【性的支配と歴史】の本の中に「奴隷制、魔女裁判とカリブの女性」「被征服男性の<受忍>」「性的支配と現地女性」などの刺激的な論稿が掲載されている。大きな題目は歴史と記憶と正負の遺産である。宮地尚子編集の本で、以前このブログでも紹介した。
【敗戦国論】という著書もあった。敗戦国、被征服男性の日本男児たち、そしてさらに沖縄男児たちがいる。常に権力構造においては収奪の対象になり民族浄化の対象になりエロス・セクシュアリティーの対象として位置付けられる、つまり性のメタファーの
植民地にされる女性の身体があり、その女性を守護すべきあるいは所有していた男性はどこにいたのだろうか、何をしていたのだろうか?という単純な論の展開である。家父長制が体制の軸であり、国家の形態もまたそのかじ取りは80%男性が担っているお国柄である。男たちの被征服の傷は癒えているのだろうか?それともまだそれは続いている傷なのだろうか?
自らが所有する女性が他民族や他国の軍隊や軍人にレイプされあるいは所有される(純粋な恋愛においても)異文化接触の最たる占領を体験してきた日本であり、そして長期にわたる沖縄がある。その中で社会の主軸であり主体とされる男たちはどのように生きどのような傷を内面化し、どのように主体として対峙してきたのだろうか?力と力、暴力と暴力の究極的な争い(殺し合い)を経て後の占領体験が今に根を下ろすトラウマがあるのだろうか?あるとしてその心象の中に刻まれるものの在り様はどんなものだろうか?と問うと戦後66年の現在に至る日本の、沖縄の歴史が総体化されざるをえなくなるわけで、大きすぎる対象だ。
単純に沖縄を見ても、中央へのすり寄り、追随があり、愛想笑いがあり、全く情けないほどに例えばXXさんに迎合していく沖縄の作家や詩人やメディアの姿を見ると、唖然とするばかりである。XXさんばかりではない。大和のお偉い学者や研究者や政府筋の方々のお墨付きがあって公演もなされる。あら、まぁ!の世界!いったい沖縄独自の価値観はどこにあるのだろうか?常に中央の眼差しのウインクがあっての価値体系かと思うと、魂の、文化の隷属システムもあまりにあからさますぎて吐き気がしてくる。
中央のメディアに強いイメージの御方が実はものすごい右翼の思想の持ち主でもかまわないのである。大学の偉い方も簡単に騙されるし、まぁそれだけの感性と知性が大学のトップでもある。
あの作家があの政治家があっさり手玉に取られるのも、見ちゃおれないまでの権力へのすり寄り(媚びた女の眼差しはまだ可愛い)で、いったいこの島の男たちの気骨はどこにいったのか?
情けない現象が続いている!
身近な大学人たちの凡庸な顔もますます凡庸にくすんで見える。
国民国家があり、エスニックな文化や言語の独自性を追求している欧米の少数民族の状況も国家の内部でその国家の税金の恩恵を受けながらの独自性の追求だという現実をみると、エスニシティーを包含しうる多様性や柔軟性を持ち始めているという現象ではあるが、一方で特定の宗教や民族への対立も生れている。
沖縄のエスニックな個性や独自性をその文化的アイデンティティーを(言語も含めて)従来の歴史を360度転換させるほどの論を構築して将来の地球共同体へと、まぁ身近な東アジア共同体へと歩を進める模索が始まって久しいが、沖縄に大きな弊害をもたらした近代の負(戦場の多くの死者たち)の犠牲をある面で思想上では肯定していることになる御方を持ち上げる沖縄のインテリ層のありように心が曇る。
一方で沖縄の復古調(歴史回帰)に疑問の声をあげるかつて差別され人頭税を押し付けられた島人たちは、琉球の独自のアイデンティティー化に対し、差別の構造を取っ払う事になった近代化の在り様をある面でしかし肯定する。サバイバルの原理が底にありそれに順応・同化して生きてきた歴史の推移があり、その過程で失われたもの、得た物があるはずで、両義性や多義性が常にまとわりつく。されど?
フェミニズムなりジェンダーなりの本を読み進めなければならないのだが、なぜか主体としての男に対していつまでも主体になりえない女の存在がある。権力構造が男から男へ委譲しても女には委譲されない。女はシンボルとしては登場し得るがそれ以上でも以下でもないような存在である。あぶくのような文化の裾野にはいつまでも浮いて存在しているような感じとは何だろう?
それにしても多くの権力構造の細胞があり、それらの細胞の中で突っ立っている男たちの哀れさが際立っても見える。すり寄りおべっかを言い、自己保身を身に付ける。文化・知識・想像の権力構造もあるようで、いじましい。メディアがまたそれら背後に潜み、メディアをまた政治・経済のドンと言われる組織細胞が操ろうとする。やれやれ!
若者がいう日本の政治はメディアが作るの構図があるのはこの沖縄も変わりはないようで、昨今はネット情報が世界を駆け巡っているようだが、ネットと共存する川の流れはここではまだ弱いようで、あの御方がモテモテである。
疎外されている裾野にいるからこそ見えるものがあるはずで、境界のその境界にいると、細胞内部の御方々の姿が滑稽に見えてもくる。ああもう被征服男性たちの媚びる眼差しはいいよと言いたい。受忍ということばもある。男が男に征服される。それが身体だけでなく魂まで犯されてしまったら後には何が残るのだろうか?石炭の燃えカスを石灰に混ぜたらいいコンクリートの材料ができると工学部の学生が発表していたが、燃えカスの敗北した魂のありようもまた優れた質の細胞(魂)と融合したら力強い血(知)の防波堤なり先端技術並のエスニックパワーを出せるかどうか?しばらくは見守りたい。されど彼らの中から何が生まれるのだろうか?可能性は低いようだ。時流を、多数がなびく潮流は総べて疑えである!
研ぎ澄ましてその時流を見る眼差しはあるはずだよね、きっと!X=?あたりかな?
<女性だけの劇団「うない」を応援しています。団長の中曽根律子さんと佐和田香織さん(父娘)>
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