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朝のキャンパス、人気のない静けさはいい。耳を澄ますと目白、磯ヒヨドリ、蛙、鶯、ピーサーなどが、啼いている。草むらのコオロギも一斉にリーリリリリリーと啼いている。自然は音楽に満ちている。生きていることを奏でている。生きている証拠のように歌っている。啼いている。恋している。磯ヒヨドリの恋のリズムはコーココココココーだ。トートトトトトトトーかもしれない。ピーピピピピーとも異なる。オスのコーココココココーの鳴き声の近くでは普段目だなないメスが必ずいるのである。磯ヒヨドリの独特な番のワルツに気がついたは昨今のことだ。母がいた庭で思いがけない発見をした。思わず見とれてしばらく番の様子を見つめていた。オスは雌の周りでサーカスをしているのである。時に餌を捕まえてきてあげるような動作もあった。尾羽を上げたりさげたりしている。懸命に鳴いて、これは歌ってという方が正しいのかもしれない。オペラのアリアのように歌っているのである。君を恋しているよ。僕を愛してと。愛が満ちる春。命が廻ってくる春!
池にはもはや青鷺はいない。彼らもどこかに飛んでいったのだ。冬をこの池で過ごし、生まれた故郷に戻っていったのだろうか?かろうじて中鷺が一羽池の上を優雅に飛んでいた。目につくのは若葉色の木々、そして耳が楽しめた。まろやかな鶯の鳴き声はほっとさせる。ホーホケッキョだ。ホーホケキョも単調なメロディーではない。個性が存在している。生き物たちもまた独特な声紋をもっているのかもしれない。何億という人間が生存していて、それぞれの声紋が異なるように、もちろん、類似はあるが、人が異なる声紋をもっているのらしいことが驚きである。指紋も何億とあって異なるという事実がハットさせるこのかけがえのない個の我と類としての我。
報告書を仕上げるのに疲れる日、論稿の校正もまた疲れると思う。日々のささやかな発見は絶えず書き留めておかないと逃げていってしまうのらしい。
夕方ミミズのようなものを食しているイソヒヨドリさんにあった。 花はなぜ引き付けるのだろう。愛らしい色相
かつて母の日のプレンゼントにいつも花を買って走った。
啼いているイソヒヨドリの近くにいたのは雌
白鷲が一羽だけ飛んでいた。
水面に映るわたし!わたしの反映のわたしはどこ?
若緑色が目にまぶしい。 朝の陽光が薄ピンク色にそまる。
学舎の上で下界を見おろし歌う彼は素敵!
気が付くと足元でコオロギのコーラス、リーリリリリリー、リーリリリリりー。鳴いている、
生き物は鳴いている。生きているゆえに鳴いている。君が恋しいと鳴いているのだろうか?