩から本歌取りしているのだという。
『奥の細道』は「日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、芭蕉の著作中で最も著名な作品」。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」の冒頭より始まり、作品中に多数の俳句が詠み込まれている。(ウィキピディア)
年内にアマゾンでも注文できるようだ!彼女の序論の文章がとても良かった。またドナルド・キーンさんの翻訳とは異なる。ドイツ語も堪能な女性が人生の最期のステージを迎えて取り組んだパッションに拍手!
いつでも生まれた故郷、名護への思いが変わらない。名護の桜が見たかったのだろう。桜について聞いてきた。まだ緋寒桜は咲いていますか、と。「日本本土の艶やかな桜もいいけれど、でもやはり名護の桜だね」と語る心の中には、今は人手に渡ったあの植物園のような山の中の家が住み着いているのだ。一度、そのオアシスを訪ねたことがあった。大浦湾と名護の真ん中あたりにある山の中の別荘のような佇まい。
彼女が常に故郷を求め続けている、その帰巣本能のような思いは、渡り鳥と変わらない生物の属性なのだろうか。
2週間ほど内蔵のオペで入院していたという。その間病院で小林秀雄の『無常という事』を繰り返し読まれたようだ。
その感想の中で「文学者の覚悟」についてあえて言葉にだしていたことが印象に残る。小林秀雄を読み返そうと思い立った。
いつも意識を喚起してくれる先輩、ありがとう!
(写真はビタンガの花、ほのかな甘い香りが漂う)