猪を奈良の山で罠にかけたという沖縄二世の父親の話が面白かった。奈良県にも沖縄県人会できたという話も。 沖縄出身で日本本土で活躍する方々の系譜を辿ってみる近代史をどなたかまとめてほしいですね。
ホールでの披露宴ではなく、ホテルのレストランを借りきった催しで、バイキング形式のスタイルははじめてだった。ケーキをお二人づつ、特別な方々に食べさせる儀礼的パフォーマンスと両家の親と当人たちが酒壺にそれぞれ酒を注ぎ入れるパフォーマンスもはじめて見た。混ざりあった酒は時と共に古酒になっていく。原点が酒の味と共に熟成していくイメージが付与されている。
七歳年下の妹にケーキを分けてあげる光景は微笑ましかった。姉妹の絆が披露された時、四歳の少女もケーキを食べた。泣き虫だった女の子が紆余曲折をへて弁護士業界で働くこの時、妹の表情は晴れ晴れと、いつになく、耀いて見えた。
姉が母の残した赤紫のレースのスーツを着けてきた。紫色が好きだった母の面影をあえてもたらした。泣き虫だった女の子はお祖母ちゃん子だったのだ。いつでも何かを読みまくっていた。母がまだ元気だったらどんなに喜んだことか。
時は優しく残酷で全てをのみ尽くして止まることはない。